銀のつなぐ路・最終話「再び」

 王都から5日間の旅を経て、セレニオとロニアはその村に辿り着いた。
 古い言葉でエウリュメニアと呼ばれる、セレニオの生まれ故郷。
 昨年の夏に、海の民に滅ぼされていたが、今は再建が進んでいる。
 村の入り口では一人の男が見張り番をしていて、馬上のセレニオ達に気づくと声をかけてきた。

「ああ…本当に生きてたんだな。」

 そう呼びかけられ、セレニオとロニアは各々の馬から降りた。
 そして、セレニオは進み出て、村の男に挨拶を返した。

「デュモス殿のほうこそ。…メリア姉はいるかな? それと、ルミノ隊という海の民ども。騒々しい連中だが、私の友なので、殺さないでもらえると助かる。」

 故郷に対する愛着の薄いセレニオだが、完全に孤立していたわけでもない。
 村の人間も、セレニオを「人づき合いの悪い奴」とは思っていたが、毛嫌いまではしていなかった。
 ただ、セレニオを取り巻く環境に血の匂いがあり、深く関わるのを避けようとする慣習はあった。

「守人殿とか、ルミノ隊長はいいんだけど…ミルカちゃんって娘。早く会ってやれよ。」

 村の男はそう言ってから、金属管の端に向かって叫んだ。

「おーい! セレニオが帰ってきたぞー! お連れさんも一人、一緒だー!」

 その声は、伝声管を通って、村の占領者まで届く仕組みになっているのだろう。
 連絡を終えた男は、再びセレニオに向き直った。

「ミルカちゃんなら、お前ん家で暮らしてるけど…お袋さんも一緒だから。」

「お袋さん? …ああ、セシリア殿か。生きていた、という話だったな。」 

 セレニオは駆け出したい衝動を、必死に抑えた。
 ミルカの身の安全は気になるが、それを確認する前に、話を通しておく必要のある人物がいた。
 
 
 
 水道が王都並みに張り巡らされ、何かを煮込む匂いが村中に立ち込めている。
 ロニアは「紙を作ろうとしてるのかな?」と言ったが、本来は自分の担当であるはずの水道工事が進められていて、やや不服そうだった。
 セレニオの故郷とは言え、この時の村は、海賊首領アトランタの拠点として整備されていた。
 ミルカもアトランタに人質として取られていて、その身柄をセレニオは受け取りに来ていた。

「ロニア、捕虜のふりを頼む。」

「あいよ。」

 セレニオとの打合せ通り、ロニアは綱を自分の身体に巻きつけ、その端をセレニオに渡した。
 ロニアは海賊首領アトランタの部下なので、ミルカと交換する人質に早変わりする。
 さらに、馬の背に載せられた木箱には、セレニオが3ヶ月かけて貯めた身代金、銀貨400枚が入っている。
 これでセレニオ側の準備は整った。
 …が、交渉相手のアトランタに出くわす前に、すっかり村娘の格好になったミルカが駆け寄って来た。

「遅いんですよ!」

 そう悪態をつきながら、ミルカはセレニオの胸を叩いた。
 そのミルカを、セレニオは抱き上げていた。

「ああ…ミルカだ。」

 そう呟いてから、セレニオはミルカを降ろし、尋ねた。

「アトランタ様に目通りする前に、聞いておきたい。勉強は続けていたろうね? あなたの残した答案を採点したら、29点だった。当然、その後の勉強は怠りなかったと思うが、形だけでも再試験をしたい。」

 そう言って、セレニオは馬にくくり付けた袋から人形や勉強道具など、ミルカの私物を取り出した。
 セレニオの顔に浮かんだ清々しい笑みが、ミルカの恐怖を誘った。

「いやいや、人質生活で、勉強できる環境じゃなかったんですよ。…ところで、なんでロニアさんが一緒なんですか? …まさか! 『僕、自分が女だったってこと、思い出しちゃった』とか誘惑されて、そのまま男と女の関係に!?」

 強引に話題を変えようとするミルカに、ロニアが同調してきた。

「再試とか補習で脅すのって、よくないぜ。勉強は個性を伸ばすものだからさ。…で、ミルカ、君の推測だけど、半分だけ当たってる。セレニオに一服盛って、服を脱がそうとしてたら、お忍びで来てたアトランタ様に止められて、『未遂』で終わったんだ。…で、この話、今から二人だけで話さない?」

