(登山のコーナー) (70)それは姿を変えた癌との戦い |
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丹沢山、再度の撤退 日本百名山挑戦を思い立ってから、登山に関する書物をずいぶん読み重ね、自分ではかなりの知識を持ったつもりでいた。 後は2本の足さえあれば、風雪の高山や岩登りなど特別なものでない限り、ある程度は登れそうな気がしていた。 4月初旬。 2月に雪で途中断念した丹沢の縦走を、再度計画した。 季節も進んでもう雪はそれほど心配ないものと予想した計画だった。 ところが戻り寒波におそわれ、山は新たな積雪の可能性が出てきた。 せっかく立てた計画を潰すのが惜しくて、前回の教訓も忘れたように計画どおり出発した。 標高が上がるに従い積雪が深くなってきた。今日の体調はすこぶる良好、快調のペースで塔の岳へ到着。このペースなら一日で縦走できそうに思えた。 休む間もなく丹沢山へ向かう。雪は多いがしっかりしたトレールがあって難儀するようなところもない。 丹沢山からいよいよ蛭ケ岳へ向かった。とたんにトレールは消えて、わずかに新しい2人分ほどの踏み跡が、深い雪の中に延びているだけだった。 登山道は深い新雪の下、頼りは踏み跡だけである。ときには腰あたりまである雪を、半ばラッセルで進むが大変な労力だ。 竜ケ馬場付近まで行ったところで二人の登山者が戻ってきた。「雪が深くてこれ以上は無理だった」と言う。二人は完全装備だった。それでも駄目なものを私が行ける筈がない。 またもやあきらめる羽目になってしまった。 ガイドとともに こんな経験をしながら「山歩き」というものを少しづつ勉強していったが、やはりきちんとした雪山登山の知識が必要であることも認識した。 ゴールデンウイーク、ガイドによる北アルプス山行に参加した。 上高地から岳沢へ入山。ここで幕営2泊のブランだった。 不安は勿論排便のことだった。前夜松本市のビジネスホテルに宿泊。翌朝洗腸を済ませてガイドと合流し上高地へ向かった。 次の排便までの間隔を空けるため、食事はほとんど摂らずにホテルを出た。 その後も山行中、ごく少量の食事を口にしたたけで過ごす覚悟だった。 2日目早朝、岳沢から奥明神沢を攀じて前穂高岳へ。ガチガチに凍った雪の急斜面は、初体験の私には絶壁に見え、足が震えた。アイゼンを利かして一歩一歩慎重に足を運んで行く。滑ったら100%助かる見込みはない。 5月とは言え、前穂高岳周辺はすべて厚い雪に覆われ冬の佇まいのさなか、山頂に立ってしばし感激に浸った。 3日目、天狗のコル周辺まで登ったりしてから、ガイドと別れて一人下山した。 食事量を極端にセーブした効果があったのか、幸いにこの間排便はなくて済んだ。 登山シーズン幕開け 5月に入ってようやく待ちに待った登山シーズンを迎えた。 日本百名山挑戦を思い立ってから、これまでに登れた山は大菩薩、谷川岳、両神山、雲取山、八ヶ岳の5座に過ぎない。 早くしないと命ある間に30座を何とか登りたいと言う夢は到底叶わぬものなってしまう。 はやる気持ちに急かされるようにして5月中旬山梨県の「瑞牆山(みずがき)」を登頂。 ついで6月初旬には日光の「皇海山(すかい)」へ向かった。まだ山歩きについてのノウハウは不十分で、庚申山〜鋸山と経由して、最後の皇海山への登りでコースを見失ってしまった。戻って道を探すのがセオリーだが、それが面倒で、倒木や笹をかき分けて強引に斜面を這い上がって何とか山頂へたどり着いた。無事山頂へ達したからいいが、これも無謀そのものの行為であった。 このころ、山が怖いと言う思いより、これは私の「癌との戦いなんだ」という意識が勝っていた。引き返すことは敗北を意味するような気がしていた。 山行にはほとんどマイカーを利用していた。皇海山を下山した後車中に泊まって翌朝日光奥白根山を目指す計画だった。 夜間から激しい風雨となった。朝起きてみると、マイカーの目の前に風で倒された大木が横たわっていた。 下敷きにならなくてよかった。 雨は小止みとなっていたが強風はまだつづいていた。とにかく登らなければという、半ば脅迫観念のようなものに追われて奥白根山へ向かった。 残雪の沢では枯れ枝を並べたりして帰路の目印にした。 稜線に立つとまともに立っていることができない。風とともに小石のつぶてが顔面に飛び込んで来る。前を見ることもできない。 激しい不安に襲われて、このときは前白根山までで引き返すことにした。 「負けた」という 気持ちは無惨だった。 毎週末の登山 その一週間後、新潟・群馬県境の「巻機山(まきはた)」を登頂。 まだら模様に雪田の広がる景観の素晴らしさは、生まれて始めて目にするもので、強く心を引き付けた。雪田の周囲には名前は知らないがいくつもの高山植物が風に揺れて咲いていた。 こんなに高い山の上に、こんなに美しい景色があったのだ。それは感動と驚きの世界だった。 巻機山に限らず、登る山それぞれに新鮮な感動と驚きを私に与えてくれた。「癌との戦い」という要素に加え、登山のそのものの魅力を無意識のうちに体で感じはじめていた。 さらに1週間後には山梨県の西沢渓谷から雁坂峠を経由して甲武信岳を日帰り。コースタイム14時間超の長い行程だったが、適期にあたったシャクナゲの花をめでながら、走るようにして歩ききった。 この6月最終の週には群馬県の「武尊山(ほたか)」へ登った。コースは旭小屋からの往復。
まさしく私の日本百名山挑戦は「姿を変えた癌との戦い」であった。 登頂をあきらめて引き返すのは、取りも直さず癌との戦いに白旗を掲げたも同然という思いがあった。 もどる つづく |
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