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前月へ 翌月へ 『がん・人工肛門からの出発』トップヘ 『山岳巡礼』トップへ 2019.02.28(木) 「晦日-みそか」 ◍広辞苑で「晦日-かいじつ」を引くと「毎月の末日、みそか、つもごり」 「三十日、晦日」で引くと「月の第30番目の日」転じて月の末日を言う
たった2日か3日短いだけなのに「もう2月は終わりか・・・」という気がします。 ◆一月往(い)ぬる 二月逃(に)げる 三月去(さ)る ◆桜の開花予想、今年は例年になく早くなるとの情報。サクラで頭に浮かぶのは ねがわくば 花のもとにて 春死なむ
年寄りが、桜の花を見ながらふと口にする言葉は「来年も花を見られるかな~」・・・その心情が分かる歳になってきました。 昨年8月「飯縄山1918m・瑪瑙山1748m」、9月に「火打山2454m・妙高山 2462m」、10月に「フスプリ山1944m」 ・・・その後は登山から遠ざかったまま。理由は足底筋膜炎の痛みで登山どころではなかったため。その痛みは解消したものの、登山に復帰できないままです。
マラソン、登山、水彩画・・・夢中にさせてくれた趣味も、一枚一枚皮を剥ぐように消えていきます。淋しいことですが、これが歳をとるということでしょうね。
◆加齢による体力低下の中で思いついたのが水彩画。70歳の時、私には遠い世界のことと思っていた水彩画。清水の舞台から飛び降りるような勇気で、初歩からの水彩画教室へ。 今ゆっくりと老後の坂を下っています。何を目指して生きているのか?・・・正直なところわかりませんが、認知症介護施設のボランティアが社会の窓の大切な一つかもしれません。
80の坂をトボトボ登って(下って)いる今の自分の姿を、ふと立ち止まり振り返ってみる心境になりました。凝り性というのか、猪突猛進型というのか、他人様から見たら「変わり者」の部類に分類されるのは間違いないと思います。 ◆小学生のころ・・・なぜか郵便切手に関心がありました。田舎にしてはやや大きな工場が近くにあり、ゴミ捨て場には捨てられた封筒などがたくさんありました。そこから使用済み切手を拾い集め楽しんでいましたが、あの切手はどこへいったのかな~?お金は一銭もかからない遊びでした。 ◆高校生のときは「速記部」でほんど毎日特訓。部員の読み上げる国会議事録を速記-翻訳という繰り返しの練習。全国大会は東大26番教室だったと思います。2回参加しました。3年生のときは部長。 ◆社会人となってからは仕事最優先・・・・自分の時間が多少取れるようになったのは35才過ぎ、近所のおっさんに勧められてサツキ盆栽を始めたらやめられなくなって最大100鉢以。剪定・水やり・施肥・花摘み・・まさにパンク状態。15年ほど続きましたが、転住先に置く場所がなく涙を飲んで譲り渡してしまいました。 ◆サツキ盆栽と並行して始めたランニング。「ジョギング」という言葉が市民の口にのぼり始めたころのことです。年齢は42歳だったと思います。地方支店勤務となり、通勤時間が短縮されたのを機会に、その時間の活用というのが理由。一日10数分のチョボチョボ走から5K、10Kと距離が延び・・・一日も休まず。そして初めて10キロマラソン参加から火がつき、やがてあっちの大会、こっちの大会とフルマラソン大会をめぐり。48歳直腸がんのときに心に秘めたのは「いつかまたフルマラソンを」でした。 ◆直腸がんのあと、マラソンに代わって取り組んだのが登山。憑かれたように登りまくり、単独行を基本として日本百名山、日本300名山と日本中の山を訪ね歩き、登った山の数は2200座になりました。
「俳文」とは俳人によって書かれた俳諧趣味を帯びた文章。簡潔,洒脱で含蓄が深く,多くは俳句を配してある。
◆毎日が同じような繰り返し、それでも一日一日退屈を感じることなく過ぎて行きます。
◆一昨日は市民文学講座の中の「一茶の俳文を読む」に参加、講義を聴いてきました。1時間30分の講座でした。女性・・・と言ってもかなりのお歳のおばさんが20名ほど、男は平爺一人だけ。何となく場違いの感は否めず鶴の群れの中にガチョウが下りたような感じと言うのかな?
