銀のつなぐ路・第1話「出直し」

 自分達は何を守りたかったのだろう?
 村の守護者「守人」を継ぎ、その使命に忠実だった彼女、フォクメリアは疑問を覚えた。
 侵略してきた海の民の猛攻の前に、フォクメリアが守るはずだった村人の大半は連れ去られ、わずかに残った若者達は他の大陸に逃がされ、もう戻って来ないだろう。
 そして、フォクメリアの身内の中で唯一人この国に残った弟分のセレニオも、重傷を負って生死の淵にあった。
 セレニオの背中から腹に突き抜けた傷は致命的だが、それ以前に、それまでの戦傷が化膿していて、すでに助かる身体ではなかった。
 最後の背中の大傷を負わせた海の民の女兵士ミルカを、フォクメリアは責める気になれなかった。
 自分も、彼女も、セレニオも、ただ義務に忠実だっただけ。
 フォクメリアにとって最後の身内であるセレニオが生命活動を終えるのも、各々が義務を果たした結果に過ぎない。

「(セレニオ…もう楽になっていいんだよ。あなたはもう充分に戦った。最後の最後まで勇敢だったあなたは、私の自慢の弟です。だから、もう…おやすみ。)」

 そう願いながらも、フォクメリアは諦め切れないでいた。
 この日もフォクメリアはトルク王宮の一室に寝かされたセレニオに付きっきりで、食事や薬を口移しで飲ませ、その他の世話も怠りなく続けた。
 そして、相手のセレニオもなかなか死ななかった。
 とどめを刺す事が慈悲とみなされるような状態にありながら、彼は発汗して、苦しげな寝顔を浮かべつつも生き続けた。
 時折、海の民ミルカや、トルクの王子アネスが見舞いに来たが、その度に彼女達は驚きの表情を浮かべていた。
 
 
 
 セレニオには微かに意識があり、自分がフォクメリアに世話されているのを感じていた。
 そして、セレニオは願った。

「(まだ死ぬわけには行かない。…メリア姉の安全を確保するまでは。どんなに苦しくてもいい。最後に、メリア姉だけは守りたい。)」

 その強い意志が、セレニオの身体に生命をつなぎ留めた。
 そして、寝かされてから1週間ほど経ったある日、セレニオはついに目を開いた。

「メリア姉…心配かけて、ごめん。もう大丈夫だから。」

 その声は細かったが、確かな生気を感じさせた。
 フォクメリアは駆け寄ることも忘れ、その場に膝を突いて、肩を震わせた。
 
 
 
 セレニオ回復の報せは、海の民でも一部の者の気を引いた。
 戦時中は多数の海の民を討ち取っていたセレニオだったが、意外にも恨む者はなく、むしろ敬意を持たれていた。
 そして、戦争末期にセレニオを背後から刺したミルカも、挨拶に訪れた。

「あ、あの…ベネシス様との決闘中に、後ろから刺しました。」

「わざわざ、そんなことを言いに来たのか。娘、ミルカと言ったか。気にするな。私もそちらの戦士を何人も、奇襲で仕留めている。」

 そう答えながら、セレニオはむしろミルカに対して感心していた。
 決闘に集中していたセレニオを刺す…それは口で言うほど簡単なことではない。
 あの時、ミルカはただ思うだけでなく行動を開始し、動き回っていたセレニオの背後に接近し、相手の背中から腹部まで剣を貫通させていた。
 戦いの場で、そこまで自分の思った通りに動ける者は少ない。

「むしろ聞きたい。海の民の中で、あなたを悪く言う者がいるのか?」

「いやあ…決闘の邪魔をして、あなた様とベネシス様の名誉を辱めたんで、もう居場所がないくらいで…。」

 ミルカとしても自分の生命に未練はあったが、同時に「どう断罪されても仕方ない」とも考えていた。
 自分の意志で軍に加わった以上、名誉も戦利品も、危険も処罰も、全ては自己責任だった。
 …もっとも、ミルカは意識の戻ったセレニオに言われるであろうことを色々と予想し、命乞いの言葉も考えていたのであったが。

「私も戦いの慣習に詳しいわけではないが、あなたを責められる筋合いではない。それを誰に証言すれば、あなたは仲間の元に帰れるのか…ベネシス殿に話を通そう。私が歩けるようになったら、引き合わせてもらいたい。」

