昨夜のアリバイ

 〜誰が犯人かは作者も知らない〜

***6***

 

「ご存知でしたか」

 吉幡の遠まわしな肯定。経緯を説明しながらお客様としか呼ばなかったのは、見知らぬ他人であるなら名前を明かすのを避けられないだろうか、という配慮だったのかも知れない。それが無駄だったことを知り、乗務員は苦々しい表情をしている。

「知人、というわけではありません。昼間、見かけたというだけです。でも、パーティ会場では見かけませんでした」

 火村よりさきに、アリスがそう説明した。あの古藤田勝美の護衛を追って火村が席を外していた間、ひまだったから客たちを観察していた。ぼんやり眺めていただけだったが、知り合いがたくさんいるわけではないので、見たことのある顔を見逃すとも思えない。とくに、目立っていた彼女のまわりには自然と目がいったから、周辺に婚約者だという男の姿がないということも、あんなことを言われたばかりでは仕方ないことかと考えたりしていたのだ。

「パーティには出席していなかったのでしょう。仕事をされていたんでしょうから」

 自分の話を聞いていなかったのか? とでも言いたげに、吉幡がアリスを見た。

「ちょっと、そこをおどきなさいよ! 私が古藤田よ。その部屋の男と世間では婚約者だってことになってるのよ。なにがどうなってるって言うの? 宇藤が殺されたって本当なの?」

 ヒステリックな叫び声に、周囲の人垣は気圧されるように引き下がり、その間をぬけて派手な化粧にパーティ会場で着ていたのとはまた別のラメ入りブラウンのロングタイトドレスに身を包んだ美女が姿を現す。

 この騒ぎで、野次馬は増え続けていた。そのうちの誰かが、彼女にこの異常事態を報告したのだろう。

 誰よりも早く火村がドアのまえに立ちはだかり、勝美の視界から遺体を隠す。

「彼をよく知るかたに、確認していただいたほうがいいかも知れません。しかし、ほかのかたにお願いしましょう。佐竹さんとおっしゃいましたか? 彼を呼んでください」

 火村の言葉に、勝美は目を剥いた。真っ赤な唇をきりりとかみ締め、強い視線で睨みつける。

「この私に命令するおつもり? あなたは、どなた?」

「ああ、お待ちください古藤田さま。確認の必要はありません。彼は確かに宇藤隆さまですから。わたしもよく存じ上げてます。宇藤社長のご子息ですからね」

 火村と勝美の間に割って入ったのは、兒玉船長だった。この船の運航会社の筆頭株主が宇藤地所だ。

 勝美は、こんどはその兒玉を不愉快そうな顔で見る。心の不安を押し隠し、なんとか気丈にふるまおうとしているのか、それとも本当に怒っているのか、はたからは解らない。

「本当なの? 宇藤が本当に殺されたって言うの? そこをどきなさい。見せなさい、その部屋のなかを!!」

「やめておいたほうがいいでしょう、古藤田さま。現場保存を第一に考えておりますから、お嬢様にお見せ出来るような状況ではございません」

 胸にナイフを突き立てたままの状態でベッドのうえに仰臥しているのだ。本人の主張する通りの名ばかりの婚約者であったとしても、女性に見せたいような現場ではない。

「見るか見ないかは、私が決めるわ。お気遣いいただかなくて結構よ。さぁ、そこをおどきなさい」

 火村は苦笑して、あっさりと脇にどいた。

 船長と吉幡が、慌てて勝美の両腕を掴んで引き止めようとした。けれど、それよりも勝美の動きのほうが一瞬早かった。

 勝美は、二人の脇をすり抜け部屋に踏み込んだ。

 そこにある光景を目にし、整った顔がみるみるひき歪む。

 何度か瞬きしたあとで、それでも消えない現実に苛立ったように髪を掻き毟る。

 そして―――。

「隆っ!!」

 叫んで駆け寄る。

「触るな!」

 遺体に取りすがろうとした勝美の動きを、火村の強い声が引き止めた。

「海が荒れているせいで、警察がすぐには来られない。だから、鑑識を入れるまえにこの部屋のなにものにも触れてはいけない。それはこの世のルールってやつで、あんたが決めることじゃない」

 古藤田勝美、という名前を振りかざしているのに、それでもこれだけ厳しく話す相手を、おそらく彼女は今まで知らなかったのだろう。

 あまりに驚いたせいで、唇をわなわなと震わせるばかりで、言葉を返すことも出来ずにいる。

 このままでは、ショックと怒りのダブルパンチで今にも卒倒するのではないか。火村以外の、周囲の誰もがそう危ぶんだ。

「火村・・・・・・」

 アリスは、火村をなだめようとするようにその肩に触れ、それからゆっくりと進み出る。

「こんなことになって、お気の毒です。このままというのは、辛いやろうと思う。けど、誰がやったのか知るためには必要なことやから、こらえてな」

 幼い子供に話しかけるような、ゆっくりと噛んで含めるようにやさしい声でアリスは言った。

 勝美は遺体の寸前で立ち止まり、火村とアリスの顔を交互に見る。握り締められたレースの手袋をした拳は細かく震えている。大きな瞳は、潤んでいたが涙をこぼすまいとするかのように見開かれている。

 胡散臭い。いったい、何者なのか? と不審に思いながらも、アリスが精一杯なぐさめようとしているのだろうということだけ察したようだ。

「誰が・・・・・・誰がこんなことをしたの? 誰が、隆を殺したの?」

 火村を無視し、アリスに向かって勝美は訊いた。

「それはまだ解りません。けど、この船から逃げることは出来へんはずやから」

 海は荒れている。そのせいで警察の到着が遅れているそのかわり、犯人も船外へ逃れることは出来ないだろう。犯人は必ず、この船にまだ乗っている。

「お嬢様、もうよろしいでしょう。こちらへどうぞ。そのかたのおっしゃる通り、現場保存を警察からも厳命されておりますから、吉幡くん、古藤田さまをお部屋までお送りしてきなさい」

 こんどは勝美も逆らわなかった。ただ、吉幡に急きたてられるように部屋を去り際振り返り。

「誰だか知らないけど、その無礼な態度。絶対忘れないわよ」

 と、火村に捨て台詞を残していった。

 最前まで取り乱し、今にも泣き出しそうにしていたことなど伺わせない毅然とした態度で、背筋を伸ばし、真っ直ぐに顔をあげて野次馬たちの注目するなかを歩き去った。

 その後ろ姿を感心したように見送ったあと。

「あんなにきつい言い方せんでもええやろうに」

 アリスは、火村にだけ聴こえるような小声で囁いた。

「ふん。あの女、あれが犯人だったら主演女優賞がとれるな」

「それはないやろう。いくらなんでもあんなに震えて、泣いとったのに」

「解らないぜ。まだ今は、この船の乗員、乗客、全員が容疑者だ」

 

 

 7へつづく(2000.5.20)

 

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