銀のつなぐ路・第14話「本性」

 セレニオは笑わなくなった。
 副官のミルカを連れ去られてからの3ヶ月、セレニオは航海の準備に没頭していた。
 王宮内に用意された私室に戻ったところで、誰も待ってはいない。
 自分の中の一部が欠けてしまっているような感覚。
 その感覚は、心身を酷使していると、薄れた。
 以前はよく組んでいたロニアから声をかけると、セレニオも排水処理場の工事や服飾について尋ねてくるものの、その興味は仕事に限られていた。

「あのさ、セレニオ、ミルカのことだけど…。」

 そう切り出したロニアを、セレニオは手の平を見せて遮った。

「ロニア、あなたはアトランタ様に仕えていて、私はトルクに仕えている。お互いの立場を越えたことは、言わないほうがいい。」

 副官ミルカを連れ去ったのは海賊首領アトランタだが、それにロニアが関わっている証拠はない。
 仮に関わっていたところで、セレニオがロニアに仕事以外の話をするのは、筋違いだった。
 それでも、ロニアは「友」として、セレニオを放置できなかった。

「わかったよ。でも、仕事の打ち合わせなら、いいんだろ? 今日はテュニス様の店、来いよな。そんな顔してたら、仕事にも障るぜ?」

「自分が冷静でないことは認める。…わかった。あとで。」

 セレニオにとっての急務は、余計な感情から離れる事であって、意地を張ることではない。
 一方、そのセレニオの背を見送った時、ロニアの口元には笑みが浮かんでいた。
 セレニオにとって重要な友人ルミノ隊の面々は、ロニアからの「助言」を聞き入れて、この王都を離れている。

『今はセレニオも静かに心の整理をしたいだろうから、僕らも自分にできることをして、周りから支えるしかない。ルミノ隊は、セレニオの故郷の村を頼んだよ。』

 そのロニアの言葉を信じ、情に厚いルミノ隊の面々は北西の村に再び出向いてしまった。
 同様に、セレニオの親友アネス王子も、ロニアと連携して仕事をしているので、私事に割ける時間は相手に制御されてしまっている。

『本当に落ち込んだ時…慰めるのは、逆効果だ。僕もそうだったから、わかる。今は僕達の仕事を続けよう。セレニオが元気になった時、売り出す品物がなかったら、がっかりするだろうから。』

 ロニアとは衝突の多いアネスだが、正論は聞く。
 この日もアネスは、服飾の工程を見直すため、染色や布織りの職人を集めて試作させている。
 …これで、セレニオの近くから人はいなくなった。
 表向きは友好的に振舞いながらも、裏では自分の目的のために策を弄するところに、ロニアのしたたかさがあった。
 
 
 
 夜になり、セレニオは待ち合わせていた喫茶店に向かった。
 先代王テュニスが粋を凝らした店で、異国風の料理や飲み物も出していて、ミルカは毎日のように通っていた。
 その記憶が、最近のセレニオをこの店から遠ざけていた。
 そのセレニオを、先に来ていたロニアが、隣の席に誘った。

「テュニス様、お酒ってありますか? 少し強いのが良いかな。」

「ほうほう? ちょうど今日、入ったのがありましてね。そのままで飲むと喉を傷めるので、お茶割りでいいですか?」

 店長のテュニスはそう答えて、このトルクでは珍しい琥珀色の蒸留酒を発酵茶で割って、杯2つでロニア達に給仕した。
 セレニオが「いや、私は酒は…。」と断ろうとするのを、ロニアは「いいから。飲めよ。」と強引に勧めた。
 ロニアは毒見として自分の杯から一口飲み、それをセレニオの口に押し付けた。
 飲み物がこぼれる前に、セレニオは仕方なく一口すすり、その杯を受け取った。

「なあ、セレニオ。今から君が言うことは、酒の力で言わされたことで、君には責任がない。だから、独り言で言って。…ミルカを、どうするの?」

「酔った。…寂しい、という感情は事実だ。連れ戻したい、という欲求もある。…ただ、私はそれをすべきではない。少なくとも、アトランタ様の教えは、そこにはない。」

 セレニオの返答は、少しずつ、ロニアの予想から外れ始めた。
 そのロニアに、セレニオは小さくうなずいて、話し続けた。

「あの方は敵だと言い張りながら、いつも何かを教えようとなさっていた。今回の件も、『人間としての弱さを捨てて、果たすべき目的を見定め、そのために非情な判断ができるようになれ』というお教えに思えてならない。」

