銀のつなぐ路・第2話「遅咲き」

 朝、セレニオ達三人が王宮から出ると、海の民ベルヴェータは門前で待っていた。
 海の民の戦士としての正装に身を包み、左肩から吊った剣帯に青銅の剣を佩き、しっかり洗った顔には静謐な表情を浮かべていた。
 そして彼女はセレニオに向かって一歩進み出た。

「セレニオ様、とおっしゃるのですね。一別以来でございます。今まで幾度も剣を交える光栄に与りましたが、それも本日をもって最後とさせていただきたく、こちらに推参いたしました。もし、お心残りがありましたら、日を改めますが、ご返答はいかに?」

 ベルヴェータはセレニオの村の人間を殺戮し、セレニオもベルヴェータの仲間の兵士を何人も殺傷している。
 お互い、晴らしきれるものではない無数の恨みを抱えた仇敵同士だった。
 しかし、セレニオは無防備なまま相手に近づき、その右手を両手で握った。
 それまでの間に、ベルヴェータはなぜかセレニオに剣を抜き打ちしようとせず、なすがままに手を握られた。
 そして、セレニオの口からは応戦ではなく、歓迎の言葉が飛び出してきた。

「急な呼び立てに応じてくださったこと、感謝します。あなたでなければ、こなせない仕事があってお呼びした。…ただ、いくつもの危険を伴う仕事なので、今ここでは話せません。今日はこれから山に行くのですが、ご一緒にどうですか?」

 ベルヴェータを罠にはめるつもりか、それにしては奇妙な申し出だった。
 ベルヴェータは一瞬迷ったものの「(まあ、罠だったらセレニオ側の不名誉だ。私は恥じることない海の民の戦士として死んで行ける。)」と考えて、セレニオ達に同行することに決めた。
 
 
 
 農園に集まっていたテュニス先代王や狩人達は、セレニオが海の民の戦士を連れて来たのを見て、一斉に緊張した表情を浮かべた。
 それでも、セレニオが「こちらはベルヴェータ殿と言って、私の仕事を手伝ってくれる方です。」と紹介すると、多少なりと警戒を和らげた。

「セレニオ君は今回の事業で、私の共同責任者です。その裁量は信じますよ。それに…ミルカ君が実は海の民だった、と言うではありませんか。もう、後戻りはできません。少なくとも、ミルカ君とベルヴェータ殿のことは信じようではありませんか。」

 臆病なテュニスとしても、もう腹をくくるしかない。
 その先代王の発言を、狩人達も支持した。

「ですね。昨日の働きぶりを見ていても、ミルカちゃんが敵だとは思えない。」

「万が一のたくらみがあったところで、このままなら敵味方関係なく餓死するのは、あちらさんも判ってるでしょう。」

「目を見れば判ります。彼女達は誠実そのもの。…いや、ミルカちゃんのほうは、少しだけ…ほんの少しだけ、ずるい娘かもしれませんが。」

「いずれにしても、ここでお喋りしてる時間はありませんよ。さっさと行って、さっさと植えちゃいましょ。」

 故郷を失った狩人達も、今では農園主テュニスに忠実な耕作部隊になりつつある。
 かつてテュニスが現役の国王だった頃にも、ここまで真面目に意見を聞いてくれる臣はいなかった。
 そして、テュニスは号令を発した。

「それでは皆さん、参りましょうか!」

 一行にそう呼びかけたテュニスは、そのまま先頭に立って歩き出した。
 セレニオの姉貴分フォクメリアが、慌ててテュニスを呼び止める。

「テュニス様! 山のほうはセレニオ達に、おまかせになってください!」

 そう叫んだフォクメリアは、テュニスの前に先回りして「通せんぼ」の姿勢を取った。
 狩人達やセレニオも、テュニスを止めようとした。
 …が、テュニスは頑として聞き入れなかった。

「まだ見ぬ植物が! 山の中で私を待っているのです! 我慢できるわけがないでしょう!」

 あまりにも自分の欲望に忠実な発言。
 しかし、ここに居合わせた者達は、そのテュニスの本心を少しだけ「可愛い」と思ってしまった。
 海の民ベルヴェータが進み出て、テュニス先代王に拝礼して宣言した。

