癌、人工肛門のコーナー
(69) おならのことなど

落ち着きを取り戻して
人工肛門のハンディや通院、検査などための時間のやりくり等、同僚への迷惑はあったが、職場でも一応戦力の頭数には入れてもらって、それなりの勤めは出来ていたし、特別な疎外感に悩まされることもない。

一方癌については定期的に血液検査やCTスキャン検査などをつづけていた。今のところ転移などの兆候はなく、その後も順調に推移しているようだ。
勿論この先の転移のおそれを忘れているわけではない。
体にわずかの異常を感じるとすぐに「転移では」と考えてしまう習性からは解放されることはなかったし、何かにつけて余命を推測して物事を考えることも変わったわけではなかった。

くさい話

このころ気にしていたものの一つにガスの出る時の音がある。それはお尻から出るのとほとんど変わらない音である。
たとえば会議中などの静かな状態の時に発射されると、これはもうどうしようもない。 何となく「ガスが出そうだ」と感じることができるので、そのときストーマを服の上から手の平でぎゅっと押さえつけると、音が手の方へ吸収されて比較的目立たなくなるということを発見した。
しかしいつもうまく行くわけではない。予感なしに出てしまうことも時々ある。
一度静まりかえった朝礼時、思い切り元気のいいやつが出てしまったことがある。これには参ったが後の祭り。しょうがないからニヤニヤと照れ笑いしておいた。

電車の中なんかは静かなようでいて案外いろいろな音があるものだ。この空間はそれほど気にすることはない。
音楽会なんかは、これは絶対にいけない。ピアニシモの場面なんかだと大いに困る。
まあ、いろいろとあるが、時、場所を限らなければどんなにおしとやかな女性だって貴婦人だってやっている生理現象だ。オナラくらいのものはご愛敬と思って勘弁してもらうよりしかたない。
当の本人が恥ずかしいという気持ちをどれだけ我慢できるかということである。

私はビールも好きだったが、ガスが出やすくなるので絶対に飲まないようにしていた。飲むのはたいてい日本酒である。
夏の風呂上がりとか、ジョギングの後なんかは我慢との戦いとなってしまったものだ。 炭酸系の清涼飲料も御法度にしていた。 早く定年退職して、ガスを気にせずビールを思い切り飲んでみたい。
その当時の切ないような夢であった。

丸山ワクチン
丸山ワクチンも隔日に投与している。
この頃にはこっそり自分で腕や大腿に注射したりすることもあった。勿論これは医師法か何か知らないが違反する行為なんだろうが、1日おきに注射に通うのは大変なことだった。

ワクチンは20回分(隔日投与だから40日分ということになる)もらって来るのだが、そのときには通院している病院で血液検査のデータなどを書いてもらって持参しなければならない。
ワクチン研究所の医師との面談も「順調ですね」ということで私はすぐに終わってしまうようになっていた。
それだけ状態は安定して問題が少なくなってきたということだろう。

「死」への恐怖が消え去ったわけではないが、新たな生きがい、目標を見つけて、そのことに気持ちが集中することで、「死」の恐怖が紛れ、せっぱ詰まった緊張感というか深刻さが、次第に薄くなって行った。
食事もほとんど従前の状態に戻っているし、何より日本百名山を目標にしてからは、あのうじうじとしていたころとは、はっきりと違っているのが自分でもよくわかる。
人工肛門というハンディを除けば、気分的にも普通の人と何ら変わらない生活を取り戻しつつあった。


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