この日が3回目の講座で、前の2回は参加していません。イマイチ講義にのめりこめません。一茶というからには俳句の話も多かろうと思ったのですが、一茶の綴った日記風の書の裏表を紐解いて行くというような話で、俳句は出て来ません。一茶の裏の顔と言ったらいいのか、家族・同人・知人などとの泥くささなどの一面を知ると、句の裏に漂う一茶の悩みが見えてくるような気もしまた。 ・雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る ・春風や 牛に引かれて 善光寺
◆報道を見ていると「心愛ちゃん虐待死」を報じるあまりのむごさに、世間の目が厳しくなったのを反映、識者などからもさまざまな問題指摘や保護のあり方などが問題として指摘されているように思います。 何十年とランニング、ウォーキング、登山と酷使してきた体、そろそろ年齢も考慮して少し休ませてあげるようにということだと思います。齢82歳、ふと立ち止まり、そして振り返ってみると、よく走り、よく歩き、よく登ってきたものです。キザですが自分で自分を褒めてやりたい気持ちです。
一昨日は春到来を思わせるうららかな陽気・・・と雖も(言えども)四囲の山々の姿はまだ冬のさ中、雪化粧のままです。暖かな陽気に誘われ、リンゴ農家が剪定に精出す姿が目立ちました。季節は少しづつですが進んでいます。 一茶の故郷、住まいは信越国境付近の雪深い柏原。俳人たちとの交流のために現在の高山村へ足しげく通ったとのこと。高山村へは千曲川を渡し舟で渡るしかなかった時代。そのときの春めいた長閑さを詠んだ句でしょうか。 「ポツンと一軒家」というテレビ番組、肩の凝らない興味深い企画で、毎週録画して見ています。人里離れた山奥の一軒家、それぞれの事情でその地を離れず、親から子へ、子から孫へ・・・考えられないような不便を押して家を引き継ぎ生きていく。その生きざまにも感動しますが、日本が仕掛けた太平洋戦争が終わった74年前は、主要都市は絨毯爆撃で焼き尽くされ、多くの国民が家を失い、バラックという掘っ立て小屋暮らしを余儀なくされました。食料不足で山奥の樹林を伐採して田畑にし、食を手に入れなければならなかったという背景もあったのでしょう。 平爺も、山林を切り開いた開墾畑の耕作を手伝った記憶を鮮明に覚えています。その畑は今はカラマツ林に戻っています。 ◆最近「空き家問題」がマスコミなどにも取り上げられます。 古いデータ(フィナンシャルフィールド)ですが平成25年の県別空き家率は
家屋数 うち空き家 空き家率 空き家上位5県については、5軒に1軒は空き家。社会構造の変化もあると思いますが、持ち家に対する執着が薄くなっているという要因もあるかもしれません。男はまじめにコツコツ働いて、家を1軒持てれば大成功・・・と言われた時代が懐かしいと思うのは化石人間故か。
野村総研による14年後の予想――空き家2150万戸 空き家率30%
2019.02.20(水) 敵性語
次の国名・都市名を読めますか?