「陛下の御身はこのベルヴェータが、海の民の誇りにかけてお守り申し上げます。ですから、何とぞ、御心のままに。」

 成り行きでの参加だったが、ベルヴェータは協力的だった。
 後にセレニオは、このベルヴェータを「気の毒なほど真面目な人」と評する。
 この時もセレニオ達はベルヴェータに誠実さを見て、テュニス先代王の安全を預けることにした。
 
 
 
 山道を往くテュニス先代王は楽しそうで、時折、見慣れない植物を見かけては足を止めた。
 セレニオとしては、テュニスを引きずってでも先を急ぎたかったが、海の民ベルヴェータは強引なことをせず、植物の標本を採取して「持ち帰って、じっくり調べましょう」と言って、テュニスを諭して先を急がせた。
 さらに、話してみると、ベルヴェータは気質の明るい女性だった。
 ここで、やはり同行してきた海の民の少女ミルカが、セレニオの横に並んで尋ねる。

「ベルヴェータさんとは、どんな風に知り合ったんですか?」

「あの森で戦った。たいていの海の民は一回の戦いで私に殺されたが、三度も生き延びたのは、ベルヴェータ殿お一人。しかも、戦うたびに工夫をしてきて、三度目は私のほうが殺されかかった。」

 敵としてお互いの生命をかけて戦ったからこそ、セレニオはベルヴェータの手強さを理解していた。
 ベルヴェータは単純に力や技が優れているではなく、一戦ごとに工夫を怠らない戦いの職人であり、一種の求道者だった。
 そうした戦いに対する姿勢がセレニオを追い詰め、恐怖させ、尊敬さえさせた。

「避けたい相手なのに、こちらが隠れてもすぐに探し当ててくる嫌な敵だった。罠を仕掛けても、逆に利用してくる悪夢のよう奴だった。…だが、それは『味方なら優秀』と言うことにもなる。」

 それが偽りのないセレニオの感想だった。
 また、口外こそしなかったが、セレニオはベルヴェータの別の側面も見ていた。

「(それに、『いつでも死ねる戦士』というのが良い。私の計画に必要なものだ。)」

 そう考えるセレニオには、やはり冷徹な素因があった。
 
 
 
 一行は行く手の石を払い除けたり、灌木を刈り取ったりして道を開いて山奥に分け入った。
 いつしか、トルクの先代王テュニスと海の民ベルヴェータが並んで先頭に立って、一行を引率していた。
 そして、テュニスの軽口を、ベルヴェータはたしなめたりしながら剣を巧みに扱って草木を切り払った。

「斧とか残しておけば良かった。…私物、全部処分して来てしまいましたから。」

 そのベルヴェータの何気ない独り言に、テュニスは妙に敏感に反応した。

「さては、ベルヴェータさん、あなた今日死ぬつもりでしたね? 戦いの装いで来られたのに、あなたからは殺気を感じないのです。」

「当たり、です。私は海の民の戦士です。…来月には、海の民の兵士は全員解雇されます。目端の利く者は、もう分捕り品だけ持ってトルクから離れたのですが。…私は身を寄せていた傭兵隊もなくなってしまいましたし、せめてセレニオさんのような強敵の手にかかれば『人生の締めくくりができる』と。」

 足を止めずにそう答えたベルヴェータは、静かに笑っていた。
 海軍の事故で殉職した両親の名誉を傷つけず、海の民の戦士としての誇りを保ったまま人生を全うすることができれば、それ以上の望みは彼女にはなかった。
 そして、その戦士ベルヴェータの生命を終わらせる相手として、宿敵セレニオは最高の選択肢だった。

「でも、完全に時期とか間違ったみたいですね。今ここで名誉だ復讐だと叫んだところで、寒々しいだけでしょうし。それに…セレニオさんには復讐の意志がないのでは、と恐れています。応じるつもりのない相手を挑発したところで、それはただの侮辱。」

「あなた、妙なところで冷静ですね。でも、話が判るようで助かります。戦士業はしばらく休業なさって、農業をなさいませんか? あなたを恨む人が名乗り出れば、私のほうで話をつけますよ。…予はこのトルク国の先の国王テュニス・リル・エリオ・トルクである。この者の処遇は予が定めるところであり、それに異を唱える者は不忠のそしりを受けることを覚悟しなくてはならない…なーんて。」

 そう言って笑顔を見せたテュニスだったが、崖に差し掛かったところで、急に緊張した面持ちになった。
 そして、岩肌に取り付き、老人とは思えない身のこなしで登り始めた。
 一行が足を止め、心配の面持ちで待っていると、岩壁で小さな植物を採取したテュニスが降りて来た。

