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2020 年 8月

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2020.08.31() 暦の上では・・・秋?  

立秋(87)を過ぎてから猛暑に休日はなし・・・一日くらい30℃以下の日があってもよささそうなものを・・・いい加減ウンザリしています。
8月も終わろうというのに暑さの真っただ中。二十四節季で言えば、8/259/6は「処暑」、暑さのおさまる時期だが、現実は大違いの猛暑、酷暑・・・盛夏の終わる気配はなし。

 
 そこはかとなく秋の雰囲気? 8/30

◆もうすぐ(9月6日)「白露」・・・夜中に大気が冷え、草花に夜露が宿るころ・・・現実にはほど遠く、夏が終わりそうにない・・・暑さ嫌いの平爺はそんな心配をしています(笑) 

 白露(/7~9/21)は三つに分かれていて

 初候―草露白(くさのつゆしろし) 
    次候―鶺鴒鳴(せきれいなく)
    末候―玄鳥去(つばめさる) 

「さわやか信州」も名前倒れ、連日35℃超えで推移しています。暑さがこんなに続く夏は始めての体験。
8月は認知症介護施設のボランティアを休ませてもらって正解でした。
さて、月が替わる明日からはボラ出勤?する約束でしたが、厳しい暑さと衰えないコロナを用心して、もう少し休ませてもらおうかと思っています




2020.08.30(
) 惜しまれて?

安倍総理も、モリ・カケなどの件で身を貶すことがなかったら、それなりに高い評価をもらい、胸をはり、歴史にも名を残す勝ち将軍然として壇を降られたかもしれません。 

これは平爺の感覚ですが、安倍総理はすでに賞味期限は切れていた・・・飛んでくる弾をかろうじてかいくぐりながらのギリギリの政治運営だったような気もします。 あのとき、見え透いた言い逃れなどしなければ、それなりの評価を受けられたかもしれません。

政治家にかぎりませんが、人の上に立つ指導者は、「身を引くタイミグ」は難しいものなんでしょうね。

失礼を承知で云わせてもらえば、背に万雷の拍手を浴びながらの降段とはほど遠く、満身創意の退陣のようにも見えます。
いずれにせよ「一区切りついたな~」という印象。ご苦労様の言葉を進呈させていただきます。

2020.08.29(土) 残暑を紛らわせる話題

猛暑が過ぎてやれやれ・・・とはほど遠い残暑。秋の気配はからっきり、期待が甘すぎたようです。 もうしばらくは真夏を引きづり、忍の一字か。
せめて涼しい話題でも・・・・日本で初めてスキーリフトが架けられたのはどこかご存知でしょうか? 昭和22年、志賀高原丸池スキー場にアメリカ進駐軍によって架けられたのが最初だそうです。同じころに札幌市藻岩山にも架けられ由。ゲレンデに立てるのはまだまだ先です。 シーズンが到来しても用具はすべて処分済み、もうスキーはできまれん。

ついでにもう一つ。
☆日本一標高の高いスキー場はどこでしょう?。・・・志賀高原横手山スキー場、2305m
☆日本一滑走距離の長いスキー場は? 野沢温泉スキー場で約10km ・・・何回も行っていますが、そんなに長いゲレンデがあったかな~
こんな話題では、涼しさはぜんぜん感じませんね・・・ゴメンナサイ!!

総理大臣の体調不良報道、政局の動きが騒々しくなりそうです。気持ちだけでも涼しさを感じるような話になってくれれば良いのですが?

◆厳しい残暑とは言え、夜明けの河畔は涼しさを感じます。昨朝も千曲川の河畔を2時間余、気持ちよく歩きました。

2020,08.28(
) 政治は変わるでしょうか

また同じこと・・・と睨まれそうですが、言わずにおれない。  

第一次安倍内閣・・・20069月~20079月 参院選の敗北と機能性胃腸障害? 1年で総理辞職。

最近の内閣を振り返ってみると

 2007年 9月・・福田内閣―自民
 2008年 9月・・麻生内閣―自民
 2009年 9月・・鳩山内閣-民主
 2010年 6月・・菅内閣―民主
 2011年 9月・・野田内閣-民主
 2012 12月・・第二次安倍内閣―-すでに9年近い長期政権

