癌、人工肛門のコーナー (75) 最悪の大事件! |
「3年」という関門を越える 手術後1年と言うのが最大の関門であった。それは無事にクリアしていた。 そして、次には「5年は無理でも何とか3年を」と祈るように念じていたその「3年」が、この年の正月でクリアできた。 二つ目の大きな関門を越えたわけである。 丸山ワクチンの隔日投与は続いていたし、ときには排便の粗相をしたりすることもあったが、病院の定期的な検査では心配された転移の兆候などはあらわれなかった。 体調、体力とも自覚するような懸念材料はなく、すべてが順調に推移していた人工肛門による4級身体障害者という点を除けば、誰が見ても外見上は健康な人と何ら変りなかった。むしろ日焼けし、身のこなしも同年配の人よりずっと軽やかで健常者以上だった。 残された次の関門は2年後の「満5年クリア」である。 統計的には5年生存率が50%と言われていた。しかし私の場合は「生き残り組」の50%を望むのはあまりにも虫がよすぎると言われるほど厳しい状態におかれていた。 運よく満5年をクリア出来れば、統計的には「癌完治」という扱いになる。 虫がよすぎるかもしれないが、また次の望みを抱くこととなった。 最悪の大事件 そんな折り、春先のことである。大事件が起きてまった。 その日は早朝5時起きして、出勤前に洗腸を済ませた。何の問題もなくスムーズに洗腸は終ったし、いつもの感覚で 「今日はパウチはつけなくても大丈夫だろう」 そう思って食事を済ませてから自宅を出た。 今日は郊外のA支店へ行くことになっていた。 JR大森駅から大井町駅、そして大井町線に乗り換えて二子玉川へと向かう。 それは二子玉川駅一つ手前の上野毛駅を電車が出たときに起こった。 お腹にツーンとした痛みが走る。腸が異常に動くのがわかる。悪い予感が背筋を走った。 絞られるような痛みが再び来た。 その直後、すーっと暖かいものが左腹部から太股の方へ流れて行くのがわかる。 水様便だ。パウチはつけていない。肌の上をたらたらと流れ落ちてゆくのを感じる。車内は超満員で身動きも出来ない。私は吊革につかまって立ちつくしすのみ。 靴下の方まで流れているようだが自分の足元を見る隙間もない。 締め切った車内、人いきれと暖房、匂いが立ち込めるがどうする術もない。他の乗客も異様な悪臭に気づいている。「皆さん、犯人は私です。粗相をしました」と叫ぶわけにもいかない。誰も私の粗相とは気づかず顔をしかめている。 次が終着駅の二子玉川、早く着いくれ。心の中で必死に叫ぶ。じらすように構内を徐行しながらゆっくりと入って行く。頼むから急いでくれ。 ドアが開く。どっと乗客が吐き出される。自分の下半身の着衣の様子もわからない。汚物を撒き散らすような歩きかたはできない。人の群れに押し揉まれながら、かばうようにしてドアの外へ出た。 屈辱に耐える おそるおそる見てみると、足首までは汚れているが、靴の表面は汚れていなかった。ズボンなどの着衣にしみ込んでくれたようだ。濡れてはいるがビショビショと言うほどではなく、車内の床にまで広がったことはなさそうだ。 次の排泄が来たら事態はさらに深刻になる。とにかくトイレへ急ぐ。 間が悪いときはえてしてこんなもの。大便用トイレが工事中で、使えるのはたった一つだけしかない。そこに4人ほどが並んでいる。 このアクシデントに気づく人はなかったが、恥ずかしさ、情けなさときたら、生涯これ以上のものは味わったことがない。 泣きたい気持ちを押さえるのが精いっぱいだった。 下着は汚物にまみれ、ワイシャツ、スーツ、靴下にまでしみ込んでいる。 携帯しているティッシュペーパーやハンカチ、新聞紙程度では、たいした処置も出来ない。 簡単な拭き取りをしただけで、汚物に汚れた衣服のまま対応を考えたが、自宅へ戻るより出勤先の支店の方が近い。そこまで行って何とかするより方法はなさそうだ。 逆方向で幸い空いている電車を乗り継ぎ、支店へ着いて着衣の汚物をタオル等で拭き取り、近くの商店の開くのを待って衣類一式を購入、何とか緊急事態を乗り切った。 この後、何かのきっかけでそのことを思い出す度、思わず大声でわめき出してしまいそうな嫌悪と羞恥に襲われ、いたたまれない思いを何回も繰り返し味わわなければならなかった。 アクシデントはいつ起こるか予測がつかない。この事件以来、外出時は必ずパウチをつけることにした。自分は完全に普通の人と同様になったのだ、そう思い込んでいたのはやはり奢りであった。 社会生活にある程度の支障を強いられ、身体障害者手帳の交付を受けているというのは、こうした現実があるということなのだ。 もどる つづく |
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