 セレニオが敵将アトランタに抱いていた感情は、副官ミルカを連れ去った恨みではなく、師に対する敬慕の念だった。

「海賊という仕事も…先を越された。食べ物を手に入れるのに、他の土地から奪ってくるしかないと思っていた。命をいつでも捨てられる者を集めて、略奪集団を作るつもりだった。…だが、あの方の示された海賊の在り様を実際に見て、私は格の違いを思い知った。」

 当初のセレニオが誰にも言わず模索していた海賊活動も、アトランタが実際に見せた組織や戦略に比べれば、稚戯に等しかった。
 実行さえできなかったセレニオが、アトランタを海賊として責めれば、それは「負け惜しみ」でしかない。

「あの方の望む『対等な敵』に私がなれるか判らない。そうなる前に、私の生命も終わってしまうかもしれない。…それでも、私は挑むと決めた。挑み続けることが…。」

 ここで、セレニオの意識が途切れて、着座したまま突っ伏した。
 先ほど、ロニアは飲み物に口を付けた時に、麻酔薬を混ぜ入れていた。
 ナス科の植物から抽出した毒で、酒の味に慣れていないセレニオは気づくことなく、杯の半分まで飲んでしまっていた。
 あるいは、セレニオに油断させるため、ロニアは毒見して見せた…とも言える。
 さすがに、見ていたテュニスだけでなく、厨房に隠れて立ち聞きしていたアトランタも飛び出してきた。

「ロニア! 何をしたのだ!」

「いやあ…うちにお持ち帰りして、服を脱がせて、添い寝して、『嵐のような情事の翌朝』を偽装して、弱みを握っとくつもりだったんですけど…。今みたいな純粋なのを、聞かされちゃあ…ね。」

 策士としての矜持あるロニアも、計画を基本から練り直すことにした。
 一方のアトランタは、苦々しい顔になっていた。

「想像以上に聡い若者だった。どう怒鳴りつけても、いつも言葉の裏を読んで来た。…が、一つだけ、大きな思い違いをしている。非情になって欲しかったのではない。なぜミルカ殿を奪い返しに来ないのか…待っていたのに。」

 セレニオなら理解するだろう、とアトランタが甘えていた部分もあった。
 そこから生じた「すれ違い」に、アトランタは今さらながら、苦々しく思った。
 ここで、それまで聞き役に徹していた店長のテュニスが口を挟む。

「言葉にしなければ伝わらないものって、やはり、ありますよ。特に、セレニオ君みたいに、一人で抱え込んでしまう子はね。…アトランタさん、あなたも、わざと厳しい言葉を使っていたのでしょうが、ここらで素直なことを言ってはどうです?」

 そう言われ、アトランタはちらっと舌を出した。
 その黒い瞳には、悪童っぽい光が宿っている。

「私は最初から最後まで悪役ですよ? とりあえず、セレニオには北西のエウリュメニアの村に、ミルカ殿を取り返しに来ていただきましょうか。さもなくば、姉上のフォクメリア殿も、ご友人のルミノ隊長とそのお仲間も、ご生母のセシリア殿も人質にする…とお伝えください。」

 そう語って、アトランタは厨房に戻り…やがて閉店時間になると、まだ意識を取り戻さないセレニオを抱えて王宮に向かった。
 その道すがら、アトランタはロニアに指示を伝え、セレニオを王宮に届けると、ロニアやテュニスに暇乞いをした。

「では、テュニス様、そろそろ戻ります。それと…ここは良い国ですね。今さらながら、私も他の方法を選べなかったものかと悩みますが、アネス様やユリシス王子、それにセレニオといった若者が育つなら、この国の未来は明るい。」

 そう言い残して、アトランタは厩舎に向かった。
 
 
 