「いやあ、白く突然変異したイワギキョウなど、初めて見ましたよ。長生きはするものですね。」

 テュニスは屈託なく笑いながら、採取したばかりの植物から白い花を一輪摘み取って、ベルヴェータの砂色の髪にくくり付けた。

「思った通り、美しい女性によく似合います。」

 トルク王家の男性は、年老いても華やぎを失わない。
 先ほどまでは静謐だったベルヴェータの顔に、いつしか夢見がちな乙女の笑みが浮かんでいた。
 
 
 
 山に分け入ってから2時間ほど進んだ辺りで、開けた場所にたどり着き、ついに引率者テュニスが

「ここ、いいですね。さあ、皆さん、荷物を一か所に集めて。畑づくりと行きましょう!」

 と告げ、荷物から杭と木槌、それに縄を取り出して、畑としての線引きに取り掛かった。
 農とは自然そのものではなく、人が生きるために自然に対して行う闘争である。
 一行はテュニスの指導の下、鋤(すき)で野生植物の根を掘り起こし、引き抜いた植物を一か所に集めて火をつけた。

「それにしても、これほど良い畑なら、麦でも育ちそうですね。」

「お言葉ですが、実りを待っている間に餓死者が出ます。今は当初の目的に集中なさるべきかと。」

 暴走しがちなテュニスを、今度はセレニオがいさめた。
 今ここで農作業をしている者達の大半が、セレニオの口利きで集まって来ていたこともあって、テュニスは意外なほど素直に意見を取り下げた。

「まあ、麦は来年の楽しみに取っておいて、今年は予定通り葛を植えますか。そして、冬が来る少し前に葛を収穫して、春には土壌を豊かにする豆を植えて…秋に麦です。」

 農耕の先達テュニスが、若いセレニオに今後の栽培計画を語る。
 生涯現役を胸に誓っているテュニスではあるが、後継者を育てておきたい気持ちにも嘘はなかった。
 当初のテュニスは、セレニオのことを戦時の風評から「武勇の人なので、自分とは合わない」と思い込んでいたが、実際に会ってみると鋭利な知性を持つ若者だったので、今ではすっかり気に入っていた。
 また、そのセレニオが呼び集めて来た狩人達の意気も上がっていて、そうした若者達を前にすることは、テュニスにとって久しく忘れていた感覚だった。

「テュニス様、この勢いで畑、増やしちゃいませんか?」

「世話なら自分、毎日でも山、通いますよ?」

 そう語る狩人達はまだ元気そうで、その笑顔は明るかった。
 一方、海の民ベルヴェータも何かを話し出そうとしたが、思い止まった。
 その彼女の様子を察して、テュニスが声をかけた。

「ベルヴェータさん、先ほどの話、本当に考えておいてください。畑を作っても、実る前に荒らされては、誰も食べ物を得ることができません。そうなっては、敵味方の区別なく、そろって飢え死にです。…そして、思うのです。あなたのような力ある戦士が畑を守ってくれたら、どれほど救われるだろうか、と。」

 そのテュニスの提案だが、ベルヴェータは即答できなかった。
 ベルヴェータもまた、海の民の傭兵としてトルク民の殺戮に加担していた一人である。
 その彼女が、今さらトルクの味方ヅラをできる道理もない。

「そのお言葉に従えたら、どんなに幸せかと思います。…ただ、私は多くのトルクの人達を殺めた身。」

 ベルヴェータがそう言い出すことは、テュニスも予想していた。
 テュニスはやや先回りして、口を挟むことにした。

「ええ。生き残ったトルクの民の大半は、住処や家族を失いながら逃げて来た遺民。海の民である貴方に、恐怖の目を向ける者もあれば、憎しみの目を向ける者もいるでしょう。それでも、あなたの働きで、死なせずに済む生命もあるかもしれません。…それとも、仲間が私では不足ですか?」

 仮にも一国の王だった者にそこまで言われると、ベルヴェータも断り難かった。
 また、ベルヴェータとしても本音では、新しい働き口はここ最近の絶望から救われた思いで、今すぐにでもテュニスに平伏して忠誠を誓いたいほどであった。
 しかし、トルク側の勇士セレニオに決闘を挑むと公言している手前、彼女としても海の民の戦士として、その発言を撤回するのは容易ではなかった。