1年交代と言うのも大いに問題ですが、独裁国家でもあるまいに、9年という長期も問題があるように思います。失礼ながら安倍総理に匹敵する人材ならいくらてもいそうな気も・・・?。 

◆韓国には「たまった水は腐る」という俚諺があるそうです。水や空気を新しいものに取り替えないと使い物にならなくなる。
昔の帝国・独裁時代は、何年かすると緊張を失い、人民の心は離れ、滅亡の憂き目にあう。政治もしかり・・・政権の座にのうのうとしていると緩みが生じ、めはし(目端)がきかなくなり、いつかはその座を追われる定め。悲惨な太平洋戦争も軍が政治を支配した結果ではなかっただろうか。

第二次安部政権終盤に見せた失政ともいえる数々の不信と不安・・・モリ・カケ・サクラ・・・・そして司法人事への介入と政治の緊張感が緩み私物化へ・・・
異常としか映りませんでした(以上は一小市民の感想です)


2020.08.26() 政界・マスコミ騒然  

希望の星はいずくに・・・

安部総理が2週連続で胃腸器専門病院へかかったというニュース。簡単には見過ごせない病状という印象です。
直感的に思い出したのは、今から13年?ほど前、総理の座について一年が過ぎたかどうかというとき、持病悪化(潰瘍性大腸炎?)によって総理の座を降りたことを思い出しました。持病だけではなく、総選挙敗北という結果に、総辞職に追いこまれたというべきかもしれません。

 ◆ウヤムヤのうちに幕を引いてしまった森友・加計・桜の会・・・国民としては見過ごせない事件?真実は何一つ明らかにされず、さらに不透明のままの黒川検事長の定年延長と法外な退職金問題・・・さらに自民党内の不祥事?いずれも安部総理が深くかかわっていたとされていた事件です。 体調もさることながら、総理として、人間として器が問われるような気がします。

酷な言い方かもしれませんが、政治の汚さを身をもって国民に見せてくれた総理大臣という点でプラス評価?

これから政局はどう動くのでしょう・・・有権者として見守っていきたいと思います。

2020.08.25() 読めない・・・  

しばし立ち止まって眺めた朝焼け

固有名詞…就中市町村名など難読名がたんさんあります。当地長野県内も同様。

以下は長野県の市町村ですが、迷わずに全部読めるでしょうか。

 小諸市 御代田町 立科町 東御市 根羽村 売木村 泰阜村
 安曇野市
 麻績村 生坂村 小谷村 坂城町 小布施町 

 (こもろ・みよた・たてしな・とうみ・ねば・うるぎ・やすおか・
  あずみの
・おみ・いくさか・おたり・さかき・おぶせ)

 


◆「全国難読ランキング」というサイトにアクセスしてみました。

https://www.seikatsu-guide.com/rank_minna/result/4/

対象は「市」ですが、町村まで入れるともっと面白い名前がたくさんありそうです。読めなくてあたりまえ、少しも恥ずかしいことはありません。難読1位から9位まで

     長野県(とう)()市  ②千葉県匝瑳(そうさ)市  ③兵庫県 宍粟(しそう)  ④石川県羽咋(はくい)
⑤山口県下松(くだまつ)市 ⑥熊本県合志(こうし)
  ⑦秋田県鹿角(かづの)市  ⑧島根県江津(ごうつ)
⑨大分県杵築(きつき)


2020.08.24(
) 夏も終盤
 

猛暑の夏も終わりが近づいたかな~そんな感じもあります。1年を24分割し、それぞれに季節を表す言葉をつけた二十四節気。そのうちのひとつが処暑(しょしょ)で、例年823日頃。
「処暑」は文字通り「暑さが終わる頃」という意味で、今年は823日〜96日。朝晩は吹く風もそこはかとなく秋を感じます。

