昨夜のアリバイ

 〜誰が犯人かは作者も知らない〜

***8***

 

 火村は、そんな勝美のようすに気遣うことなく次の質問にうつる。

「昨夜の午後8時から我々のいる事件現場にいらっしゃるまでの間、どこでなにをしてどなたとご一緒だったか教えてください」

 勝美は、きつい瞳で火村を睨みつけ、唇を震わせた。あまりの怒りのために、言葉が出てこないらしい。

「宇藤さんをご存知のかたには特に、場合によってはご存知ないかたにも同じ質問をさせてもらいます」

 言って、いいですね? と念を押すように火村は船長のほうを見る。

 船長は諦めに似た表情で頷く。そして、勝美に対しては平身低頭する。

「まことに恐縮でございますが、どうかご協力ください」

 額をテーブルにこすりつけんばかりの勢いに、勝美もなんとか怒りをおさめた。

「解りました。でも、さきに説明していただきたいわ。何故8時以降なのかしら? どんな根拠からその時間なの?」

 自分には、詳細を説明させる権利がある、と確信している口調だった。

「乗務員が大事に気がついたのが本日零時10分過ぎです。それから海上警察に連絡を取るなどして私たちに協力を要請し、あの部屋に入ったのが午前零時35分。この船のドクターに確認してもらった結果の推定で、正式な解剖の結果ではありませんから時間には余裕をもたせています。それも、彼の生前の姿をもっと遅い時間に見ているかたがいらっしゃれば、更に絞り込むことが出来るでしょう」

 解剖の結果。という言葉に、勝美は眉をひそめる。自分の目で、確かめた婚約者の死が、一夜明けて現実感をなくしていた。その直視しがたい現実を、再び目の前につきつけられている。

 長いまつげを伏せて、しばらく黙りこんだあとで低い声で答える。

「昨日の午後8時なら、もうパーティ会場にいた。食事もお酒もそれなりにとって、友人や久し振りに会う知人に挨拶をして、近況を報告しあったり・・・・・・たくさんお喋りして疲れて部屋に戻ったのが11時過ぎだった。パーティ会場には人が大勢いたから、誰と一緒ということもないと思う。私のことなら、誰かしら覚えているんじゃないかしら」

 他の誰かが言えば、とんでもなく自意識過剰な台詞だと呆れられたかも知れない。けれど、どこに立っていても周囲の目をひかずにおけないほど華やかに派手に目立ちまくっていた彼女であるから、それは単なる正論でしかない。逆に、それが正論であるからこそ、厭味な言い草と憤慨するむきもあるかも知れないが、火村もアリスも単なる事実として受け止めた。

「部屋に帰って、それ以降はいかがです?」

「シャワーを浴びて、一休みしていると野脇くんが呼びに来たわ。海が荒れててすごいから、ちょっと甲板に出てみないかって」

 火村は目を見開き、アリスに視線をなげる。おまえが、壁一枚隔てた船内と、外の荒れた海に思いをはせていた頃、その荒れっぷりを面白がって見学しようなんて酔狂なお金持ちがいたようだぜ。その目は、そうとでも言っているようだった。

 アリスは、軽く溜め息をついて肩を竦めた。俺たちの知らない世界、ってわけやな。と、無言でそう答えたのだろう。

 そんな二人の、軽蔑を隠さないあからさまな態度を、勝美はまるで気にする風もなく続ける。

「野脇くんのほかにも、安田くんと佐久原くんと・・・・・・川西さんと篠村さんだったかな・・・がいて、みんなで行ってみようって誘われてた。せっかくシャワー浴びたのに面倒だったんだけど、ここで断ってまたお高く止まってなんて噂されるのも面倒くさいからつき合ったわ。とは言っても、甲板に一歩足を踏み入れるかどうかってところで、こちらの乗務員に止められたけど」

「兒玉船長、その乗務員のかたに確認をとってください」

「わかりました」

 バンッ!!