「(うーん…。我ながら、ずるいけど…言うか。)」

 同じ海の民でもミルカなら鼻垢程度にも気にしないことを、律義者のベルヴェータは気に病んだ。
 それでも、そろそろ死ぬのが嫌になってきたこともあり、彼女も恥を忍んで、これまでの人生の中で最も狡猾な考えを口にし始めた。

「直接お仕えすることはできません。ただ、セレニオ様の部下として働くことなら可能と思います。セレニオ様とは戦時中に何度も刃を交えた宿敵同士ですが、私もそろそろ負けを認め、勝者たるセレニオ様に従おうと決意しました。」

 これは、言葉だけでは潔く聞こえるが、その内実は判断の責任をセレニオに押し付けると同時に、戦時中の自身の行いに対するトルク民の報復からの守りにセレニオを利用する、狡猾な考えに基づく。
 これにはトルクの狩人達より、むしろ海の民ミルカが過敏に反応した。

「何この女!? ずりい!」

 思わず叫んだミルカだが、そこで黙り込んだ。
 あまり人を罵っていると、自分に対する評価にも響く。
 また、「押しかけ」のミルカに比べ、ベルヴェータは「大事な協力者になるはず」とセレニオから招かれている。
 それを考えると、ミルカとしても、ここで騒ぎ立てるのは得策ではない。

「(ご主人様、気を付けてください。この女、さっきまでは『戦士としての人生を全うする』とか息巻いておきながら、仕事にありつけると判った途端、信じられない手のひら返し。これでも本当に海の民なんでしょうか? それに、『部下になる』って、ご主人様から飯をたかろうって魂胆ですよね? いったい、どこの卑しいトルク鼠なんでしょうか。しまいには、ご主人様に夜這いとか仕掛けて、既成事実を作って『責任取って』とか言い出すに違いありませんよ?)」

 その言葉をミルカは口に出さず呑み込んだが、漏れ出た邪念に、セレニオは身震いした。
 
 
 
 この日、テュニス達はさらに一か所を切り開き、畑を増やした。
 参加している狩人達の意欲は高く、中には

「テュニス様の言ってた麦畑も作っちゃいませんか? 俺、毎日でも山かよって手入れしますよ?」 

 と言い出す若者もいた。
 周囲の者達の表情も明るい。
 一方のセレニオは内心、少し苦々しく思った。
 セレニオはここに居合わせた狩人の一人で、セレニオやフォクメリアの故郷とは別の村の守護者「守人」だった男に声をかけた。

「こうした光景は、あなたには心苦しいだけかもしれない。私も配慮を欠いた。」

 セレニオにそう呼びかけられた守人は、海の民の侵攻で自分の守るべき村も家族も全て失い「もう生きていたくないのに…なぜ、私は死ねないのだろう?」とさえ話していた人物だった。
 人はどこまで絶望しても、簡単に死ねる生き物ではない。
 そして、セレニオはそうした「死ねなかった者」を少し先の仕事仲間として求めていた。
 …が、その候補の一人、かつての守人バリオはセレニオの期待を裏切る返答をし始めた。

「いや、感謝している。カストルの村の守人…一人の男として家族も村も守れず、それを思うと胸も張り裂けそうだが…流民の娘との間に子供ができたのさ。」

「なら、生まれてくる子を飢えさせるわけにも行かない。」

 落胆はしたものの、希望を持つ者を巻き込むことは、セレニオも望まなかった。
 セレニオは誠実な仲間の顔をしたまま、狩人達に次の指示を出した。

「今日はここで引き上げましょう。そして明日からですが、最初は畑を隠したいこともあって、ここにいる人数で始めたものの、これから畑を増やすことを考えると人数も増やしたい。できれば、5人から10人ずつで隊を組んで、テュニス様がそれぞれの隊長を指示する形がいい。だから、あなた方の知り合いで誘えそうな人がいれば、テュニス様に紹介していただきたい。」

 セレニオ自身の思惑とは別に、テュニスの進める農耕も重要である。
 それが判るだけに、セレニオも誠実な態度を崩せなかった。
 
 
 
 一行が王都まで引き上げ、セレニオも王宮内の自室に引き上げた後、テュニスが訪ねて来た。

「セレニオ君、読み書きができるなら、最初からそう言いなさい。明日までにこの二冊、目を通しておいてくださいね。」

 そう言ってテュニスが置いて行ったのは、明らかにトルクとは異文化の革装丁の製本2冊だった。
 しかも、その内容は専門用語が多く、セレニオだけでなくミルカやフォクメリアにも理解が難しかった。

