〜誰が犯人かは作者も知らない〜
古藤田光学通信という会社は、古藤田財閥の中核にある。そこの専務だというだけあって、佐竹は堂々としている。
しかし、昨日宇藤隆と話していたときよりも、疲れたようすは隠せない。話し振りから推して、隆が子供の頃からの旧知だったのだろう。その隆が無残な殺され方をしたのだ。内心のショックは隠し切れない。
「昨日、被害者と佐竹さんがデッキでお話しているのを、偶然見かけたのですが」
勝美のときと同じように船長から紹介された火村が、早速とばかりに本題に入る。
「当社の会長と隆さまのお父様が、大学時代からの親友なんです。それで、勝美お嬢さんが生まれた直後に、隆さんと婚約されました。当時私は、会長の秘書をしておりましたから、それでお会いする機会も多く、懇意にさせていただいております」
隆の死亡を、心のどこかで認めたくないのだろうか。佐竹は『懇意にさせていただいております』と、現在進行形で言った。
「失礼ですが、その婚約のことで、揉めていらっしゃったのではありませんか?」
火村の言葉に、佐竹は切なげに目を細める。
「揉めているように、よくご存知ないかたには見えたでしょうね。ですが、そんなことはありません。お嬢さんのあれは、本心じゃありませんから」
「さきほども、自分から婚約を解消するつもりだったと言っていたようですが?」
「祖父や親の決めたことに従うのではなく、隆さんから直接プロポーズしてもらいたかったのでしょう。隆さんは、真面目で控えめなかたで、そこのところがなかなか理解出来ないでいたようですが」
昨夜来の勝美の言動から推し量ると、佐竹の言うことには説得力があった。
「お二人だって、喧嘩することはあるでしょう?」
佐竹に逆に質問されて、火村とアリスは顔を見合わせる。どうして、いきなり自分たちの話になったのか、解らずに首を傾げる。
「すみませんね、急に話を変えて」
と言いながら、佐竹は頭に手をやりながら苦笑する。
「こんな豪華客船に、ご一緒に乗っておられる。失礼だが、先生がたくらいのお歳なら女性を伴っているほうが自然でしょう。それを男性二人でいらっしゃってる。お仕事でいらしたにしても、よほど親しいのでしょう?」
物腰やわらかくおっとりとした見かけによらず、佐竹は抜け目がないのかも知れない。一方的に自分の話だけ聞かせて帰るわけにはいかない。宇藤隆の事件を調べている民間人が、どういう者たちなのか。それなりの情報は持って帰ろう、という魂胆らしい。
「自分たちも、大学時代からの親友ですから」
火村はにっこり笑って答えた。
アリスは、親友、という言葉に力を入れた火村を非難するような目で睨んだ。当然、恋人と紹介されないことを不服として、というわけではない。ただ、言外に古藤田と宇藤の会長、社長を茶化すような態度を諌めたいだけだ。
だが、そんなようすには気がつかぬようで、佐竹は微笑んで深く頷く。
「そうでしたか。それで、こんどの隆様の事件も、お二人の研究対象となるわけですか?」
そんなことは不愉快だ。佐竹は、おっとりとした言葉に、はっきりとその気持ちをこめて言った。
勝美とはまた微妙に異なる思惑を抱えているのだろう。犯人が解ったとき。そして、殺害の動機が明らかにされた場合。スキャンダルな事件として報道されるのは、ほぼ間違いない。個人的に会長と社長が親友だなどというほかに、会社として取引があり、勝美との婚約も周知の事実である以上、それは古藤田グループにとっても歓迎すべきことではないのだろう。
「この件で、本を出そうなんて考えてませんよ」
そんな佐竹の考えを読んだかのように、火村があっさりと言う。
「もともと、関わった事件を解決しても、それを公表しないことを前提に、警察に協力していますから」
実際に、火村が解決した事件は両手の指でも足りない。けれど、手柄を主張しない。あくまでも、警察の力で犯人を逮捕させる。火村が関わったことさえ公表しないできた。それだからこそ、警察のほうでも捜査の協力を依頼してくるのだ。