 いきなり激昂して、勝美がテーブルを叩いた。白い手が赤くなっている。よほど、痛いだろうに、表情は変わらない。

「私の言うことが信用出来ないの?」

「誰の証言を信用し、誰の証言に信憑性がないと判断するか。それはこれから検討します。現段階では、この船に乗っているすべての人間が容疑者ですから」

 勝美は、冷ややかな笑みを浮かべる。

「だったら、センセイも容疑者のひとりってわけね」

 助教授だという紹介を覚えていたのだろう。尊敬など欠片も感じ取れない揶揄するような『センセイ』という呼びかけだったが、火村のほうもポーカーフェイスを崩さない。

「そう考えてもらっても結構」

「火村先生!」

 これには、船長が慌てたような声をあげた。

 けれど、火村はそれを制するように片手をあげて、不敵に笑う。

「ただし、警察はそうは考えてない。ここにいらっしゃる船長も、おそらくここの乗務員の皆さんも。だからこそ、捜査のお手伝いを任されてる。そういう状況は、最初に説明したはずですがね」

「解ってるわよ。宇藤には、センセイみたいな厭味な男の友人も知人もいなかったことくらい、知ってるから」

「犯人が、友人知人とは限りませんがね」

 コツコツコツ・・・・・・・・・。

 勝美は、こんどは拳骨をつくって、苛立たしげにテーブルを小刻みに叩いた。

 そのようすは、短気で短慮なだけ、というようにも、実はすべての効果を狙っての芝居であるようにも見える。なにせ、いちいちが大袈裟なのだ。怒った顔をするときにも、大きく息を飲むさまも。どこか、計算があるようにも見受けられる。

「私を怒らせて、なにか喋らせようって魂胆なの?」

「怒ると口が軽くなる癖でもお持ちですか?」

 ガタン、と音を立てて勝美が椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

「船長。もう、耐えられないわ。私、すっかりアリバイも喋ったし、これ以上この不愉快なセンセイと話すことはないから!!」

「古藤田さまっ」

 船長が、困りきった顔で腰を浮かす。

 けれど、そんな制止の声になど耳を貸さず、勝美は鼻息荒く退場していった。

「火村先生、もう少し言葉をお選びくださいませんか?」

 残された船長は、白いハンカチで流れる汗を拭いながら火村に懇願する。

「年長者への礼を尽くすことも知らない子供相手に、これ以上選ぶのは難しいと思いますが」

 勝美がいっさい敬語を使わずに喋っていたことや、火村たちに対する不遜な態度に対して、本気で腹を立てているわけではない。言葉遣いを知らない子供など、英都大学にもやまほどいる。今更、そんなことを嘆く気持ちもないし、恥ずかしいのは本人であって自分ではないと思っている。ただ、船長のおろおろするようすが、ちょっと面白くなってしまっただけなのだろう。

 そんな人の悪さをよく知るアリスは、隣から肘で相棒をつつく。

「いい加減にせえって。いらんところで捜査が混乱するだけやろうに」

 小声でたしなめられ、火村はまぁ、落ち着けとばかりにアリスの肩を叩く。

「大丈夫だ。それより船長。すぐにさっきの古藤田さんの証言にあった乗務員の特定と状況の確認をお願いします。それから、次は佐竹さんってひとを呼んでください。あのお嬢様のお守係かなにかでしょう?」

 火村の質問に、船長はとんでもない、と首を振る。

「佐竹様は、古藤田光学通信の専務です」

「会社とか役職とかは、今口頭で聴いても覚えきれませんから、あとで表でも作っていただけますか? 出来れば、取引のある会社同士は得意先か仕入先かも明確にしてもらえると助かるんですが」

 どんな大きな会社の役職者であっても、火村には関係のないことだった。

 船長は、それでも念を押す。

「頼みますから、佐竹専務には失礼なことを言わないでください」

 そうして、ぐったりと疲れたようすでドアを開けるとそばに待機している乗務員にさきほどの用件を指示し、佐竹を呼ぶようにと告げた。

 

 

9へつづく(2000.6.17)

 

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