・ベースボール→野球・ヒット→よし・フォーク→肉刺し・スコップ→ 円匙・パーマネント→電髪 【国名・都市名の読み方】①アメリカ ②ニューヨーク ③イギリス ④ロンドン ⑤フランス
春に先駆けて野に香るのは「フキノトウ」、この香り、たまらないですね・・・春待つ心にしみ入ってきます。雪の下から太陽を求めて芽をだす力強さと、寒風に耐えている健気さは感動ものです。
◆先月下旬、妻が知人からフキノトウをいただいてきました。日あたりの良い庭に、毎年芽を出すとのこと。薄黄緑色のコロンとした優しい姿、どこに-10℃の寒さに耐えて芽を出す力を備えているのか、不思議な植物です。 ◆Web検索してみると「ふきのとう」というフォークグループがありました。春を告げるようなグループを想像、少し聞いてみるとなかなかさわやかでした。
朝夕、その時間になると申し合わせたようにスズメが群れをなして4~50羽ほど庭に集まってきます。エサやりは夜が明けたころと日没30分ほど前と決めています。スズメもその方が分かりやすいだろうという気使いです(笑)
◆気がつくと日中の時間がかなり長くなっています。 日の出は28分早くなり、日没は57分遅くなっています。(計算時間に誤りがあったらゴメンナサイ)
◍蜘-音は「ち」で訓は「くも」 ◍蜘蛛は「クモ」 不思議な読み方です 不思議でややこしい・・・・。数ある虫の中でもクモ大嫌いという人はけっこう多いですね。平爺は前足の先から後ろ足の先まで、10㎝もあるジョロウグモでも平気でつかむことができます。 ◆2月10日朝、机上の透明ビニール袋の中にクモが一匹もぐりこんでいました。 ◆「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があります。このままそっと死なせてやるか、それとも寒気の外へ放してあげるか・・・見つけた当時、実はずいぶん悩みました。 世界的なスイマー・池江璃花子選手の白血病ニュースが駆け回りました。厳しい病であることは誰しも知った上で、何とか回復をと祈っています。 『神様は乗り越えられない試練は与えない』
見栄で口にできるような言葉ではないと思います。身を絞るような思いのこもった気持ちが感じられます。病と闘う気概が伝わってきます。 ◆古い話ですが、平爺が中間管理職として地方支店に勤務していた時のこと、先天的な障害を持つ一人の女性が障がい者採用枠の一人として入ってきました。彼女は敬虔なクリスチャンでした。体が不自由なため一人前の仕事は無理、それを補うように一生懸命に仕事に取り組んでいました。 ◆あるとき職場のレクで上高地へ。彼女は不自由な脚で、仲間に支えられながら上高地から明神池まで歩ききりました。迎えた先着の同僚たちの惜しみない拍手が今も忘れません。 ◆平爺の転勤で離れ離れになってから数年後、彼女から一通の便りが届きました。結婚して子供に恵まれました。哀しいことが一つあります。この手で赤ちゃんをダッコして、一緒にお風呂へ入れないことです・・・と。
年が明けてから、身を刺されるような痛みを感じた出来ごとと言えば、野田市のいたいけない小4女児虐待死事件。世の中にこれほど残忍で悲しい所業かあるでしょうか。まともな食事も与えられず、毎日が拷問の日々を想像すると、胸が張り裂けそうです。 前月末に報道されてから日数が経っても、さらに新たな虐待の事実が露見、可哀そうで可哀そうでなりません。あの子は何のために生まれてきたのか、短い生涯で幸せのひとかけらでも味わったことがあったのか。 それにしてもあのような悪行が、どうして我が子にできるのだろうか・・・信じようとしても信じられません。まさに人間の皮をかぶったけだものです。 ◆仏教に「畜生道」という言葉があります。コトバンクで畜生道を引くと 鬼畜にも劣るあの父親、畜生の世界へ落ちて、思い切り苦しみ、もがくがいい・・ 今日はバレンタインデー。謂れは忘れましたが、知っているのは女性が心を寄せる男性にチョコレートを贈る日・・・ということくらい。頭に浮かぶのは義理チョコ=女性が男性の友人・知人・上司・同僚などに儀礼的に贈るチョコレート。それでも貰える人はラッキーというべきでしょう。
