〜誰が犯人かは作者も知らない〜
パーティ会場では、おだやかなピアノ曲が生で演奏されていた。クラシックかと思いきや、よく聴けばコマーシャルなどでも耳に馴染んだ日本の曲だ。癒し系とか言われて昨年大ヒットした。
衣擦れの音。食器の触れ合う音。ひそやかな話し声。ときおりあがる笑いさざめく声。色とりどりのドレス。高価な和装を着慣れたようすで着こなしている老淑女。大きな宝石のついたアクセサリーで首や耳が重そうな女性たち。
丸いテーブルとそのまわりの椅子は、空いていれば誰が使ってもよいようになっている。そうした客席を囲むかたちで料理が配されていて、こちらはバイキング形式。だが、空いた皿はすかさずウエイトレスがさげていくので、どこのテーブルもきれいなものだ。
「なぁ、アリス、気がついてるか?」
スモークサーモンをぱくついているアリスの耳に、火村が小さく囁いた。
「ん? これ、うまいよ。て、なにに?」
アリスは最後の一言だけ声を低めて聴き返した。
「やっぱりなぁ。おまえに訊いたのが間違いだった。いいよ、好きなだけ食ってろ」
火村はアリスをテーブルに残して立ち上がる。なにか一点を見詰めているようだが、アリスにはなにを見ているのか解らない。
そして、そのまま火村は見ているほうへ向かっていった。
「おい、おまえが食べるっていうからとってきたんやないか、これ。どうするんや、火村?」
アリスは確保してきた皿を指差しながら火村の背中に声をかけたが、火村には料理よりも気がかりがあったらしい。振り返りもせずにそのままいってしまった。
「なんや、あいつ。俺、食ってしまうからな!」
アリスは自棄のように言って、欲張って持ってきた料理を頬張った。どれも一流のシェフによるものらしく美味だったが、ひとりで食べていては、それほど美味いと感じられなかった。
退屈だ、と心でぼやいて客たちの観察をする。なにか、原稿のネタでもないだろうか?
昼間声を聴いた古藤田勝美は、やはりよく目立っている。周囲には、取り巻きらしき若い男が何人も群がっていて、そこだけ雰囲気が違っている。どの男もモデルかホストか、とにかく服装は洗練されているし、長身でスタイルもいい。顔立ちも今風で、だけど、というよりだからこそどの男も似たり寄ったりだ。まぁ、二枚目の部類には入るのだろう。お嬢様が連れ歩くのに手ごろなところ。
そんなようすなので、やはりあの婚約者だという宇藤隆の姿は見当たらない。言われた通り、視界に入らないようにでもしているのだろうか?
などと考えながら見回すと、もうひとつ異様な雰囲気の集団を見てしまった。
こちらはあの野脇勝也という男を中心とした若い女性の取り巻き軍団。取り巻きが華やかで、皆が髪を結い上げていたり、それなりにハイヒールなどはいているせいで、勝也の姿はちらりとしか見えない。
けれどそれがそのロックミュージシャンなのだろうとすぐに解るだけの、独特の個性が見てとれる。一種のカリスマ性とでもいったものなのだろう。容貌はワイルドで、端正とも美形とも言いがたい。それでも、印象は鮮烈で、いちど会ったら忘れそうもない。そこいらが、あのお嬢様お取り巻き連中とは一味もふた味も違ったところだろう。
「お兄さん、ひまそうだね。俺と遊ばない?」
野脇勝也観察に夢中になっていたら、いきなり頭のうえから声がした。
しかも、やたらとよく聞き知った声。
「アホ。おまえがちょろちょろいなくなるから暇なんやろ」
火村が戻ってきて、アリスの隣にどかりと腰をおろした。
「俺のせいか? そこらの女に声をかけてみようって甲斐性はないのか?」
「甲斐性の問題ちゃうやろ。そんなことしておまえが知ったら、どうせ妬くくせに。俺は、おまえが可哀想やからそんなことせえへんの」
「話をしたくらいでいちいち嫉妬なんかするか、バカ。かまわないぜ別に。話すくらいなら、な」
口調は軽いが、目は笑っていない。暗に、それ以上なんかあったらただじゃおかない、と言ってるようなものだ。
「それより、なにしにいってたんや?」
アリスは、氷がとけて水っぽくなったカクテルグラスをかたむける。火村が気づいて近くを歩いていたウエイトレスに手をあげ、新しいカクテルを二つ受け取る。
「パーティ会場に似合わねぇ目つきの悪い野郎がうろうろしてたから、ちょっと見てきた」
言って、もらったばかりのカクテルをごくりと飲んだ。
「それで、何者やった?」
興味をひかれて目を輝かせたアリスに、火村は肩を竦めて見せる。
そして、耳を貸せと、人差し指で合図する。
アリスは素直に耳を寄せる。
「わっ」
火村はその耳に囁くふりをして口を近づけ、手で隠しつつぺろりと舐めたのだった。
「なんてことするんや! 人が真面目に話を聞こうとしてるのに」
「だって、耳貸せって言ったら、貸してくれたんだろ。借りたものはどう使おうと俺の勝手だ」
アリスは、そう言われてから初めて周囲の目を気にして見回し、誰も自分たちを見ていないことを確認して、ふっと息を吐き出した。
「つまらん屁理屈こねとらんで、なんやったのか教えろや」
子供じみた言い争いより、火村が見てきたもののほうがアリスには気になっていた。
「つまんないオチだぜ。あの、お嬢様の護衛だ」
火村は、あの、と言いながら古藤田勝美のいるほうに顎をしゃくった。
「護衛つきかぁ。こんなところまで、ご苦労さんな話やなぁ。けど、なんであのお嬢ちゃんの護衛やって解ったんや?」
「あの佐竹さんとかって人と話してたからな。定時連絡みたいなことだったぜ」
「また、立ち聞きしたんか?」
「わざとじゃないぜ。あとを追ったら、そういうことになっちまったんだ」
「大財閥のお嬢様ってのは、常に護衛まで必要なんか。俺、庶民の生まれで良かったかもなぁ」
アリスは勝美に同情の眼差しを向けながら、カクテルを口に運ぶ。
「ところが、常にってわけでもないらしいぜ。どうやらあのお嬢様、命を狙われてるフシがある」
「なんやって?」
アリスが目を見開いて火村を見る。
「ちっともつまらんオチやないやんか!」
「面白がる話でもないだろう?」
「アホ! そういう意味ちゃうわ。けど、なんでまたそんなことになってるんや?」
さぁ、と言って火村は首を傾げる。
「立ち聞きしていて、そこまで問い詰めるわけにもいかねぇよ。詳しい事情までは話してなかった。けど、すごい緊張感はばしばし伝わってきたぜ。だからこそ、あの護衛が胡散臭く見えたし、やたら目立つように思えたんだけどな。推理作家の先生は料理を消費するのに一生懸命でちっとも見えてなかったようだが」
「悪かったな。けど、おまえも少しは食ったらどうや?」
火村は、料理をとって席につくなり行ってしまったのだ。とってきた料理はどれも冷めてしまっている。
「そうだな。ま、俺にとってもさすがに食べごろは過ぎたようだけど、いただくとするかな」
場内を流れるピアノの曲は、いつの間にやらスタンダードジャズに変わっていた。
相変わらず和やかに、時は流れていっている。まだ、このときまでは―――。
4へつづく(2000.4.29)