猛暑が過ぎて次の心配ごとは台風。南方方面で生まれた台風は、9月になると日本列島に上陸する確率が高くなるようです。昨秋は大変でした。
立春から数えて210(にひゃくとおか)220日(にひゃくはつか)前後が特に警戒期と言われます。科学的な台風予測もできない昔、稲の収穫期を迎えるお百姓は「どうか台風がきませんように・・・」とひたすら祈るより仕方なかったと思います。


webで「台風除けのおまじない」を検索してみるとこんな知恵が・・・。

 用意するものはお酒(普通の日本酒)。
 やり方は、前夜、杯に酒を並々とついで
南側の窓際へ。
「台風がそれますように」と唱えて儀式終了

昨秋は、千曲川の氾濫で当地も大変でしたが、今年は穏やかな秋でありますようにと祈ります。

2020.08.23() コオロギ

 数日前、薄明の時刻にウォーキングに出ると蟋蟀=コオロギの鳴く声。今シーズンの初鳴きか・・・。
日中は35℃を優に超える厳しい残暑。秋にはまだほど遠い感じですが、虫たちは迷うことなく秋を感じとっているようです。


昨夕は庭の植え込みからコオロギの大合唱。いったい何匹の合唱だろう・・・10匹程度ではなさそう。安眠を妨げるほど。我が家の庭から虫の音が聞けるなんて、考えてみると贅沢なのかもしれません。
虫たちには厳しい残暑など何のその、迷うことなく子孫を残す大仕事?を果たそうとして相棒を探し求めいるのでしょう。

◆千曲川に近い畑作地帯、ここもコオロギの合唱つきウォーキング。虫の音が聞こえるということは、まだ豊かな自然がある証・・・と思うべきでしょうネ。夜の明けたばかりのただ淋しいだけの道より、たかが虫の声でも気持ちを和ませ、豊かにしくれます。

◆日の出のいちばん早かったのは6月中旬で428分、そして昨朝は510分。夜明けが42分も遅くなっています。ウォーキングのスタートも、それに合わせて少しづつ遅くしていきます。

2020.08.22() マスコミの寵児 藤井棋士・・・またも快挙  

将棋界の寵児藤井八段、あれよあれよという間に、何十年もかかって築いてきた歴史を、次々と塗り換えていきます。将棋フアンならずとも、この先、固唾をのんで見守ることになると思います。

かくいう平爺は、小学生のころ、ボール紙を小さく切って駒の名前を書き込み、少し厚手のポール紙に罫線を引いて将棋盤を作って遊びました。もちろん強くはなりませんしあくまで子供の遊びです。この遊びも小学生の中ごろまでだったと思います。今も覚えているのは駒の動かし方と初歩的なルールのみ。(毎週日曜日のNHK将棋の時間は楽しみに見ています)
それにしても藤井棋士というのは怪物?長い将棋史の中で、物おじせず先輩棋士と互角に渡り合う様子は、まさに怪物。
人間としても、勝負師としても超一流の道を開いていくのを楽しみに見ていきたいと思います。

村田英雄の「王将」を思い出しました。明治の棋士「坂田三吉」を歌ったうたです。

  ♪吹けば飛ぶよな将棋の駒に 賭けた命を笑わば笑え
  ♪うまれ浪花の八百八橋 月も知ってる俺らの意気地

  ♪あの手この手の思案を胸に やぶれ長屋で今年も暮れた
  ♪愚痴も言わずに女房の小春 つくる笑顔がいじらしい

  ♪明日は東京へ出て行くからは なにがなんでも勝たねばならぬ
  ♪空に灯がつく通天閣に 俺の闘志が また燃える


2020.08.21(
) 残暑お見舞い申し上げます
 

お暑い中、「山岳巡礼」・「がん、人工肛門からの出発」にアクセス下さっている皆様、あらためまして残暑お見舞い申し上げます。それにしても何ともお暑い夏ですネ・・・「さわやか信州」のキャッチフレーズも顔色なしです。

 

気の早い案山子 待たれる秋

二十四節気では立秋の後に位置するのが処暑、旧暦なら7月中だが今は823日前後・・・? 処暑を境に夏の暑さが次第に和らぐといわれているとのこと。ちなみに
◆処暑(しょしょ)は太陽暦の8月23日(または24日)、二十四節気の第14節目で、太陽の黄経が150度の時点に来たことを示します・・・平爺には???