◆気になるのは売れ残ったチョコの処分?平爺の想像ですが ◆もう一つ本日の大事なこと・・そう、これがいちばん大事です。
立春が過ぎたとは言え、実質寒中の寒さ。ウォーキングの途次、よく見ると桜の花芽が膨らんでいました。春遠からじといえども、花が開くのはまだまだ先のことです。 昨年秋に、スキー用具すべてをゴミとして廃棄処分。スキーシーズンが来ると孫娘と滑るのも楽しみだったのに・・・未練を残しての断捨離でした。 歌のジャンルに抒情歌・叙情歌と言われるものがありますがその意味を調べると ◆認知症介護施設訪問の際、まず最初にやすることは皆で「故郷(ふるさと)」を歌うこと。この歌はまさに抒情詩だそうです。
◆叙情歌とは『作詞者の主観的な感情を表現した日本語の歌詞に、それにふさわしい曲を付け、歌う人や聴く人の琴線に触れ、哀感や郷愁、懐かしさなどをそそるものを指し、これらの童謡や唱歌をはじめ、歌謡曲のスタンダードなバラードといったものを一つのジャンルにまとめたものである』・・・WEBより ◆認知症介護施設でのボラで歌うのは童謡・唱歌の類と、戦後間もないころ流行ったいわゆる「流行歌」。「紅葉」、「赤トンボ」、「里の秋」、「旅愁」、「りんごの唄」や「高原列車は行く」、「青い山脈」、「あざみの歌」、「丘は花ざかり」、「長崎の鐘」、「誰か故郷を想わざる」etc. そのほかに「月の砂漠」とか「故郷の空」などレパートリーは結構たくさんありますが、みんな叙情歌に括られる歌かと思います。確かに琴線に触れるような情感に満ちた歌ばかりで、70台後半から100才近い方たちまで、みなさん楽しそうに歌ってくれます。終戦の昭和20年(1945年)ころは少年少女と呼ばれた年齢の方たちです。大きな声は出せなくても、一生懸命に歌う様子はタイムスリップして楽しんでいるように見えます。 ◆わが身を冷静な目で見てみると、この音痴が「イチ、ニ、サン・・・」と声をかけて指導、恥知らずも甚だしい。でも、みんなが楽しみ、喜んでくれればそれで良し・・・と思ってやっています。 現在流行の若者の歌、平爺にはまったくわかりませんし真似もできません。この若者たちはいずれ高齢者となったとき、フリをつけて歌うのでしょうか。何十年も先のことを、平爺が心配する必要はありませんネ(笑)
【昨日の漢字問題】・宜しく ・甦る、蘇る ・偲ぶ ・諮問 ・対峙 ・概ね ・呪う ・捕まえる
2、3㎝の積雪でもニュースになる東京・千葉方面が羨ましいような、そうでもないような複雑な感じ。長野は冬に雪が積もるのは当たり前・・・正直なところ、歳をとると1㎝の雪がニュースになるようなところが羨ましい。 ◆学校では英語教育が重要視され、大学入試で求められるレベルは20年、30年前とは様変わり、授業時間は2020年から小3・4で年間35単位、5・6で年で70単位が実施されるとのこと。 ◆一方ではことばの乱れというのか、変化というのか、日本語も刻々と変っていくようです。 ◆今の小・中学生が社会の要職につくころ、今の日本語は見る影もなく、平爺が古文を読むのに似た状況になっているかもしれません。良くても悪くても「時代とともに変化していくのを止めることはできない」、順応していくより仕方ないですね。 何げなくテレビを見ていると(聞いていると)、はっとするような単語や、聞き慣れた単語が耳に入ってきます。しょっちゅう耳にしているのに、あれっ、どんな漢字だったかな~・・・などと思うことがしばしば。テレビのニュースなどを参考にして、いくつかメモしてみました。
・よろしく ・よみがえる ・故人をしのぶ 護憲は「憲法を護る」と書きますが、「憲法を守る」は間違いでしょうか?意味に違いはあるのでしょうか。
毎月取り換えられる、寺院門前の掲示板を見るのを楽しみにしています。今月は 「人は必ず 生き物の命を奪って生きている」 ◆同じような意味で、言いかたがいろいろあるようです。 ・生きるということは命を奪うこと 石や岩を噛んで生きるわけにはいきません。命をつなぐためには、他の生き物の命をいただくしか方法がない。すべての生き物共通の真実。
