癌、人工肛門のコーナー
(64) 失ったものとは

奮い立つ刺激
日本百名山登頂への準備を重ねていたころ、生きがい療法実践研究会の画期的な事業と成果がテレビで大きく報じられた。

かなり進行した癌患者も含め、癌と闘っている10数人の人たちが、万年雪に覆われたヨーロッパ最高峰のモンブラン登頂に挑んだと言う感動のドキュメント番組だった。
点滴を受けながらの患者、人工肛門となった患者、参加したのはさまざまな患者だった。
事前に冬の富士山で、厳しい冬山訓練も行われ、その様子も映された。
そしてついに7人が登頂に成功した。その一部始終のドキュメントである。

勿論医師を始めとして優秀なガイドなど、多数の支援あってのこととは言え、即座には信じ難いような話だった。 常識を逸脱した“無謀な行為”としか見ない人もいたかも知れない。いやそう見た人の方が多かっただろう。

癌患者の中で中心的な役割を果たした方が、その後転移で亡くなったという新聞報道を目にした。
奥さんの
「主人は精いっぱい生き抜いて悔いはないと思います」
という談話が記憶に残っている。
まさに精いっぱい、質の充実した生き方をまっとうしたのだと思う。
私は奮い立たずにいられなかった。

(念のために付記しておきますが、生きがい療法というのは、いかがわしい宗教やまがい物ではありません。理学療法という医学の分野です)

失ったものはわずか
癌・人工肛門は辛く不幸な出来事ではあった。
だが私は、実は幸運な星の下に生まれたように思う。
生きがい療法勉強会との出会い』、『命には限りがあるという話』、そして『癌患者のモンブラン登頂という感動に接するチャンス』。
私の生き方を援護するような出来事が実にタイミングよくあらわれる。まだ見放されてはいない。

私に出来ないことはない。
ある障害者の話を雑誌で目にしたことがある。
「人は神から数知れない多くの機能を授かっている。見ること、食べること、歩くこと、物をつかむこと、話すこと、考えること、愛すること、痛みを感じること、好き嫌いの感情・・・・・その中でたった一つの機能を失ったに過ぎません。出来ることはまだいくらでもあります」
このような話と記憶しています。

私の場合失ったものは直腸・肛門という大きな機能とは言え、考えてみればたったその二つだけではないか。それが何だと言うんだ。以前よりちょっと不便になっただけだ。今だって前と同じような生活をしている。
そうです。開きなおりました。

日本百名山へ挑戦する気持ちは、前へ前へと走り出していた。


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