空と文字(FIELD)


”たび”したことをざっくばらんに書こうと思います。
どうぞ、非日常な体験をご覧ください!


麺紀行開店中

次回書き込み予定 6月下旬ごろ(と思う)




針葉樹(白) 10万キロ達成 (2001/3/11)
針葉樹(白) 東京ぶらぶら (2000/10/21)
針葉樹(白) 関ヶ原400年 (2000/9/17)
針葉樹(白) 洞爺湖温泉と有珠山 (2000/7/24)
針葉樹(白) α-Kyogen Work Shop (2000/7/1)


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麺 紀 行 (2001年6月19日更新)

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2001年3月11日(日)

●10万キロ達成(香川県内、淡路島)

 いきなり言い訳から始めますが、昨年の10月から旅をしていなかったわけではありません。
 横浜へ友人の結婚式に出席したり、讃岐うどん巡礼88箇所記念パーティ、札幌への帰省など忙しい週末を過ごしていました。ただ、内容があまりにも濃すぎるためにここに書くことがはばかられたと言うことで.....あさひうどん

 さて、今の車に乗って7年半、3月11日にようやく走行距離が10万キロに達しました。香川のうどん屋へ行った帰りに淡路島の北淡町(神戸淡路地震の野島断層の近く)です。
 10万キロまで無事故無違反だったわけではありませんが、他人を傷つけたり、保険金支払いが必要だったりしたことはなく、無事に運転できることに感謝と今後の安全運転を心がけたいと思っています。

 2000年度は讃岐うどん屋へ行きまくりました。TJ KAGAWAという香川県の地元タウン情報誌が「讃岐うどん巡礼88箇所」を企画し、3月から9月までの半年間で88箇所全てを巡礼するとキリンラガービールを1ケース(24缶)進呈と巡礼達成記念パーティにご招待を実施したからです。私がまめならこのうどん屋巡礼の記録をここに掲載させていただくのですが、時間がないという理由で省略しました。
須崎
 この巡礼が結願?した後、久しぶりの新規訪問が今回の旅の目的です。
 今回は写真で紹介する三野町の「あさひ」と、高瀬町の「須崎」に行ってきました。
 「あさひ」は開店直後から讃岐うどん界の注目を集め、S級入りも間近というお店です。麺もダシも店長のこだわりが感じられますし、創作天ぷらもGOOD。
 「須崎」は製麺所スタイルのディープなうどん屋?左の写真からすると、一見普通の商店のように見えますが、赤い自動販売機の左側の入口を奥へと進むと、薄暗い20畳ほどの製麺スペースが現れる。カウンターや椅子などはない。欲しい玉数を言って、そこでそのまま立ち食い。あやしすぎる。
10万キロ達成! ほかにも何店か行きましたが、行った中での怪しさ度ベスト3にこの「須崎」がはいると思います。ほかの2つは観音寺市の「岩田屋」と琴南町の「三嶋」でしょうか。
 最後に、10万キロの証拠写真を掲載しておきます。この写真だけでメーカと車種が分かりましたらメールでお知らせ下さい。正解者にはプレゼントは差し上げません(笑)


2000年10月21日(土)

●東京ぶらぶら(東京都内、千葉県西部)