佐竹は、火村の言葉に露骨にほっとした表情を見せた。だが、ふっと肩から力を抜いたのもつかの間で、すぐにまた背筋を伸ばし、真剣な顔で言う。
「話をもどしますとね。なにが言いたかったかと言えば、喧嘩なんておとなになったらなかなか出来なくなるんですよ。みんな、上手に本音を隠すことを覚えますからね。そのほうが面倒がない。なのに、勝美お嬢さんは、隆ぼっちゃんには言いたい放題なんですよ。それだけ心を許している証拠なんです。私と隆さんが話しているのを見たとおっしゃるなら、そのまえの一件もご存知なんでしょう?」
そのまえの一件。つまり、勝美が隆にくってかかっていたシーンのことだろう。そもそも、その勝美の声に驚いて、火村とアリスは彼らに注目することになってしまったのだ。
佐竹はそれを察して、自分の財閥のお嬢様を庇いにかかっている。
「喧嘩するほど仲がいいという言葉を地でいっていたような二人なんです。ですから、もし勝美お嬢さんを疑っているなら、それはまったく見当違いです」
「まだ、どなたを特に疑う、というような段階じゃありません」
火村は、きっぱりと言う。捜査は始まったばかりだった。警察が介入出来ないでいる今、鑑識も入れない状況では、解らないことが多すぎる。せめてもと、乗客のアリバイ確認から始めてみたが、それもまだ二人目、という状況だ。
「ところで佐竹さん。昨夜の午後8時から今日の午前0時10分までの間、どこにいらして、どなたとご一緒でしたか?」
佐竹は、面白そうに火村とアリスを等分に見て、顎に手をやった。
「ほう、アリバイの確認というわけですね」
自分まで疑うのか? と、その目は怒っている。けれど、静かな動作で手帳を取り出して、開いた。そうしてゆっくりと胸ポケットから度の厚いめがねを取り出して、かける。
「老眼なものでしてね」
見かけは、老人というようではない。恰幅もよく、声にもはりがある。しかし、そんな外見よりもう少し歳をとっているのかも知れない。
「午後7時にはパーティ会場にいましたよ。しかし、さすがにどなたとどなたに挨拶したか、まで細かくは書きませんでしたからねぇ」
アリスのように、佐竹も手帳を日記がわりにしているのかも知れない。けれど、手帳の小さなスペースには、あまり多くのことを書き記せない。
佐竹は、記憶を辿るように目を宙に向けて、考え考え話す。
「確か、小柴製作所の糸川常務夫妻と最初にお会いして、それからしばらく奥様のお話を拝聴しました。そのあとは、サトウ機械の飯嶋企画部長ご夫妻にご挨拶して、ご一緒されていた日之出工業の朝日本部長にご紹介いただきました。本部長とは初対面で名刺交換しましたから、今それも持ってます。あとは、ええと、芝浦産業の木下専務と向山常務が、利きワインをしようと誘いにきまして、船山コーポレーションの船山社長とその奥様も加わって・・・と、あの利きワインには他にも何人かいましたな。そのあとは―――」
聴いたことがあるようなないような会社名の羅列。いかに有効に、このパーティ出席をこんごの経営に役立てるか。企業家たちにとっても昨夜はそれなりに熱い夜であったことを伺わせる佐竹の証言は、最後までこんな調子だった。
アリスは途中でなんどかストップをかけては、聞き取れなかった固有名詞の確認をしながら、すべてを書き取った。
聞き終わるころには、すっかり疲れてしまうほどの分量だった。
「なにぶん、この歳ですからね。午後11時にはおとなしく自室に戻りましたよ。それから、お聴きになった午前0時10分まで、ですか? その間のアリバイは誰にも証明してもらえませんね。風呂に入ってすぐに寝てしまいました。ですから、皆が隆様の部屋のまえに集まって大騒ぎだったというのも、朝になって耳にしました」
「ところで、宇藤隆さんを恨んでいる者に、心当たりはありますか?」
火村の質問に、とんでもないと目を見開いて、大袈裟なくらいの勢いで佐竹はかぶりを振った。
「穏やかでやさしい方なんですよ。誰からも、恨まれていたはずがありません」
その答えは、勝美とほぼ同じだった。
10へつづく(2000.7.15)