(登山のコーナー)
(77)胸突き八丁を登る

残りは21座
再び年が明けて手術から満4年目を迎えた。

日本百名山は残り21座となっている。今年中に何としても登り終りたい。 今は7合目、まだ頂上は見えないが最後の胸突き八丁にさしかかっていた。体調の方も文句ない。

しかしこの21座は、北海道をはじめ、遠方に点々と虫食い状態で散らばるように残されていた。うまくスケジュールを考えないと登山シーズンの5月から10月までの期間には終らないかも知れない。

マイカー2200キロ
ゴールデンウイークに妻と二人、近畿、中国方面へ向かった。
新しくテントを購入。費用節約のためマイカーにそのテントや自炊道具が積み込まれていた。
東京から深夜の高速を飛ばし、初日の山は福井県「荒島岳」、2日目が滋賀県「伊吹山、」3日目は鳥取県の「伯耆大山」とおまけに「蒜山三山」も登る。4日目は奈良県「大台ケ原」、最終日奈良県の「八経ケ岳」。
遠方に点在する山を登り歩き、これで西日本にある百名山は全部消化できた。
この山旅でのマイカー走行距離は2200キロを超えていた。

伯耆大山登頂前夜、蒜山国民休暇村のキャンプ場へ幕営したときのこと、また失敗をしてしまった。テントの中で不自由な洗腸をして、排便の汚物をトイレへ捨てに行った。ビニール袋に溜めていた汚物を持つ手が滑って、トイレの床にぶちまけてしまった。洗腸水と便とが混じった液状の汚物が約2リットル、周囲はまさに汚物の海。 急いで何とかしなくてはならない。妻にも助けを求め片づけにかかるが、まさかゴム手袋の用意なんかないし、ほとんど素手同然である。
とかく汚いキャンプ場のトイレであるが、ようやく清掃が終ってみると、便器といわず床と言わず、ピカピカの新品のようなトイレに変っていた。
それにしてもいやな顔もせずに一緒に片づけてくれた妻には、このときのことを思い出すと頭が上がらない。

残雪を踏んで
6月に入ると雪解けを待ちきれずに新潟県の「火打山」を登頂。豪雪地帯だけに山上は深い雪に覆われていた。
中旬、今度は夜行列車を使って「八幡平、岩手山」と東北の2座。
翌週の石川県「白山」は汽車とバスを乗り継ぐ長いアプローチだった。
このころには残雪を恐れる気持ちは、かなり薄らいできていた。

大詰め、息子を誘って
7月、学校が夏休みに入った長男と二人、「立山、剣岳」を登頂。

翌週は土曜日深夜にマイカーで東京を出発して新穂高温泉から「笠ケ岳」山頂を往復、その日のうちに帰京というハードスケジュールをこなす。
さらに一週間後、昔登ったことのある「白馬岳」へ再登。病窓から何回も眺めた山頂が感慨深かった。

これで残すは8座となった。ここまで来ると百名山完登はもう間違いない。
「最後の山をどれにしようか」
そんなことを考えるようになっていた。 9月の3連休に、家族そろって思い出に残るような山行をしたい。考えた末の結論は、東北の飯豊山縦走であった。

費用節約の北海道
8月、北海道へ。
昨年の北海道山旅は、私には負担の大きすぎる出費であった。2度とそのような山旅はできない。5泊のうち3泊はテント泊とした。小さなテントの中での洗腸は支障も多く、2泊だけは安い旅館を探して泊まらざるを得なかった。
羊蹄山、幌尻岳、十勝岳、トムラウシ山を登頂、これで北海道にあるあ百名山9座を登り終えることができた。

頂上近し
北海道から帰った1周間後、今度は次男と二人で北アルプスの薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳を登頂するために出かけた。
富山県折立から入山、大町市七倉までの山小屋2泊の行程だった。このとき太郎小屋前から一望出来る黒部五郎、三俣蓮華、鷲羽そして水晶岳までの長大な山稜を指しなが「明日は1日であれを全部歩くのだ」と次男に告げると、ええっ、と言ってただ驚いていた姿を思い出す。
このとき最終日の、水晶小屋から烏帽子岳を経由、高瀬ダム、七倉までが、疲れた足にとてつもなく長く感じたものだ。

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