 ロニアはそう申し出た後、セレニオの方を振り向いて言った。

「セレニオはアトランタ様でも探して、堆肥の作り方とか聞いといてもらえる? あの人、話が長いから、いくらでも時間をつぶせるぜ。それに、セレニオもアトランタ様も、乙女の会話とか絶対ついて行けそうにない同士だから、話も合うんじゃないの?」

 ロニアはそう言ってセレニオを追い払い、ミルカに綱を引かれて、彼女が仮住まいしている家に向かった。
 
 
 
 今時間、ミルカと一緒に暮らしているセシリアは作業に出ている。
 ロニアはミルカの案内で、その家に通された。
 狩人の家だったと聞いているが、今ではすっかり、ミルカの家に様変わりしている。 
 それでも、ロニアと二人きりになったミルカは、兵士の顔つきになっていた。
 いざとなれば、ロニアに組み付いて、隠し持った短剣で刺すくらいの準備はできている。
 その様子に、ロニアは苦笑いを浮かべた。

「警戒されてるなあ。」

「そりゃそうです。挙動不審だって自覚ありますか? それに、自分で縛ったんですか? いい格好してますね。」

 ミルカに指摘されると、ロニアは弾けるように笑い出した。

「まあ、悪趣味だっていうのは認めるよ。でもね、あのセレニオが頼んだんだぜ? 『ミルカと交換するための人質になってくれ』って。あのセレニオが、だぜ? …やっぱり、セレニオは可愛いよ。」

 ロニアはミルカも知るセレニオを、妙な言葉で表現した。
 聞き間違いかもしれないと思い、ミルカは聞き返した。

「えーと…可愛い?」

「うん。そう言った。」

 そう言ってロニアは笑うが、ミルカは今一つ要領を得なかった。
 しかし、ロニアは詳しい説明を控えた。
 ロニアがどんなに理由を積み上げたところで、どう思うかはミルカが決める事だったから。

「ミルカはどう思う?」

 その問いに、ミルカは即答できなかった。
 「自分はセレニオの副官である」と語ることはできても、そのセレニオをどう思っているか、その答えがミルカ自身の中で固まっていなかった。
 それを、ロニアは見透かしていた。

「僕だって、自分が人を好きになれたのに、驚いてる。」

 そう言って、ロニアはミルカの目を覗き込んだ。
 この時のロニアの目には、ひたむきな光があって、ミルカは黙って言葉の続きを待った。

「僕は思い描く。国の新しい姿、僕達の家族、二人で作っていく風景。セレニオと一緒なら、辿り着ける。」

 そう迷いなく語るロニアを、ミルカは「(きれいな人…。)」と思った。
 言い返す言葉の浮かばないミルカに、ロニアは視線を外して語った。

「3年。3年だけ待つよ。ミルカが自分の気持ちと向き合って、セレニオに何を望むのかをね。…これは、君のためじゃない。セレニオの心は確実に、君にある。だから、君が悲しい思いをしたたまま別れたら、セレニオも傷つく。」

 そう言われて、ミルカは暗い気分になった。
 ロニアは身勝手だ。
 しかし、そのロニアの身勝手さを、ミルカは責められない。
 ロニアがセレニオに対して抱いているのは、衝動的な熱愛ではなく、共に在ろうとする強い意志だった。
 自分がそこまで強い意志を抱けるのか、ミルカには全く自信がなかった。
 
 
 
 ロニアとミルカがセレニオを捜し当てると…本当に、海賊首領アトランタから長い話を聞かされていた。

「まあ、騎兵を長距離移動で運用できるのは、せいぜい2日。その2日という時間を計算に入れて、勝利の設計図を組めれば名将だが、先ほど例にあげた将は騎兵での奇襲を成功させておきながら、二度と同じ手は使わなかった。それほど、騎兵の運用は、不確定要素が大きいのだ。」

 そう長々と語るアトランタの手には、木片を煮込んでかき混ぜるために使うのか、大きな棒が握られていた。
 そして、セレニオが飽きずに聞き続けてくれるので、アトランタはさらに長話を続けようとした。
 ここで、ロニアが進み出る。

