(登山のコーナー) (72)ハンディを乗り越えて |
堰を切ったように 昨秋、残された日々の生きがいとして日本百名山と取り組みはじめてから8ヵ月が過ぎた。 関東周辺の山々を次々と登頂していった。 1986年 1月 癌手術、人工肛門造設 1987年 9月 大菩薩嶺 10月 谷川岳 11月 両神山 1988年 1月 雲取山 3月 八ヶ岳赤岳 5月 瑞牆山 6月 皇海山・巻機山・甲武信岳・武尊山 7月 会津駒ケ岳・燧ケ岳・富士山・至仏山 尾瀬の至仏山は妻も一緒だった。 この尾瀬は妻と付き合いはじめたころ、もう30年近くも以前のことであるが、ミズバショウ咲く6月に一緒に訪れたことがある。そんな思い出に引かれて妻も同行したのだった。 登る山は日本百名山だけではなかった。他に東京近郊の山などへも繁く足を向けるようになっていた。 守屋山 大岳山 川苔山・本仁田山 丹沢山・鍋割山 高水三山 乾徳山 丹沢山 前穂高岳 当時日曜日しかなかった休日は、ほとんどが登山に使われるようになった。吸い寄せられるように山へ向かう姿を見て妻の心配は高じるばかりだった。 体を休める暇もないほど毎週のように、それも深夜の1時、2時に自動車を運転して出かけて行く。登る山も軽いハイキング程度のものではなく、かなり本格的な登山をしているのように見える。 疲労の蓄積による抵抗力の低下、免疫力の低下があるのではないか。まだ癌との闘いがつづいている最中だというのに、果たして影響はないのだろうか。 見えない縄で、後ろか必死に繋ぎ止める妻の力を感じ取っていた。それはわかっていたが私は振り切るようにして山へ向かった。 日本百名山踏破一色に 仕事を離れた時間は日本百名山一色、今まであれこれとさまよっていた雑念はほとんど影をひそめてしまった。 暇さえあると 「どうすれば一つでも多く百名山に登れるか」 山の本を開いてそんなことばかり考えいた。 今は書店に行けば日本百名山関係の書籍は数多く並んでいるが、当時はめぼしい書籍はほとんどなかった。おりよく出版された『ひとりぼっちの百名山』(佐古清隆氏著)が、山行計画の良き参考書として貴重な存在だった。 はじめは関東周辺の山だけを対象に考えていたが、踏破が進むと気持ちは徐々にそれだけではおさまらなくなっていった。 山小屋の開業時期などのことを考えると、夏場しか登れないような山もある。その季節を逃さずに高い山も登って見たい。 当初考えてもいなかった南アルプスの山々が気になりだした。私の郷里からも望むことのできた山脈みである。 東京からは比較的近いものの、 北アルプスほど山小屋はそろっていないし、開業期間も短かく私が登るのにはいろいろと制約がありそうだ。 来年の夏はこの体がどうなっているかわからない。登れる状態ではないかも知れない。 そして南アルプスへ 1回の山行で1座だけしか登らないということでは数を稼ぐことが出来ない。効率よく登るためには多少の無理を通さなくてはならない。 南アルプスを《甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳》、《北部》、《南部》の3回に分けて登ることを計画した。 甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳は比較的容易で、登るチャンスはいくらでもありそうだ。 また最南端に光岳と言うのがあるが、これは簡単には行きそうもない。当面は無理かもしれない。 無理な光岳は別格扱いで外すとしても、問題は次の3000メートル峰6座=北岳、間ノ岳、塩見岳、悪沢岳、赤石岳、聖岳=であった。 3座づつ2回に分けて検討してみた。普通に歩けばそれぞれ山小屋3泊〜4泊という行程になってしまう。山で洗腸をすることは不可能。排便の処理をどうしたら良いのか、それが大きな壁となって立ちふさがった。 