 翌朝、自室で目を覚ましたセレニオは、寝台の隣の椅子に座ったまま眠っているロニアの顔を見て、跳ね起きた。

「ロ、ロニア…?」

「…? あ、セレニオ、おはよう。気分はどう?」

「記憶が途切れている…。まさか、私は酒に酔って理性を失って。」

「あー。ないない。それだったら、涙くらい見せるぜ。ただ…隠しても仕方ないから、言っちゃうけど…アトランタ様が来てたんだよな、これが。」

 そのロニアからの返答に、セレニオは急に落ち着いて、その場に片膝を突いた。
 一方のロニアは少々当惑しながらも、アトランタからの言葉を伝えた。

「伝言があるから、言うよ…。『いつまで待たせれば気が済むんだ、馬鹿野郎。ミルカがどんな思いで助けを待ってるか、少しでも考えた事あったか? 人の心も思いやらないで、自分の判断だけ信じてるようじゃ、誰もついて来なくなるんだよ。っつーか、それ以前に、可愛がってた女を目の前で奪われて、取り返しに来ないとか、お前、生き物として本当に雄か? さっさと取り返しに来やがれ。場所は、お前の故郷の、なんとかメニアの村だ。ったく、舌噛みそうな名前だぜ。…ああ、それと、ミルカに届けたいものがあったら、持って来いよ。二人の思い出の品とか、ないとは言わせないよ。可愛い下着とか。』…だ、そうです。」

「ロニア、それ…半分以上、お前の言葉だろ。」

 少々不服のあるセレニオだったが、ロニアの言葉に従って、旅の支度を始めた。
 東の港町に詰めているベルヴェータ船長宛の手紙を書き、ミルカの私物から人形と算術の教科書を選び出した。
 ふと、セレニオが気になって、ミルカの書き残した練習問題を採点すると…29点だった。
 補習と再試験の必要がある。

「恨まれても構わない。アトランタ様もそうしてきた。」

「まあまあ、セレニオ。厳しいだけが教育じゃないぜ? もっと、生徒の個性ってやつを引き出さないとさ。勉学のことは、僕に任せときなって。」

 そうした会話を交わしながらも、二人の準備は早い。
 セレニオもロニアも、最近は移動が多かったので、手慣れていた。
 二人そろって、厩舎へ馬を借りに向かった。
 そして、アトランタが昨晩のうちに出発したことを聞かされた後、セレニオ達は馬を引いて城門に向かった。
 すると、道中で、アネス王子に出くわした。

「よかった。間に合った。僕も行くよ。」

「いえ、今回ばかりは、アネス様もご自重ください。あまり大勢で行くと、我が姉フォクメリアの身の安全にも関わります。」

 そのセレニオからの返答に、アネスは渋々従った。
 同行しているロニアを、アネスは目の敵にしていて、「裏で悪だくみする奴」と思っていたが、同時に「セレニオに危害を加えない」と信じてもいた。

「じゃ、セレニオと二人旅、行ってきますね。」

「またまた、ミルカ君を迎えに行くんだよね? 君がどんな顔で、この王都に戻ってくるか、今から楽しみだよ。」

 いつものように、憎まれ口を叩き合うロニアとアネスだった。
 …ふと、そのアネスに、セレニオは挨拶をしておきたくなった。

「問題なく戻れるとは思うのですが…。アネス様、私は少しでも力になれたのでしょうか? お答えは今でなくても構いません。何年か経って、アネス様が笑顔になれていたら、私は嬉しい。」

「縁起でもないことを! ロニア、本当に頼んだからね。いや、今回は真面目に。」

 アネスは必死に不安を押さえて、セレニオ達を送り出した。
 そこには、いつも衝突しているロニアに対する信頼も大きかった。
 アネスとロニア、相性の最悪な二人だったが、どこか理解し合えていた。
 その二人には、セレニオさえも少し妬いた。
 
 
 
 王都を出た二人は北西に進み、セレニオの故郷、エウリュメニアの村を目指した。
 道中、馬上のロニアが尋ねる。

「そういえば、セレニオのお母さんって、どんな人?」

「私にとって、『母』という言葉は、フォクメリア姉上…メリア姉を意味する。」

 母についての話題は、セレニオにとって、あまり話したくないものであった。
 しかし、自分が生まれる時に母を失っているロニアは、「母と子の愛情」に対して憧れがあり、深く立ち入ってしまった。

