癌、人工肛門のコーナー
(84)すばらしきこと「生きる」−最終章−

何といわれても、300名山踏破は私の生涯最大の事業でした。この先これ以上のものはまずあり得ません。大きな事業でした。

フルマラソン完走の約束を果たして私の病後は終ったことを宣言し、大事業の日本300名山をも踏破して、いまあの手術から14年を経過しています。
今も定期的に癌の経過観察は続けていますが、心配される兆候はまったくありません。
ただ63才と言う年は、相応に体力の低下していることを感じるのが少し淋しい気もしています。

素直な気持ちで
強がりは言いません。確かにあれは絶望的な出来事でした。人工肛門は人格さえも失ったようなショックでした。死と向かい合い、胸中は怖れ・不安などが渦巻いていました。
最後の理性というのか、取り乱すことだけはないようにしていましたが、葛藤は猛り狂うようでした。

そんな私を救ってくれた言葉。
「命には限りがある」というあの一言が、何とか前を向かせようと私の背中を押しつづけていてくれたのです。
あの一言で目が覚め、生きがいとしての登山を見つけることができました。
登山と言う生きがいが自然治癒力を高め
そして癌を克服し、 死線を乗り越えさせてくれたと思っています。

充実した14年
何と充実した14年だったでしょうか。
癌・人工肛門によって失ったものの何倍も多くのものを手に入れることができました。
癌・人工肛門がこんなにも素晴らしい人生に巡り合わせてくれたのだと思います。もしそれがなかったら、変化も生きがいもなく、単調な日々がつづき、「生きる」ことへの真摯な気持ちも持てず、きっとつまらない人生に終ったにちがいありません。
癌・人工肛門になったことについて、感謝こそすれ、今は怨む気持ちは少しもありません。ほんとうに不思議です。

そしてもう一度目を閉じて、静かにこの14年を省みますと・・・・
私が得た大きなものと言えば、300名山を登頂出来たことでもありませんし、もう一度フルマラソンを完走したことでもないのです。
死を見つめ、障害を持ったことで、はじめて見えなかったものが見えるようになり、感じなかったものを感じられるようになったと言うことです。
言い換えればそれは優しさとか、いたわりとか、思いやりとか、人の痛みを感じる心とかです。
人間が人間であるための最低限の条件の様なものです。
忘れかけていた、いや失っていたそんなものを、ほんの少しですが取り戻せたような気がしています。

そして今、2度目の人生を

私の人生は変わりました。手術以前とはまったく違った人生を歩いているように感じることがあります。 あの手術以後の私の1年1年は、それ以前の2倍にも3倍にも、ときには5倍にも密度の濃い日々です。
今生きている人生は私には2度目の人生であるように思われます。
人生を2度も経験するという贅沢を味わっているのです。
これからも「限りある命」を、大切に一日一日を生きて行きたいと思っています。

むすびとして
今日(2000.3.10)この手記を終るにあたり、妻を誘って久しぶりに二人で近くの山(二上山)を歩いてきました。 今まで共に癌と闘ってきた妻が、歩きながらこんな内容のことを話していました。

日本百名山に挑む夫の姿は、鬼気迫るようでした。
勤めを終えて帰宅すると、仮眠しただけで深夜家を飛び出して行きます。几帳面に書いている登山の記録からも、相当ハードな登山をしているのがわかります。
あとどのくらい生きられるのか分からなという状況でした。そんな体でやることではない、そう思うのが当然でした。

抵抗力や免疫力の低下という、悪い影響が出るのではないかと心配しました。
私の正直な気持ちは、どんな状態でもいい、1日でも長く生きていて欲しい。願いはただそれだけでした。
そんな気持ちとは裏腹な夫の行動に、いても立ってもいられなかったのですが、私なりに考えました。
「このまま登山を続けたら、無理がたたって結果が悪くなるかもしれない。出来れば止めて欲しい。しかし登山をしないで大事にしていてもその結果はわからない。本人がそうしたいのなら、思い通りにさせてあげよう。辛いことでしたが、それが自分に出来る夫への思いやりなんだ」
そのように割り切ることにしました。

夫の日本百名山への挑戦は、私も気持ちの上では一緒に挑戦していました。残りは後いくつになった。そんな喜びを一緒に味わっていました。

あの当時を思い起こしますと、今こうしているのが夢のような気がします。
妻のこの言葉をもって、私の手記の結びにさせていただきます。

                
               【 お 礼

1年2ヵ月にわたって綴って参りましたこの手記は、これで終了させて頂きます。

癌・人工肛門によって感じ取った大切なものが、年月とともに次第に風化しつつあるのに気づき、もう一度あのときの自分を振り返りたい、そんな思いで始めたのでした。

まとめ方も構成も幼稚です。表現も稚拙です。そんな手記にお付き合い下さるのもさぞ忍耐の要ることだったと思います。

それにもかわらず、更新の都度ご感想や励ましのことばなどをお寄せ下さった何人かの方々には特に厚くお礼申し上げます。ここまで続けて来られましたのは、そんな方々のお陰でした。

またお立ちより下さった声なき多くの方々に対しましても、厚くお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。

私はこれからもライフワークとして、体が続く限り登山を楽しんで参ります。

51冊にまでなった「山走山歩記」ですが、この先何冊まで増えて行くのか、それも大変楽しみです。



なお 日本300名山踏破の過程につきましては、300の頂に忘れ難い300の思い出がぎっしりと詰まっていて、簡単には語り尽くすことは出来ません。

「回想の山行」として、特に印象の強かった山行を、また別の機会にHPでお伝え出来ればと思っております。

ありがとうございました。 (2000.3.10記)            

−平−
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