「そのうち、海の民の中で詳しい人を捜すとして、今日は一通り読んでおくしかないか。」

 文章全体を読んでから、言葉一つ一つの意味を文脈に合うよう類推していくしか、この日のセレニオ達に打つ手はなかった。
 そして、セレニオは2時間かけて一冊を読み終えると、その本をミルカに手渡して言った。

「これは多分、肥料についての話だ。人の身体に入るのが『えいよう』で、土に入るのは『ようぶん』らしい。『ようぶん』は大きく分けて3つあって、他にも土の質の傾き…『さんせい』と『えんきせい』の2つの中間が良いのだとか。」

「おおう。驚きの理解力です。さてはご主人様、知将ですね?」

 ミルカがほめそやすが、セレニオはあまり嬉しくなかった。
 そして、セレニオはミルカからもう一冊の本を受け取ると、今度は30分ほどで読み終えた。
 この時のセレニオは、はっきりと不機嫌な表情を浮かべていた。

「難しかったですか?」

「『経営論』だな。物だけでなく人まで数字に置き換えれば、取り引きだけでなく運営もうまく行くという話で、確かにその通りなのだが…あの戦いで、食べ物の残りと、逃げて来た人数から王都が何日持つか計算した。老人や戦傷者を殺処分した場合の日数も計算した。数字を追い求めれば追い求めるほど、人を殺すことに抵抗がなくなってくる。」

 セレニオは戦争中の自分の思考について、自己嫌悪するところが多い。
 しかし、ミルカの表情が不安げになっているのを見て、セレニオも自分の顔から不機嫌さを消した。

「まあ、数字も『使い方』だ。使い方によっては、こうした物も作れる。」

 セレニオはそう言うと、筆を手に取り、貴重な紙に暦を書き入れた。
 次に、セレニオは暦の日付を横軸として、縦軸に「セレニオ5」や「テュニス8」といった人名と数字を書き入れた。
 そして、横軸と縦軸の交差する地点に「出」や「休」などの印を書き入れた。

「アルモあたりは『毎日山に通います!』と張り切っているが、人間は疲れる生き物だ。疲れを感じないまま働いていると、かえって成果の合計が減る。だから、10日に1日…いや、2日は休ませた方がいい。そして、この数字はその者が一日にこなせる仕事の量。全員が参加した場合の仕事量の7割くらいになるように、それぞれの日の参加者を調整して…当番表ができた。これを明日、テュニス様に提出しよう。」

 セレニオは手際よく当番表を書き上げて見せた。
 世界的には未開とされるトルクの地だが、村での仕事の割り振りに慣れていたのか、戦争の中で軍組織の運営を学ぶ必要に迫られていたのか、セレニオは管理業務に妙に手慣れていた。
 それを見ていたミルカが不思議そうな顔をするので、セレニオも仕方なく言い足した。

「このやり方は、アネス様(トルク王国の皇太子)に仕込まれた。」

 そう言われて、ミルカも納得した。
 トルク王国で最も手強かった将で、皇太子でもあったアネス王子と狩人セレニオは、親友の間柄だったという噂があった。
 
 
 
 ミルカが自室に引き上げた後、セレニオは一人思い悩んでいた。

「(やはり、私は間違っているのだろうか…?)」

 事態はセレニオの思惑から大きく外れ、セレニオ自身も予想していなかった多くの仕事を抱える身になってしまった。

「(それでも、もし…テュニス様の思惑通りに事が進むなら…私の思いつきは『余計なことだった』で済む。)」

 そう思いながらも、セレニオはまだ、ある考えに固執していた。
 …その時、セレニオは戸口に人の気配を感じた。

「まだ起きていますか?」

 そう言いながら入って来たのは、テュニスその人だった。
 セレニオが立って迎えようとするのを、テュニスは手で制した。

「勉学の邪魔をしに来たわけではありません。ただ一つ気になるのは、君が『人に相談しにくい計画』を考えているのではないか、と言うことです。それくらい、君は思いつめた顔をしていました。…その『計画』について、私は聞きません。ただ、いま進めている仕事の中で、君にしか果たせない役割は大きいのです。そこを冷静に見定めておいてください。…では、夜分、失礼しましたね。」

 そう言い残して、テュニスは立ち去って行った。
 一方、そのテュニスを見送ったセレニオは、しばらく動けなかった。

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