(登山のコーナー) (68)無知無謀 |
はじめて登る冬の山 この年(1983年)、正月明けの6日、手術から満2年が経過した。 命の灯は消えることもなく、目標を得てむしろ生き生きとした活力が私を包んでいた。 それにしてもこのペースで日本百名山を登っていたのでは、遅々として数を消化できない。冬だからといって冬眠していてはどうしようもない。 ガイドブック等を参考にしながら検討を重ねた。 山頂付近に冬場も営業している山小屋のある「雲取山」(2018m)」なら私のような素人でも登れそうだった。東京・埼玉県境の山ということでアクセスも便利である。 登山用具店を訪れ、冬季登山のための衣服、防寒具、履き物等アドバイスを受けながら必要なものを購入して準備を進めた。 軽アイゼンを携行した方が良いと言う。 4本爪の玩具のようなものだが、当時アイゼンと聞いただけで、これはとんでもない山へ登ろうとしているのではないかと言う緊張感があった。 少ない休日 このころ私の勤務先は、日曜祭日以外に第2土曜日及び任意の平日1日の休日があった。 今のように週休2日と言う体制ではなかったため、月1回の土日のつながる休暇は貴重なものだった。 一泊の登山は、この休みのつながった土日にしか出来なかった。 関東周辺に点在する日本百名山は数あるが、連続して2日使えれば近接する山を2座登って来ることも可能となる。ところが日曜日1日しか使えないために折角交通費をかけて出かけたのに1座だけで帰宅し、後日また同じアクセスで出かけることになる。 私のようなしがないサラリーマンにとって、この経済負担は大変辛かった。 1月中旬、祝日を挟んで有給休暇を1日取って3連休にした。 雲取山は一泊で十分だとは思ったが、1日予備日があればなお安心だ。 雲取山へ 奥多摩駅からタクシー相乗りで小袖乗越まで入り、ここから雲取山へ向かった。山頂までほとんど積雪はなく、不安に駆られて出かけて来たのが嘘のようだった。 山頂から反対側へ少し行ったところに雲取山荘があり、針葉樹林帯の中を下って行く。ここだけに雪が残っていた。しっかり踏み固められたトレールがついているので、ここもルートの心配はまったくなかった。 真冬だというのに大勢の登山者が宿泊している。必ずしも熟達した登山者たちという風でもない。ハイキングの延長というように見える。私にはそれが意外な光景に映った。 「真冬の山は怖い」という先入観念を持つ私には、そこに別の世界を発見した思いだった。 毛布2枚、布団2枚をかけてエビのように背を丸めて寝たが、それでも夜中に寒さで目が覚めた。その後も寒くてついに朝まで寝付くことができなかった。 ご来光を山頂で見るために白明の中を出発した。 シルエットの富士山が、早暁の陽光に赤く染まって行く。山頂の登山者が浅間山や大菩薩連嶺などを教えてくれた。 下山は鷹の巣山、六ツ石山を経由して奥多摩駅まで歩いた。 無知のなせる無謀 昨秋から取りかかった日本百名山はこれで4座となったが、この後冬場に私が登れそうな適当な山が、関東周辺に見あたらなかった。 春を待つあいだ、奥多摩などの山を歩いたりしていた。 山の雑誌で丹沢の「塔の岳〜丹沢山〜蛭ケ岳」を1日で縦走したと言う記事を読んだ。 無謀にもこの冬場、私にも出来ないかと考えた。そして実行にかかった。 2月末のことであった。 歩ききれずに万一途中でビバーグということも想定して、山の中で一夜を過ごせると思われる防寒具なども持った。 出発前日、東京、神奈川方面に大雪注意報が出ていた。しかし夜半には上がると言う予報だった。 案の定、山はかなりの新雪だった。不安がよぎるが引き返そうと言う気持ちはまったくおきなかった。 そうだ、登山は私には遊びでも楽しみでもない。癌との戦いなのだ。少しばかりのことで中止するわけにはいかない。 疲労困憊 これまでとちがって荷物も重く、雪で足元の悪いのも手伝ってたちまち汗びっしょりになり、疲労の進み具合が極端に早い。 塔の岳へ着いたときにはかつてない疲労を感じていた。 山頂小屋の主人に、これから1日で丹沢山、蛭ケ岳を越えて縦走の予定だと話すと「この雪では到底無理。丹沢山から先は積雪1メートル以上はある」と言われる。 ラッセルの経験も皆無、輪カンジキもない。 7人パーテイーがラッセルして丹沢山まで向かったから、そこまでなら大丈夫だという助言に従って、このときは丹沢山まで行って引き返した。 それにしても登山にはずぶの素人が、よくもこんないい加減なプランを考えたものだ。無謀と言うより馬鹿馬鹿しいほどのプランで、この時のことを振り返ると今だにぞっとする。 防寒用に厚手の衣類を2枚ほど余分に持ったくらいで、真冬の千数百メートルという山の上で野営が出来ると思っていた無知、無謀さが、今は恥ずかしい。 登頂は実現しなかったが、私にとっては貴重な体験であった。 これから先のことを考えると、雪の山についての知識をある程度は体得しておかなければならない。 山岳雑誌で募集していたプロガイドによる八ヶ岳赤岳登頂に参加した。主な冬山装備を一応そろえるチャンスでもあった。 アイゼン、ピッケルを携行、冬山装備による山での歩きかたなどを教えてもらった。 3月13日、山は真冬と変わらなかった。 凍りついた岩稜を一歩一歩攀じって達した赤岳山頂での感激は大きかった。展望もまた素晴らしいものがあった。 (ほとんど単独で日本百名山を踏破した中で、複数で登ったのは唯一この赤岳だけである) もどる つづく |
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