 そう語るセレニオの話し方や態度は、ミルカが想像していたより遥かに紳士的だった。
 そのセレニオの鳶色の瞳には、妙な冷たさこそあるものの、ミルカはそこに強い自律心を見た。
 それについて、セレニオは後に「私は元々気がひどく短い。そんな自分を抱えているから、感情との関わり方も工夫している」と語り、多くの人から「冷徹」と評されるが、ミルカはこの時に次のことを決意した。

「(決めた。この人を『ご主人様』にしよう。)」

 セレニオに魅力や才覚を感じたわけではないが、なぜか「(この人と、あたしは『合う』)」とミルカの直感は告げていた。
 その直感が正しいか、誤っているか、ミルカは賭けに出ることにした。

「ところで、これから、どうやって生活なさるおつもりで?」

「? あー、狩人に戻ろうにも、狩場は奪われてしまっている、と言うわけだな。そうなると…アネス様か海の民の将に頼み込んで、取り締まりか警護の仕事を回してもらって、その見返りに食べ物を分けてもらえれば良いのだが。」

「そのお仕事! ご一緒させていただくわけには行きませんか? 書類関係のことなら、お手伝いできると思います。」

「一つ確認を取っておきたい。海から…と言うか、船で食べ物は入ってきているか?」

 そのセレニオからの問い返しに、ミルカは即答できなかった。
 一方のセレニオは急に青ざめると、跳ね起きた。
 そして、セレニオは寝台に敷かれていた布を自分の腰に巻き付けると、ミルカに説明した。

「食べ物が足りない。…順を追って話すと、海の民は略奪品をあてにして攻めてきたのだろうが、このトルクにもそれほど蓄えがあるわけではない。そうなると、この先にあるのは戦いの再発…それどころか、味方同士でも食べ物を奪い合うようになる。」

 地域ごと飢餓状態になれば、敵も味方もない。
 力ある者が食料を奪おうとしたところで、無い物を奪うことはできない。

「ミルカ、仕事だ。額に傷のある海の民で、ベルヴェータと言う人を捜してもらいたい。大事な協力者になるはずだ。私のほうも今から、トルク側の者と話をつけてくる。」

 そう指示を出しながら、セレニオは会うべき者達の名前を思い浮かべた。
 テュニス先代王は植物に詳しく、弓兵ルディオはセレニオなどより遥かに優秀な狩人だった。
 
 
 
 王都トルク城内の小高い丘にある農園で、先代王テュニスに面会すると、セレニオは「このような格好で失礼ですが、一刻を争いますので」と前置きしてから尋ねた。

「率直に聞きます。可能な限り早く収穫できる物はありますか? 雑草でも根を煮込んで食べられる物があると聞きました。」

 こうしたことを相談できる人を、セレニオは他に知らない。
 すると、普段は「無為の人」と評されるテュニス先代王の目に、鋭い光が宿った。

「セレニオ殿、それは食糧危機が迫っていることを言っているのですね?」

「ええ。」

 すでに対策済みなら、セレニオも余計なことをする必要がない。
 そう早合点したセレニオに向かって、テュニス先代王は興奮して叫んだ。

「素晴らしい! それを言い出したのは、君が初めてですよ! 私の知っている畑はどこも荒らされるばかりで、世話をする人は誰もいなくなりました。秋も近いのに、今年はどこの畑も収穫が望めない。このままでは、皆、そろって飢え死になのに、誰もその問題を直視しようとしない。…そこで、セレニオ殿なら、どうします?」

 飢餓への対策を考えていたテュニスも、まだ実行まではできていなかった。
 それだけに、自分と同じ懸念を意見して来たセレニオに対して、テュニスが向けた関心は大きかった。
 セレニオは少々気圧されながらも、テュニスからの質問に対し、思ったことをそのまま答えた。

「狩人を動員して、山の中に隠し畑を作る、というのは?」

「ますます素晴らしいですね! 正解です。狩りだけに頼れば、生態系が崩れて再生産性がない。農耕や牧畜も現状では、作物が収穫期を迎える前に荒らされてしまって十分な収穫にならない。…そこで、囮(おとり)の畑では、盗んだ者が食べ残しを種芋としても活用できる甘藷を栽培して、本命の隠し畑では、今年は葛(くず)を栽培して飢えをしのぎ、来年は栄養価の高い穀物に切り替えるのです。」

 自分にとって興味のある話題になると、テュニスは頭も口もよく回る趣味人だった。
 平時なら誰からも「無駄」とみなされる知識ばかり豊富なテュニス先代王は、誰からも期待されず、彼自身も「期待されたい」などと思っていなかった。
 しかし、今回の非常時において、本来なら無用だったはずの知識と…まがりなりにも「王」だった者の資質が発揮された。