当然パウチをつけての行動となる。 ●激しく複雑な登山運動でパウチが剥がれずに安定していてくれるか ●パウチによるカブレがどの程度になるか ●風雨となったとき、標高3000メートルという野外でパウチ交換や処理がう まく出来るか ●もし下痢でも起きたときはどうなるのか ●衣服を汚物で汚してしまったら・・・・・・ 考えると不安はいろいろある。しかし不安を恐れていては前に進むことは出来ない。 行き詰まった時には、その場で何か解決法が出てくれるかも知れない。やれるだけやってみよう。うまく行く可能性だって十分ある。 とにかく日程を可能な限り短縮して頑張ってみるよりしかたない。 南アルプス南部を先に踏破する計画を立てた。 悪沢岳(3143m)−赤石岳(3120m)−聖岳(3020m) の三山踏破である。4泊のコースだが3泊にはできそうだ。 夕刻洗腸を済ませてから、東京駅深夜発の急行で静岡県金谷駅へ。帰宅予定まで約90時間(丸3日と18時間)、どの時点から排便が始まるか、それが気がかりだった。 山の中へ入ってしまえば何かあっても、おいそれとは引き返せない。 便を洩らして衣服を汚したりしたらどう対処したらいいか。 沢の流水や山小屋の水で下痢でも起きたら手の打ちようがなくなるだろう。 締め付けられるようなプレッシャーを感じて、眠たいのに眠られないまま、急行列車に揺られて金谷駅到着。 大井川鉄道そしてトロッコ電車と乗り換えて終点の井川駅へ。さらにバスに乗って畑薙第一ダム、ここでリムジンバスに乗り換えようやく登山基地の椹島ヒュッテへ到着した。 長いアプローチだった。 決して東京から近い山ではなかった。 ただちに今夜泊まる千枚小屋へ向けて出発。 2日目、千枚岳−悪沢岳−荒川中岳−前岳−赤石岳−百間洞小屋(泊) 3日目、中盛丸山−兎岳−聖岳−登山口椹島ヒュッテ(泊) 4日目、椹島からバス乗り継ぎで静岡駅、さらに東京へ。 食べれば早く排便が始まるし、量も多くなる。 多少の空腹を辛抱して食事量を減らし、車中1泊、小屋3泊を乗り切った。 携帯食品については、量が少なくてもカロリーの高いチョコレート、チーズ、餡入り揚げドーナツなどを多めに持った。便を少なくするのに役立つと考えた。 結局排便が始まったのは出発時の洗腸から約70時間経過してから、つまり登山口の椹島ヒュッテへ下山する少し前だった。3日目からパウチを着けていたが、登山行動中は排便の煩わしさにさらされずに済んだのは幸運だった。 この山行はハンディを考えれば思い切った冒険的行動とも言えるものだったが、大きなトラブルもなく、上出来の結果に終った。 私にとっては「画期的な登山」であり、かけがえのない体験となり、 人工肛門でもかなりの登山が可能であることを確認した意味は大きい。 1週間の大縦走などは不可能としても、山小屋1泊あるいは2泊程度までなら、これからほとんど気にする必要はない。 さらに同じ8月、今度は中旬に南アルプス北部の三山を踏破した。 わが国第2位の高峰「北岳」(3192m)--「間ノ岳」(3189m)--「塩見岳」(3047m)の縦走であった。山小屋2泊〜3泊のコースであるが、休暇の都合もあってかなり強行軍となるのを承知で、夜行発の山小屋1泊の計画にした。 夜行で新宿を発ち甲府駅からバスで広河原へ。大樺沢から八本歯のコル経由北岳山頂、間ノ岳、三峰岳から熊の平小屋で宿泊。強行軍という思いに急かされ足を速めた結果、広河原からコースタイム10時間を6時間半ほどで歩いてしまった。 翌日は未明に熊の平山小屋を出発、北荒川岳、塩見岳、山伏峠を経て新塩川へ下山。この行程も厳しい登り下りを繰り返し、大変ハードなものであったが、予定通り歩いて夜には東京の自宅へ帰った。 もどる つづく |
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