認知機能検査で平爺が手こずったのは、映し出されたイラストを記憶し、そのあと回答用紙に記入するテスト。イラスト16種類が1セット、これが4セットあって当日どれが出るかは不明。完璧を期すなら16種類4セット別に全部を覚えなくてはならないが、平爺にはそれは無理。 ◆ところが綜合的なギリギリセーフ。ああよかった・・・という思いと、運転はもう卒業すべきではないかという思いが交錯しています。記憶力、とっさの判断力、対応力が大幅に落ちていることだけは間違いありません。
今回のテストは辛うじて通りましたが、事故を起こさないうちに運転継続か、免許証返納かを決断したいと思います。半世紀にわたり続けてきた運転です。どのタイミングで決断するか・・・悩むところです 運転免許更新のため「認知症機能検査」に行ってきました。結果は別として、大きな荷物を下ろしたような気分・・・こんなことはじめてだな~ 本日は運転免許証更新に伴う認知機能検査・高齢者講習の日です。
当家居住地組織の最小単位は「班(隣組)」で、その上が「常会」→「区」となっていきます。区・班の役数は常会長・副会長・交通安全防犯委員・環境美化委員・公民館役員・福祉推進委員・交通安全推進委員・監事などがあり、世帯数40数戸の組織としてはすぐに次の役が回ってきます。 任期は4月から1年間、今年度は交通安全指導員を担当、来月で任期満了となり、しばらくは役が回ってこないと思います。定年はなし、健康その地の理由で免除扱いを望むときは、役員会に理由書を提出、総会で承認という手続きが必要です。何しろ年寄りばかりの町、すんなりと免除してもらえるか微妙です。 一昨日は常会-40数戸-が行われ、あとは学童通学見守りを2回分残して放免となります。たかが月間一日だけの学童見守りと言っても、雪の舞う氷点下の中、震えながら1時間近く立っているのは楽ではありません。
加計学園問題も灰色・疑念を残したまま決着したかに見えます。よく出てきたことばが「岩盤特区」、半分わって半分わからない・・・そこで調べてみました。 「岩盤規制」とか「既得権益」という言葉は、政治・経済の報道でよく見聞きします。無知な平爺には明快に説明することは到底無理。webをいくつか読んでみました。 「岩盤規制」とは言葉どおり岩盤のように堅く、政治的保護の恩恵を受ける業界が、新規参入、お互いのつぶし合いを避けるための規制で、これは自由な競争を損うものでかしいと何回も問題にされながら、まるで岩盤のようにびくともしないために付けられた用語らしい。
庭の片隅で「つくばい」がガチガチに凍りついています。夏はスズメなどの水浴び場。平爺が引っ越してくる前は、水道管も敷かれており、コトン・・コトンと風情な音が聞こえていたらしい。 ◆コトバンクによると、「恵方」とはその年の十干(じっかん)によって定められる最も良いとされる方角とか。 ◆今は2月3日だけが節分となっているが、これは4季節の中で「立春」が最も重視されていたため。その昔、立春が新年の始まりで、立春前日の節分が大晦日だったとのこと。新年に向けて厄災をお祓いする行事として豆まきが始まり、関西ではそれが恵方巻だったということのようです。 ◆恵方巻きは恵方を向いて丸かぶりすると厄払いができる・・・そう信じ、綿々と引き継がれてきた文化・・・イヤ、これって商魂? それとも庶民が飲み込まれた得体のしれない行事? 年始に神社詣でをするのと同じ? 理屈はどっちでもいいですが、大阪で初めて見た恵方巻には驚きましたが、あれから40年、商魂は東京を始め全国に伝播・席巻して、知らぬ者なき国民的行事になったようです。
◆というわけで2019年恵方巻きの日は2月3日。恵方=東北東に向かいグワッとかぶりつてください。
近ごろ、カルタを知らない子もいるかも・・・。スマホにはかないませんよね。認知症介護施設へのボラ訪問で、正月とは関係なく、遊ぶ道具の一つとして用いるのがカルタ。やりかたが普通のカルタと少し違う平爺流です。 ◆「犬も歩けば」だけ書いた紙(カード)を見て、下の言葉「棒にあたる」を答えてもらうという簡単な遊び。答えられる人、答えられない人、さまざまです。 一生懸命考えるという習慣を失った認知症の方々には、こんな遊びでも、それなりの頭の刺激になっていると思ってやっています。 ◆失礼な言いかたですが、刺激もなく、利用者同士の会話もなく、職員さんも頻繁に声かけをする余裕もない。そうした環境では、こんなカルタ遊びでも少しは刺激の役にたつかと思い、小さな工夫を積み重ねながら、もうしばらくボラをつづけるつもりです。