「このテュニスの指揮では説得力がなく、それは自覚していますよ。だから、セレニオ殿、本命の隠し畑は君が指揮を執るのです。畑の作り方や植える植物の特徴はしっかり教えますから、君も人に教えられるくらい習熟していただきます。…ご同意いただけますか?」

「急いで始めましょう。ただ…。いや、余計なことを考えました。」

 今から植えるのでは、迫ってきている飢餓に間に合わない…とも、セレニオは思ったが、それを今この場で言うのは避けた。
 飢餓対策の本命として、テュニス考案の栽培計画は今すぐにでも実行に移さねばならぬことで、余計な口出しは時間の浪費でしかない。
 セレニオは、弓兵としてこの王都トルクに留まっている知り合いの狩人達を呼び集めるため、腰布一つの格好で走り出した。
 
 
 
 セレニオと呼び集められた狩人達が、テュニス先代王から植える作物について一通りの説明を受けると、空はすっかり夜になっていた。
 そしてセレニオは、彼の帰りを待っていたフォクメリアに叱られた。

「もう! ちょっと目を離した隙に、病み上がりで飛び出して! ミルカにも謝りなさい!」

 今のトルクで、セレニオの身を心配してくれるのは、フォクメリアだけに違いなかった。
 それでも、セレニオには時間が惜しかった。

「テュニス先代王から密命を受けたんだ。明日から出かけるけど、『機密』って言うやつで、メリア姉にも話せない約束なんだよ。」

 そう語るセレニオに、フォクメリアは多少なりと不満を覚えたものの、あまり追及しないことにした。
 姉が弟可愛さに、相手の成長を妨げるわけにも行かない。
 フォクメリアは話題を変えた。

「まあ、こんな時期だから…お偉いさんは、セレニオを使うしかないんだろうね。…それより、そこのミルカをどうするつもり?」

 フォクメリアが指差した先で、海の民の少女ミルカが部屋の掃除を終え、帰って来たセレニオの食事の配膳に取り掛かっていた。
 そして、セレニオと目が合うと、ミルカは片膝を突いて恭しく挨拶した。

「お帰りなさいませ、ご主人様。今日からここに、住み込みをさせていただきます。」

 仕事は細かくても、性質は図太いミルカの性格の一端がうかがえる発言だった。
 ミルカのこうした胆の太さは後に、セレニオにとって大きな助けになるが、それを予測できた者はいなかった。
 ただミルカだけは、自分の忠誠心に自信を抱いていた。

「ところで、ご主人様。お捜しの人物は、ベルヴェータ・レントゥルス。25歳。女性。階級は傭兵。…お間違え、ありませんか?」

「もう、そこまで調べ上げたのか。仕事が速いな。」

 予想していなかったミルカの有能さに、セレニオの口元にわずかな笑みが浮かんだ。
 元々感情を表に出さないセレニオだったが、ミルカは「むしろ、心の表情は豊かな人だ」と見た。

「ベルヴェータ女史ですが、近いうちにお会いしたいそうです。…ただ、私ごときが口を挟むのは僭越ですが、少々危険ではないのでしょうか。」

 そのミルカから懸念に、セレニオは何も答えなかった。
 答えずに、セレニオは食卓に着き

「あなたは良い仕事をするようだ。今日はもう休み、明日の仕事に備えてくれ。…メリア姉、王宮には私のほうで話を通すから、ミルカをメリア姉の部屋に住まわせてもらえないかな? 彼女は私の仕事に欠かせない人だから、メリア姉も可愛がってくれると嬉しい。」

 と言って、少々遅くなった夕食を口にし始めた。
 一方のフォクメリアは、自分の村を滅ぼした海の民の一人で、セレニオにも重傷を負わせた当人のミルカを身近に置いていいのか少し迷ったが、「セレニオが信用するなら」と考え直して、部屋にミルカの寝台を用意した。
 
 
 
 翌朝、動きやすい服装に着替えたセレニオはテュニス先代王の農園に向かい、山に植える植物とその栽培法について、さらに指導を受けた。
 セレニオとしては、すぐにでも狩人仲間を連れて山に向かいたかったが、テュニスにたしなめられた。