 大学の研究室の集まりがあったので、大阪から東京・千葉へ行ってきました。行きも帰りも深夜バス!こりゃぁ、疲れるわ。一昔前のバスではなく、3列シートで、リクライニング、フットレスト付きなんですが、車内にトイレが付いているので途中の休憩はなし(運転手交代のための停車はありますが、乗客は降りられない)。やっぱり、長旅はJRがいいですね。飛行機やバスの中で長時間座りっぱなしは体に良くない。(TVによるとショック死をしてしまうこともあったそうです)
東京新宿には午前6時に到着。店はほとんど開いていない。行くとこもない。こんな時は、乗ったことのない電車に乗りに行くんです。関西に住んで、もうすぐ10年。その間に”ゆりかもめ”や”地下鉄南北線”などがちょこちょこできています。今回は、地下鉄東西線が乗り入れている東葉高速鉄道(西船橋−東葉勝田台)に乗ってきました。この線は、大学1,2年に下宿していたところに近く、駅名もなじみのあるものばかり。しかし、全線高架か地下で、踏切が皆無。景色も見慣れたものなので、とりたててどうこう書くネタはない。
 とすこし、のんびり?できたところで、「北杜夫展」をおこなっている世田谷文学館(京王線芦花公園下車:左の写真)へ行ってきました。北杜夫は、中学生時代に「どくとるマンボウ昆虫記」に魅せられて以来のファン。
 展示は時代別に分かれていて、ファンには「うんうん、これはこうだな!」といううれしい展示ばかり。また、興味深かったのは「楡家の人々」のモデルとなった斉藤脳病院の模型。東京青山のランドマークになっていたということもあって、その特異な外形には驚きます。そして、最後の点じではマンボウ・マブセ共和国の旗、お札、などなど。本ではすでに読んでいることですが、唖然、すごすぎる。
 と、満足して世田谷文学館を出ます(他にもちゃんとした常設展示がありますが、難しいので割愛!)
 その後、社民党前を通って国立国会図書館で調べもの。自民党前(すごい警備だった)を通って千葉県市川へ。大学時代に行っていた銭湯でさっぱりした後、大学へ向かいました。(その後は省略)



2000年9月17日(日)

●関ヶ原400年(岐阜県関ヶ原町、大垣市)

 日本史の年号でおぼえやすいのが、1600年の関ヶ原の戦い。今年はちょうど400年目にあたります。戦場になった関ヶ原町では”関ヶ原合戦特別展”、その前哨戦のあった隣町の大垣市では”決戦関ヶ原大垣博”が開催されています。
関ヶ原開戦の地 関ヶ原町の方は関ヶ原町歴史民俗資料館を中心に、各大名の陣跡やお墓を徒歩や自転車で廻れるようになっています。(右の写真は、「関ヶ原開戦の地」)これらを廻ってみると、このような狭い地域(約2km四方)に数万もの軍勢が戦いあったということに今更ながら驚かされます。
 10月7日(土)から9日(月)には、「関ヶ原合戦400年祭」が開かれ、800名の全軍武者行列、平和コンサート(小椋けい)、戦国体験ランドが催されます。
 大垣市の方は小規模の博覧会形式。大垣城を会場として、関ヶ原合戦という人間ドラマを見ることができます。
 全体的な感想は、”こんなものかな” 「大規模で見るのに疲れたとか、全然つまんない」ではないけれど、「歴史を現代人に体感させることは難しいなぁ」という感じです。なお、この博覧会は10月9日(月)までです。
 関ヶ原の笹尾山(石田三成布陣の地)や桃配山(徳川家康最初の布陣の地)に実際に立って、その景色から各部隊の布陣の様子を想像する方が、私は好きです。なぜなら、地形そのものは400年前とほとんど変わっていないので、最後に裏切る小早川秀秋が布陣した松尾山との距離感などが体感できるからです。
 ご興味のある方は下のURLで詳細をご確認ください。
 関ヶ原町  http://www.ginet.or.jp/sekigahara/
 決戦関ヶ原 大垣博  http://www.ginet.or.jp/oke/



2000年7月24日(月)〜25日(火)

●洞爺湖温泉と有珠山(北海道虻田町・伊達市)