「アトランタ様! なに、セレニオいじめてるんですか! ったく、話が長いのは知ってましたけど、状況ってのを考えられないんですか!」

 そう悪態をつくロニアに、アトランタは笑って答えた。

「まあ、そう急くな。今までセレニオに対しては、怒鳴りつけてばかりだったのだ。最後くらい、少しは話させぬか。」

 そのアトランタの言葉に、セレニオも小さく頷いていた。
 その様子を見て、ロニアも気づいた。

「(ああ…決着をつける準備なんだ。)」

 アトランタが話し、セレニオが聞く。
 時折、セレニオが質問し、アトランタが答える。
 …不意に、セレニオが笑った。

「やはり、いけません。答えを聞いてしまうと、自分で考えなくなる。」

 そのセレニオの言葉に、アトランタも会心の笑みを返した。

「そなたの学ぶ姿勢には、私も教えられた。…が、そろそろ幕引きか。我が意を汲み、このトルクに生きる者達の未来のために、そなたの為すべきことを為せ。」

 それが、アトランタからの「卒業試験」だった。
 その回答を用意したからこそ、セレニオはこの村に来た。
 いかに住民に益をもたらそうと、アトランタは海賊である。
 国としてのトルクが海賊と親しいようなら、他国からトルクも海賊の一派として敵視される。
 あるいは、「海賊から解放して差し上げよう」と恩着せがましく、トルクを占領しようとする国もあるかもしれない。
 そうなると、トルクの民セレニオの仕事は…海賊アトランタを討ち、「海賊問題をトルク自身が解決した」と示す事。
 しかし、その回答を、セレニオは先送りにしようとした。

「人質ミルカの身代金として、銀400枚をお持ちしました。ロニアに交換用の捕虜となってもらったのは…戯れが過ぎましたか。」

「はぐらかすな。すでに、答えは出ているのであろう?」

 アトランタがあえてミルカを人質に取ることで、セレニオに教えたかったことは、すでに伝わっている。
 人に何かを頼むなら、感情にすがるのではなく、代価を用意する必要がある。
 それをセレニオが学んだのであれば、もう、ミルカを人質にしておく理由はない。

「村の衆が集まって来たか。…これより、セレニオの卒業試験を始める! 各々方は手出し無用!」

 アトランタが宣言すると、村の者達はアトランタとセレニオの二人を遠巻きにして見守った。
 その中には、ルミノ隊長やフォクメリアなど、セレニオと親しい者もいる。
 しかし、アトランタからの要望で銅剣を手にしたセレニオだが、戦意は全く湧かなかった。
 その点については、アトランタは失望していた。

「(今まで、敵意を向けられるよう振舞ってきたのに…。)」

 アトランタが剣を繰り出すと、セレニオも死角に回り込んで打ち返しては来る。
 その剣筋も、そこそこには鋭い。
 しかし、アトランタの率直な感想は「試合か競技のような剣」だった。
 むしろ、ロニアが気配を消そうとしているのを、アトランタは気にしていた。
 ロニアの位置は、アトランタの後ろに、7歩分。
 すでに綱は解かれている。
 そして、ロニアの腰には…いつもの細身片刃の剣。
 抜き打ちに適した、鋭利な剣だ。

「(まあ、裏切りの刃にかかるのも、また一興か。)」

 アトランタに雇われていたロニアも、「海賊」の首を手土産にできれば、その後の王国での覚えはめでたい。
 さらに、アネス王子やセレニオなど、有力者との人脈づくりも怠っていない。
 それ以前に、ロニアの立場を脅かすほど才覚に恵まれた者は、この国に存在しない。

「ロニアよ、今までの働きの代価として、そなたに、あらゆる事を許そう。」

 アトランタは背後のロニアに、振り向きもせず言った。
 その言葉に、ロニアは一瞬だけ驚いたものの、すぐさま笑みを浮かべた。
 もはや、気配を隠す抜剣術を使う必要もなく、ロニアは剣を抜いて振り上げた。

「死んでくれ! アトランタ様! 僕の未来のために!」

 ロニアは嬉々として叫んだ。
 そのロニアに向かってセレニオが進み出ようとするが、覚悟を決めたアトランタが立ちふさがる。
 異変に気づいた村の者達が駆け寄ろうとするが、ロニアはすでにアトランタから、2歩のところまで迫っていた。
 あと一歩で、無抵抗な背中を斬り割って、全てを手にできる。
 …が、そこでロニアの足は止まった。
 自分でも、何が起こったのか判らない。
 困惑したロニアが、自分の腹部に目を向けると…剣の切っ先が突き出ていた。
 アトランタに反撃されたのか?
 セレニオに止められたのか?
 …いや、二人ともロニアの目の前で、驚いた顔をしている。
 ロニアが首を回して後ろを見ると…ミルカだった。