「積極性、行動力。それは素晴らしいのですが、考える前に走るのは、必ずしも最善とは言えません。…君なら、これ以上説明しなくても、理解してくれますね?」

 そのテュニスの口調は温和でありながら、どこか厳しかった。
 そして、この日もテュニスはセレニオに付きっきりで、農園で育てている作物の特徴や、その栽培法を指導した。
 セレニオに付いて来たフォクメリアとミルカも、同じように、テュニスから優しくも厳しく指導された。

「セレニオ君達が明日から山へ植えに行く葛は、普段なら畑の強敵です。地上部を切っても、根がしつこく残りますからね。しかし今回は、その葛を農作物として愛するのです。人間に対するのと同じく、ただ可愛がるだけでは愛とは言いません。収穫期が近づいた時に厳しさを示して実りを促す。それもまた、育てる者の役目なのです。」

 趣味人テュニスも、どこか達観したようだった。
 そして、その言葉はセレニオ達に対しても、重みがあった。

「さて…と。まだ教え足りないのですが、明日は山に行きましょう。準備をしてきてください。」

 昨日に続いて、この日もセレニオとテュニスは日が暮れるまで栽培の授業に没頭したが、一日はあまりにも短い。
 教師役のテュニスとしても、他に品種改良や昆虫類の意外な利用法、土壌の生物相など教えたい事は色々とあったものの、今回は急いで栽培を開始する必要があった。
 
 
 
 セレニオ達が王宮に割り当てられた部屋に戻ると、机の上に封書が置かれていた。
 「ミルカさんへ」と宛名を書かれ、折り畳まれて紐を巻きつけられた封書だった。
 開封しようとしたセレニオが、宛名を見て手を止める。

「紙とは珍しい、と思ったら、ミルカ宛だったか。私やメリア姉…いや、フォクメリア姉上が中を見るわけに行かないから、人のいない所で読んで来なさい。」

 ミルカにとって意外なことに、セレニオやフォクメリアは読み書きができる。
 それを察したミルカは、これをセレニオに取り入る好機と見た。

「いえいえ、セレニオ様ご快癒の時、真っ先に駆け付けた忠僕ミルカ、どうしてご主人様に対して、公私ともに秘密を持つなどと…。さ、何とぞご検分を。」

「お前、ずるい奴だな! …いや、ミルカにも事情があるか。私が読み上げるから、後でまた内容を確認してくれ。」

 そのセレニオからの返答に、ミルカはほくそ笑んだ。
 ミルカがどんな悪女であろうと、「使える」のであれば、セレニオは重用する。
 一方のセレニオは、ミルカの不気味な笑みに気づいてはいたが、ミルカをどう教育していいか判らないまま文書を読み上げた。
 
 
 
 封書の差出人は海の民ベルヴェータ・レントゥルス。
 セレニオがミルカに捜し出すよう言いつけていた人物で、その送りつけて来た文書の内容は「挑戦状」。
 さらにその文書の中で、自分がセレニオやフォクメリアの村の人間を殺戮した「実行犯」の一人であることも語っていた。
 一緒に聞いていたフォクメリアの顔が青ざめる。
 ミルカの顔からも軽薄さが消える。

「(わかってた。ベルヴェータさんが、フォクメリア様やセレニオ様にとって、仇だったってこと。その予感はあったのに、あたしは捜し出した。…セレニオ様の従卒ミルカ・ポーナ・ラピノンとして。)」

 殺された人々や、残されたセレニオ達の心情は、第三者のミルカが立ち入れるものではない。
 当事者の一人であるフォクメリアさえ「もう復讐とか止めよう。セレニオまで失いたくない」と言い出せなかった。
 急に重くなったこの場の雰囲気に、緊張したミルカは腹痛を覚えた。

「こ、こんな大事な話をしている時に、申し訳ありません。お手洗いに行かせていただいても、よろしいでしょうか?」

 ミルカの額には脂汗が浮かんでいた。
 一方のセレニオは、妙に緊張感のない表情を浮かべていた。

「? ああ。急いで行っておいで。手はしっかり洗うように。」

 その言葉の続きを待たず、ミルカは駆け出していた。
 そして、部屋に残ったセレニオは、いつもと何ら変わらぬ口調でフォクメリアに

「ミルカがここの生活に慣れてくれると良いね。次に住む場所が見つかると良いけど、今は難しいだろうし。せめて、ここの生活に慣れて、いい仕事をしてもらいたいよ。」

 と話しかけ、封書を再び折り畳んで机に戻した。
 一方のフォクメリアは、セレニオのそうした平静さを奇妙に思ったが、それを問えないままこの日を終えた。

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