エジプト徒然草
 
其の10


1998.04.16(木)
古代の星座


 もう、昨日になってしまいましたが、夕刊にキトラ古墳の詳細な写真がありました。 「厠座」なんて、あったとは、おもしろい。 中国の星座は、全く知識が無かったので、ちょろっと調べたところ、エジプト、ギリシア経由の西洋の獣帯(Zodiac)による空の分割方法と異なって、月が通る28の星宿=「二十八宿」という考えで区分しているそうです。 ただし、西洋が黄道(見かけ上、太陽と月が天空を渡る道)を基準にしたのに対し、中国人は赤道(北極星を基準に星の位置を確定した。 すなわち、星がいつ天空の一番北を通ったか)を基準にしたという差があります。 天を、先ず、大きく蒼竜(東)、玄武(北)、白虎(西)、朱雀(南)の4つに分けさらに各宮を7つに分けていると…成る程、新聞にも載っている、柳とかありますね。

 さて、古代エジプトの星座に話を変えてみますと、以前話題に出しましたデンデラのハトホル神殿の十二宮図では、黄道にそって36の星座が描かれています。 十二に分割したのは、バビロニア起源らしいのですが、この36分割、ギリシア語でいうところの「デカン(十分角)」-360度の天を10度づつ36分割-にしたのはエジプト人の功績とみて良いだろうということです。  デンデラの図では、獅子座、やぎ座、双子座、牡牛座等が現在の十二宮と共通した姿で描かれています。 サソリ、射手、天秤もありますね。 一方、エジプトならではなのは、この図の真ん中にある牛の腿や、河馬等。 牛の腿は、現在の、我々のいうところの北斗七星(大熊座)にあたり、これは、セトの腿とされます。 そして腿(セト)は雌河馬の姿をしたイシスによって、2本の杭につながれて、オシリス(オリオン座)より南の空(オシリスによって生み出された神々がいる空)に行かない様にされているということです。 もっとも、シリウス(おおいぬ座のα星、全天で一番明るい星)=イ シスと見た場合は、河馬=イシスでは無い様にも思えます(^^;) また、牛の腿は、王家の谷のセティ1世の墓の天体図や、ハトシェプスト神殿近くのセネンムトの墓の天体図等では、牛が描かれていたり微妙に違います。 しかし、かならず河馬はいるな〜インパクト強いなこの河馬(^^;) 他に鰐やライオン、エジプトの神々等が星座として描かれています。
 図抜きで説明するのは、辛いところですが、今度、北斗七星を見かけた”セトの腿”と思ってください(^^)

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