◆認知症患者のために平爺が考えた遊びの中で、レベルがちょっと上になるかもしれないのが、あいうえお56文字を、それぞれ一字づつ小さなカードにします。カードを20枚ほどアトランダムに置き、2字以上の言葉を作ってください・・・これを一人づつ順繰りにやる遊びですが、平爺が思っていた以上に真剣に、かつ楽しそうにやっています。 平爺も立場が逆転する日が来ますが、腐りかけたこの頭で、工夫を怠らずにボラを続けられたらな~と思っています。 不肖平爺が「がん人工肛門からの出発・日本三百名山単独踏破の軌跡 いつかまたフルマラソンを」のホームページを公開したのは1999年2月1日。ちょうど20年前の今日でした。紆余曲折しながらも今日まで続けとこられましたのもアクセスして下さる多くの方々のおかげです。こころからお礼申し上げます。(2年遅れて「山岳巡礼」をスタートとしたのも2月1日でした) ◆win95が発売され、PCが市民の手に届き始めた時期に、このホームページを立ち上げました。マニュアルだけを頼りに、暗中模索・苦労苦労の連続。今にして思えばよく独力でやりとげたと自画自賛。思い出も数えきれないほどありますがその一部を
特に人工肛門同憂者からのご相談や感謝などのメール。それが発車エンジンとなり、いつの間にか20年という歳月が流れた気がします。ちなみに平爺の座右の銘は「つづける」。 ◍ほぼ毎日、ガンの苦痛と苦悩を訴える女性からのメール、それを全身で受け止めて平爺からのレス。そして「痛みがつらいです」がラストメーとなり、数日後、ご主人から亡くなられたとの報。遺言とのことで越後米と、病床で痛みに耐えながら手作りしたマスコット(写真)が送られてきました。今もお守りとして大切にしています。 ◍娘さんから「母がどうしても会いたいと言っています。病院まで来てもらえないか」との電話。急いでかけつけました。絞り出すうな声で1時間ほどの会話。それから日を経ずしてご主人から他界の報、見送ってほしいとのことで葬儀に参加させていただきました。
◍和歌をたしなむ女性。同人誌(左の写真)の巻頭歌としてこの方の作品12首が選ばれたという歌集を送って下さいました。余命を意識した句に涙しました。没後、ご主人からのお手紙にはご主人の感謝と、奥さんの死の間際「私が死んだらお礼を言ってください」の伝言があったとのお手紙をいただきました。お会いしたたことはありませんでしたが、気持ちは通じていたと思います。手紙を読んで平爺も涙、涙でした。支えあう良きご夫婦だったことが、和歌からも推測されます。 ◍四国のある医師からの手紙ーー奥さんが直腸がん、不安の中で平爺のHPを読んで元気をもらいました。自分が医師にもかかわらず、どんな医者より大きな励ましとなったと書かれていました。礼状とともにお心づかいの品が。どうして平爺の住所が分かったのかな~
◍ライオンズクラブの京都講演に招かれたときのこと。40分ほどの話を終ったとたん、何人かが演壇の前に集まり、「素晴らしかったですよ」と握手を求め、中には「私は医師ですが刺激を受けました」という意味の賛辞をいただいたことも大変ありがたく、役にたっているのだなあ・・・・実感しました。 ◍人工肛門に関して、役にたつ情報も少なかった時代、どのくらいの数のメールを交わしたことか。レスに追われる毎日でしたが、多くの同憂の方々に感謝されたあのころを懐かしく思い出します。 ◍ホームページが媒体となり、雑誌、新聞、文筆家などの取材もかなり受けました。活字となって今も残っています。ある大手新聞社系の週刊誌に、3週連続で取材掲載して下さったり、月刊誌「山と渓谷」や「ランナーズ」「山岳」などにも載せていただきました。またテレビのドキュメンタリー番組を撮らせてほしいとう申し出もいただきましたが、家族の出演協力もという要請に応えられずお断りしたこともあります。 |
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