「こうやって、人を刺すのは二度目です。」

 そう言い放って、ロニアから銅剣を引き抜いたミルカは、何の表情も浮かべていなかった。
 一方のロニアは腹部を押さえたまま、ミルカから後ずさって倒れそうになり、アトランタに抱き止められた。
 この時のロニアは「くくく」と笑っていた。
 ロニアが何か言おうとするのを、アトランタは手の平をかざして黙らせた。

「急いで湯を沸かし、布を集めてくれ! …セレニオ、そなたも手伝ってくれ。急げば、間に合うかもしれん。」

 アトランタは村の者達に指示を出すと、ロニアを抱いたまま家屋の一つに駆け込んだ。
 セレニオはミルカに「水を汲めそうなものと…ロニアの荷物を持って来てくれ。」と言い置いて、アトランタを追った。
 そのセレニオの背を見送りながら、ミルカは口の端をゆがめた。

「(一言、何か言って欲しかったかな。本当に、困った人の副官になっちゃった…けど、ロニアさんの言ってた『可愛い』って言葉の意味、今なら少しだけ判るよ。)」

 その言葉を口には出さず、ミルカはセレニオの言いつけを果たすべく走り出した。
 
 
 
 それから1ヶ月後の港町。
 王都の東に位置するその町は、最近になって、町のまとめ役の名前から一部をとって、「ベラ」と呼ばれるようになっていた。
 この日、整備を終えた帆船が出航する。
 その船で旅立つ一人の人物を見送るため、セレニオ達は集まっていた。
 その中には、どうにか歩けるまでに回復したロニアもいる。

「『海賊は逃亡した』か。甘くない?」

「この結果に導いてくれたのは、あなただろうに。ここまで計算できていたのなら、大したものだ。」

 ロニアとセレニオが、この日も言い争う。
 その二人に、同行していたミルカが声をかける。

「今日くらいは静かにできませんか? あたしたち、あの人に散々お世話になったわけですし。」

 そのミルカの言葉に、ロニアは自分の胸元を押さえた。
 最後に裏切りはしたが、ロニアにとって、やはり大事な人だった。
 そこには、セレニオやミルカでは理解しきれない、深い思いがあったのだろう。
 そして、一同が波止場に着くと…その人はいた。
 少し前まで「赤毛の海賊アトランタ」と名乗って、トルクの地に近づく船を追い払っていた人。
 その行為は結果として、トルクの地とそこに住む人々を守っていた。

「アトランタ様! ああ、間に合って良かった。」

 セレニオに呼びかけられ、その人…アトランタは振り返った。
 真っ赤だった長髪も、短く切りそろえられ、さらに黒く染められていた。
 また、あれほど利益を説いていたアトランタなのに、この国を出る今、衣類の入った背負い袋と、樫の木の杖と、ありきたりな銅剣しか持ち出さなかった。
 トルクの地の大半を支配していた海賊首領にしては、あまりに質素な格好だった。
 そして、アトランタは一同とトルクの地を眺め…やがて、口を開いた。

「うん。いい風景だ。たとえ一時でしかないとしても、この風景が見たくて、色々と皆を巻き込んだ。…まあ、実際の活動の多くはロニアの手によるし、トルクからもセレニオのような若者が現れた。私にとって、もったいないほど光栄な時間であったよ。…ありがとうな。」

 この別れに際して、アトランタはどことなく朗らかで、寂しげではなかった。
 彼女の黒い瞳には、すでに、次に作り出したい風景が見えているのだろう。
 …この時、一陣の風が吹いた。
 暖かい春風に乗って、この海辺でも蝶が舞う。
 アトランタが手を差し伸べると、その指先に黒く大きな蝶が留まっていた。

「新しい土地に行くには、いい幸先だ。今日から『黒蝶』とでも名乗ってみるかな?」

 そう言って、アトランタ…黒蝶は笑った。
 そして、いよいよ彼女が船に乗り込む時、セレニオは礼儀のつもりで尋ねた。

「次は、どちらに行かれるのですか?」

「砂漠の王国アルハン、だよ。元より動乱の噂の絶えぬ地ではあるが、行方不明になっていた王子が戻って来て、王族の誰を擁立するかで豪族同士の争いが深刻になっていると聞く。」

 気楽に答える黒蝶とは対照的に、セレニオの顔には、見る間に緊張の色が浮かんでいった。

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