(登山のコーナー) (73)時間がほしい |
登山の楽しみ 人工肛門というハンディのある体で、南アルプスの日本百名山全部を踏破するのは、きわめて難しいことと思い込んでいたが、案ずるより生むが易しで、これを特段の問題もなく無事クリアすることができた。 普通の人が2日かけて歩くコースを1日で、3日かけて歩くコースを2日で歩く気概でのぞめば、このほか大変だと思っていた山も登れない山はないように思えてきた。 2回に分けた南アルプス山行のうち、特に最初の悪沢岳・赤石岳・聖岳縦走は天気にも恵まれて随所で味わった素晴らしい山岳展望、次々とあらわれる高山植物の群落。山の名前もまだ良くわからないし、高山植物の名前も少ししかわからないが、それでも一つの山行を終ると「山の魅力」は私の心を満たしてくれた。とりわけ準備段階から案じたり、山行中の苦労が多かった山ほど、登山の醍醐味と達成感は大きかった。 「遊びでも楽しみでもない。姿を変えた癌との戦いなんだ」 確かにその気持ちはまだ残っていた。しかし自分でも気がつかないうちに山を歩く楽しみが芽生えつつあった。 写真に納めた山々を地図と照らして見たり、高山植物を図鑑で引いたりすることが楽しい。 ジョギングに傾倒していったときと同じ道筋をたどりはじめていた。 時間がほしい ほとんど毎週のように山へ向かうようになると実に忙しくなった。 日曜日、一つの山行を終る。 翌月曜日、勤めから帰るとワープロで山行記作りにかかる。普通の日帰り山行で400字詰原稿用紙にすると6〜7枚くらいのものだが、結構時間がかかり、1日ではできない。 写真も出来あがってくるので、これも選別して引き延ばしに出したりしてから台紙に張りつけコメントを入れる。 地図を広げて写真に写っている山の名前を確認する。(山行中は早く下山したいという気持ちが強く、山頂で地図を広げて一つづつ山を確認する=山座同定=という気持ちのゆとりがなかなか持てなかった) 登山から帰っても、その整理以外のことは一切手がつかないまま3、4日が瞬く間に過ぎて行く。 それと並行して次の休日の山行プランも考えなくてはならない。ガイドブックや地図を広げて山を選定する。 コース別の行程所要時間、難易度等の確認、マイカーでのアプローチ、必要な持ち物(装備品)・・・・すべてを一人でやらなくてはならない。 とにかく時間が足りない。 テレビや新聞をまともに見る時間すらない。新聞は通勤電車と職場の昼休みしか読めない。 5分、10分の時間が惜しかった。 「命には限りがある」 やがて迎えねばならない「死」を想えば、今あるこの時間は少しも無駄には出来ない。それは当然のことだった。 時間がほしい、もっと自分の時間がほしい・・・・いつも心の中でつぶやき続けていた。 (勤務先が週休2日制となるのは翌年からだった) 「生」への強い執着 「時間がほしい」 それは単に日々の時間がほしいというだけではなかったのだと思う。 残された1年か2年で30座も登れればと考えていたのに、遮二無二走り出して見ると予想以上に数の消化が進んで行く。 「ひょっとすると全山踏破も可能かもしれない」と言う夢のようなことが頭の隅に浮かび、せめて日本百名山全山踏破まで命があって欲しい。その時間を与えてほしい。それまで何とか生きたい。 絶望の淵に沈んでいたときには考えもしなかった強い『欲』だった。 命を惜しみ、「生」への執着が噴火のよううに湧きあがってきた。 《癌であることを知ってから死の恐怖に脅えた心情》と《死にたくない、もう少し生きたいという執着》は、同じように見えて実は私にはかなり次元の異なった感情であった。 今の心情には前向きなものが強く作用しているところに大きな違いがあるように思える。 そうだ、私を動かした『生きがい』は、言い方を変えれば生きるための『欲』と同じではなかったのか。 かけがえのないものへと 1日1日が目にも止まらないような早さで過ぎ去って行く。 一分の隙もないような充実した日々だった。 とにかく充実感があった。 時間は足りないが楽しくてしかたない。一山また一山と、標的を射落とした勝利者の気分で踏破していった。 9月 男体山 奥白根山 鹿島槍ケ岳・五竜岳 10月 金峰山 安達太良山 吾妻連峰縦走 磐梯山 苗場山 丹沢縦走 11月 赤城山 鳳凰三山 12月 天城山 9月中旬、北アルプスの稜線は晩秋から初冬へとさしかかっていた。 夜行バスで大町市扇沢へ早朝に到着。その日は爺ケ岳、鹿島槍ケ岳へ経て新装のキレット小屋へ宿泊。 翌日は五竜岳、唐松岳を登頂して八方尾根を下山、東京へと帰るかなりハードな日程を組んだが、好天に恵まれ、澄んだ秋空の下、目を輝かせての山岳展望を満喫し、小躍りする気分で計画どおり歩くことができた。 そして、強風に追い返された奥白根山、雪で2度までも敗退させられた丹沢主脈縦走も果たした。 1年4ヵ月かけてこの年の暮れで33座の登頂となった。それ以前に登った12座を加えると45座となる。 「何とか30座ほどは」と思っていた目標はクリアして、まだこの体に変調は現れていない。それどころか、真っ赤に燃え立つ炎のように私の命は燃えたぎっているかのようだった。 登山という決して楽ではない行為を支えるのは、一つは癌との闘い、もう一つは次第に目覚めてきた山歩きの醍醐味・楽しさである。この両輪に乗っかった私は、さらにスピードを加速していった。 この燃えたぎりは何だ。線香花火が最後の一瞬に見せる火花とはちがう。 「欲」は膨らみ、全山踏破までもが視野にちらつきだしていたのだ。 とは言うものの、この時点では北海道や東北北部、九州、四国、中国地方の遠くの山を登れる目処はまったくなかった。だからこそその課題がさらに私の生きがいとなって行く。 かつてジョギングが私の存在感を確かなものとしてくれたように、いま登山が私の生きている命をしっかりと認識させてくれている。命の燃焼を感じ取っている。 登山が私にはかけがえのないものとなりつつあった そしてジョギングの方も何とか時間をやりくりして、途切れることなく続いていた。 「いつかもう一度フルマラソンを完走しなくてはならない」という思いは胸の奥から消えることはなかった。 もどる つづく |
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