癌、人工肛門のコーナー
(67) 手術から満2年のころ

変身のエネルギー
勤務先の仕事も、手術前の前線部隊的な業務から、今は後方支援的なものへと変わったこともあって、時間的なゆとりもそこそこ持てるようになっていた。
それにともない軸足のほとんどを企業側に置いて何十年も過ごしてきた生活から、最近では気持ちの上で会社60%、私自身へ40%と言う感じに変わっていた。

しかし考えてみれば、単細胞的に生きるのではあれば、会社の求めに従い、会社の言われるままにすべてを会社へ委ねた生きた方をしていれば、ある意味ではこんなに楽なことはない。
自分で自分の生き方を模索し考え、ときに際どい判断を迫られたりしながら豊かに生きて行くと言うことは、これで案外面倒なことだし、たやすいことではないようにも思う。

生き方を変えたり、価値観の大転換をするというのは、何かそれなりの大きなインパクトというか、巨大なエネルギーの要る仕事ではないだろうか。
私は期せずして癌・人工肛門という大きなインパクトが、新しい生き方へのターニングポイントへのエネルギー源になったということだろう。それが失ったものへの代償として得られたもののようだ。
はっきりと、今までとは違う方向へ向かって歩き出した。

満2年目を迎えて
年が明けると手術から満2年となる。
手術の際、1年先のことはわからないと言われていたのに、何事もなく丸2年が過ぎた。
転移が認められると言う話も聞かない。
勿論これで「死」の幻影が雲散霧消したわけでもないし、まだこの先「死」と無関係には生きられない。


(当時の年賀状を探し出して見た。恥ずかしい文章だが、気持ちはよくあらわれていてこの通りだった)
  
【手術から満1年目にあたる正月の年賀状】

    旧年中は大変お世話になりありがとうございました
    病に際しご心配いただきました皆様のお陰で、転勤
    した新職場で元気に勤めています
    この正月は、何はなくても家族そろって明るい正月を
    迎えられたことが嬉しく感謝しております
    この1年、今までジョギングで鍛えた脚力、心肺機能
    が月日を追い衰えて行くのを感じ淋しい思いでした
    これからの人生「人のこころの温もり」を大切に、肩肘張ら
    ず自然体でやってゆくつもりです
    来年の年賀状には『ジョギング再開』と書くのが夢です。
    昭和62年元旦


  手術から満2年目正月の年賀状

    1年間無事過ごせることがこんなにありがたものかと実感
    した年でした
     2年前、病に際しての皆様の温かいお気持ちを改めて思い
    出しています
    歯車のように追われつづけ、日日めまぐるしい回転の速さに
    空しくする心・・・それは以前のことでした。
    今は日々を見つめ、想うことのできるゆとりを取り戻しています
    再び叶うまいと思った夢《わずかですが春からジョギングを再開、
    夏には助けを借りて穂高岳登山》も実現できました。
    五十路に入り、自然体で一歩一歩かみしめて歩いています
    昭和63年元旦



1983年(昭和63年)1月6日、手術から満2年を迎えていた。
「死」を意識することには変わりはなかったが、それまでのようなせっぱ詰まったものは薄らぎ、 生きている間に日本百名山を一つでも多く登りたいという一点に集中して行った。
日本百名山を考えることで、それまで覆い被さっていた煩悩のようなものが、押え込まれてしまったということだろうか。
命の燃え立つような生気が、心にも体にもみなぎっている。

「生きがい」あるいは「目標」という、つかみどころのない抽象的なものではあっても、まさしくそれは目に見えるもの、つまりお金とか地位とか、そういうもの以上に人の生き方を大きく変える偉大な力を持っていた。


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