「じゃなくて、セシリアさん。」

「あなたが望むなら話すが…本当に聞くつもりか?」

 セレニオはそう前置きして、詳しく語った。
 セレニオが、セシリアとその実兄アンドレの間の私生児として生まれたこと。
 好色なアンドレと、彼を偏愛するセシリアが人を巻き込んだ傷害事件を度々起こしていたこと。
 セレニオがアンドレを闇討ちし、陰部を刈り取った際、相手を失血死させてしまったこと。
 狂気に陥ったセシリアが殺人未遂事件を起こし、「他村へ嫁ぐ」という形で追放されたこと。

「先代の守人ファドニオ老師に頼んで、メリア姉にも隠していた真実だ。」

「はあ…。」

 あまりに凄絶な内容に、聞いていたロニアは青ざめてしまった。
 妙に清々しい顔をしているセレニオを横目で見て、ロニアはうつむいた。
 それでも、馬を進めながらロニアは話を飲み込み…再び顔を上げた。

「まあ、家族も色々あるからね。…でさ、僕らも、僕らの家族、作ってみない? 親にしてもらいたかったこととか、子供の時にしたかったこととか、色々思い出したり想像しながらさ。今までだって、水道とか工場とか作って来たけど、今度はちょっと難しいのに挑戦しようぜ。」

 そのロニアの言葉に、セレニオはうなずき…かけて、振り向いた。
 セレニオが断る前に、ロニアは言葉を続けた。

「返事は急がないよ。僕だって、一時の感情で言ってるわけじゃないし。セレニオにも、熟慮して欲しいんだ。長い目で見た時、力を合わせられるのが誰なのかってことを。みんな、それぞれに立場があるけど、僕は待ってる家族も仲間もないから、セレニオが望むなら命だって賭けられる。」

 そう語るロニアの胸中には、静かな自信があった。
 セレニオという素材を、最も活用できるのはロニアだ。
 感情という点では、よりセレニオに近しい者もいるのは事実だ。
 しかし、セレニオがその場限りの熱情ではなく、「二人でどんな風景を作って行けるか」を冷静に考えるなら…セレニオのほうから、頭を下げてくるだろう。
 
 
 
 その後の旅程では、ロニアは個人的な話題を控えた。
 ただ、仕事の話なら、セレニオは乗る。

「実はさ、アトランタ様から、製紙の技術を頼まれてるんだよね。いつぞやも、簡単に『紙つくろうぜ』みたいなこと、言っちゃったけど。難しいんだよな、これが。…で、頼みがあるんだ。次に海に出たら、『紙漉き』の職人を招いて来てもらいたい。」

 そう話しながら、ロニアはおこした火に鍋をかけ、豆を煮た。
 一方のセレニオは、やせてきた馬の具合を確かめながら答えた。

「難しい注文だ。まず、外での信用がない。ロニアが航海に加わってくれたら、話は変わるかもしれないが…。ところで、その豆、馬の分もないか。道端の草で足りると思っていたあたり、私もとんでもない間抜けだ。」

 そう話した時のセレニオの顔は、微かに笑っていた。
 この3ヶ月間、セレニオが失っていたものだ。
 それを確認しながら、ロニアは澄ました顔で答えた。

「馬の扱いも専門職だからね。…よいしょ! …ふう、これで最後の一袋。3回くらいに分けて、盗み食いされないよう気を付けて。…航海、かあ。僕だって『にわか船乗り』の域を出ないと思うぜ? おまけに、あっちだと銀貨3000枚の賞金首だし。」

 ロニアは笑って言うが、セレニオは黙り込んで、草を摘んで豆と混ぜ合わせた。
 それから、しばらくの間、豆だけを食べようとする馬と、草も食べさせようとするセレニオが押し合いになる。
 その様子を眺めながら、ロニアは「ほら、そこ行ったよ!」などと、はやし立てた。
 しかし、ロニアが次の話題に移ろうとした時になってから、セレニオは意見を口にした。

「少し時間はかかるが、ミルカの故郷まで行けば可能性はある。ミルカの友人が『活版印刷』をしていると聞いた。」

 またミルカか…と、ロニアは思ったが、余計な発言を控えた。
 セレニオとミルカの間に立ち入ると、反発を受けるのは間違いない。

「(そういう関係はさ、無理に切り離すより、自然消滅させるに限るよね。)」

 セレニオに返したロニアの笑顔は、その口の端がわずかに歪んでいた。

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