 北海道に帰省したときに温泉に行きたいなぁ!と漠然と思っていました。昭和新山
 今回10日間の早い夏期休暇がとれましたので、両親を連れて(連れられて?)噴火最中の有珠山の麓の洞爺湖温泉に行って来ました。
 札幌からは国道230号線をまっすぐ南下すれば洞爺湖に着きます。時間は約4時間ほど。その途中には、中山峠やらルスツ高原があります。しかし、今回のハイライトは「サイロ展望台」。従来ここは穴場的な観光地だったのですが、今回の噴火によって一躍有名になりました。というのは、ここから噴煙の全体がよく見えるため、この展望台にある土産物屋の屋上には各TV局の中継カメラがずらっと並んでいるからです。残念ながら当日の雲の状態が悪かったので写真はありませんが、ここからの洞爺湖と有珠山の箱庭のような景色は一見の価値があります。
 さて、ホテルのチェックインには間がありますので、23年ぶりに昭和新山を見に行きました。(右の写真:有珠山ロープウェイ山頂駅付近から撮影)1977年8月の有珠山の噴火の前日以来の再開です。(ということは、23年前の噴火の瞬間に立ち会っていたのである)ご承知の方もあると思いますが、昭和新山は個人の所有物です。これは、三松正夫氏(故人)が昭和新山が硫黄取りに荒らされるのを憂い、また学術的にも貴重な資料として後世にに残そうと、元の地主から買い取ったものだからです。手塚治虫の「火の山」という漫画にもなっていますので、ご覧ください。
有珠山 こんぴら山火口 そして昭和新山を見学した後、洞爺湖温泉の某ホテルに向かいました。ホテル街は少々硫黄臭い。さらにびっくりしたことには、ホテルの窓から噴煙が間近に見えること。直線距離にして1キロも離れていません。”ごー”とか、”しゅるしゅる”とか蒸気が噴き出す音も聞こえてきます。
ホテルは平常営業していましたが、お客さんが少ないのでちょっとかわいそうです。また、外出しても多くの店は再開していないので、ゴーストタウンを見ているようです。
 左の写真は、次の日に、火口から約800mのところから撮影しました。左右二つの火口から噴煙があがっています。こんなところをを間近に見ると、人間の無力さを感じます。
 今回の旅は、温泉でからだを癒やされたことと、火山のすごさについて改めて考えさせられました。


2000年7月1日(土)

●フェルメールとその時代展(大阪市立美術館)

 日に焼けました。だって、美術館に入るのに2時間半待ち。筑波万博(古いなぁ)でもこんなに待ちませんでした。気温が32度。みんなよく辛抱してると思いません?
 館内に入ってもまた行列。うーん、フェルメールの道は遠い。
 それにしても、すごい人。2カ月ものあいだこんなに入場者があるなんて信じられない。
 さて、今回最高の絵画”青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)”ですが、じーっと見つめていると奇妙な感じにおそわれました。隣のカップルの言葉を借りると「左目が出過ぎている変な顔。右はまともなのに。」
しかし、唇や耳飾りのハイライトなど、むむむとうならせるすばらしさがある。これが名画の名画たる所以なのでしょうか。そのほかのフェルメールが描いた絵画も光の使い方がすばらしく、なんかくらくらしてきました。

α-Kyogen Work Shop (京都駅室町小路広場)茂山狂言
 α-Station (FM京都)の9周年イベントの第1弾として、茂山千三郎氏と大蔵流の若手とDJ谷口キヨコによる「狂言ワークショップ」が開催されました。場所は悪名高き”京都駅ビル”の大階段の麓、室町小路広場。
 最初は、川原ちかよ(ちっちゃくてかわいい?)のMC。千三郎氏が日本赤十字の1日所長?を勤めたので、感謝の花束贈呈となりました。
 そして、ワークショップの本番。キヨぴーと千三郎の進行で、観客とともに”やぶを歩く”、”笑う”、”馬に乗る”などを演じて見せました。
 そのあとは本当の狂言、「附子(ぶす)」と「雷」を千三郎、正邦、宗彦、茂、逸平で演じられました(だれが主人か太郎冠者、次郎冠者か忘れてしまった)
ちかよとキヨコ 半年ぶりの狂言でしたが、初心者向けの優しい狂言だったので、言葉や笑いのツボも理解できて、いっそう狂言のおもしろさにはまってしまいそうです。
 また、DJ谷口キヨコ(写真左側の右)の追っかけ?になりそうで、自分でも多少暴走気味かな?と心配をしています。本人にも事務所の所長にも面が割れているだけに、今後の行動は慎重にしなければなりません(なんのこっちゃ?)


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