◆「残暑」は「暦が秋になっても暑さが続く時期」で、暦の上で「立秋」(秋の始まり)を迎える878日頃(その年によって変わる)以降を指すが、暑さが残る時期・・・云々。理屈はいいが、とにかく冷秋が待ち遠しい今日このごろです。

夕刻、30分の自転車で汗ダクダク・・・冷たいビールだけを頭に描いてペダルを踏んでいます(笑)

2020.08.20(木) 検査入院終了しました

 入院と言うのは何とも退屈なもの。たった2泊3日でも、早く家に帰りた~い。その気持ちは幼児なみです。できることといったら本を読むことくらい。時間がとても長く感じます。

検査入院した長野市民病院・・・田んぼの中
気温35℃を超えるとさすがに暑い・・・40℃なんて聞いただけで卒倒しそう!!その酷暑の日に血管カテーテル検査を受け、予定どおり終わりました。初日午後入院。2日目は担当医・サポートする医師・看護師数人に囲まれて手術台に載せられスタート。カテーテルを挿入するときに少し痛かっただけで、楽な検査でした。時間はわかりませんが、30分ほどだったような気がします。痛みはほとんど感じない。

検査後の説明は「心配する点は特に見あたりません」ということ。つまり無罪放免と言うことです。これでまた元のように何でもできる・・・とは言いません。どっちにしも「人生の定年」が近づきつつあることに変わりはありません。
この先も、枯れかかった老体を、だましだまし、いたわりながらゆっくりと歩いていきます。ときには「一病息災」ということばを思い出したりしながら。

 振り返ってみると、平爺のいちばん長い入院は・・・・34年前、49才の時の直腸がん人工肛門造設のときの2ケ月半。お先真っ暗、日常生活が支障なく過ごせるのか不安に押しつぶされそうな入院生活だったのを思い出します。ここからが平爺の新しい人生の始まりでした。
前立腺がん全摘手術も今回と同じ病院。そのときは8日ほどの入院でした。

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病院には縁がなさそうに見えて、実は思いのほかお世話になっています。それでも日本100名山にチャレンジし、再びフルマラソンを問題なく完走し・・・そんなことを思い出しながらの3日間の入院でした。


2020.08.17()  お知らせ

月と火星が接近・・・15日未明の写真

3月の人間ドッグから始まって、脳ドッグ、循環器検査など病院と深い仲になってしまいました。
次は「心臓カテーテル検査」・・・本日から2泊3日の予定です。たぶんこれがドッグの仕上げ?だと思います。
よくわかりませんが、血液の流れがどうとか・・・そんなことを調べる検査らしい。もちろん本人には何の自覚症状もありません。

というわけで、明日から3日間、よもやま日記はお休みさせていただきます。
検査結果は即日知らされるのか、退院後になるのかわかりません・・・説明を聞いたうえで、よもやま日記でご報告します。

◆「さわやか信州」のキャッチフレーズを返上したくなるような連日の猛暑。クーラーが大活躍です。冷房のきいた病院から帰ってくると、今まで以上に暑さが身にこたえるかもしれません・・・でもやっぱり自宅がいい(笑)

2020.08.16(
) 藪入り(やぶいり)

「藪入り」 えっ?何のこと? という若者は多いかもしれません。

広辞苑
・・・奉公人が正月および盆の16日前後に主家から休暇をもらって親元に帰ること。またはその日・・・。
つまり奉公人は年2回しか休みがなく、親元にも めったに帰ることができなかったということです。

◆ 「藪入り」という人情落語があります。

フリーイラストを
   使わせていただきました

亀吉は3年ぶりに藪入りで実家へ。父親は「あいつの好きなウナギを食わしてやりたい。ああ、お汁粉も食わしてやりたい、天ぷらも、刺身も、寿司も……
両親は、玄関で立派に挨拶をする亀吉を見て感涙。母は、銭湯に出かけた亀吉の荷物をふと見ると、財布に高額の紙幣が3枚も入っている・・・奉公先が持たしてくれた小遣いにしては多すぎる・・・「亀吉が何か悪事に手を染めたのでは」と疑う。
銭湯から帰ってきた亀吉に対して父親は詰問「このカネは何だ」、「どうやって手にしたカネだ」と泣きながら問いただすと、亀吉は「そのおカネは、店で捕まえたネズミを警察に持って行って懸賞が当たり、店のご旦那に預かってもらっていたお金だ・・・藪入りに親に喜んでもらおうと思って持ってきたのだ・・・」

両親はその徳をほめたたえ、「これからもご主人を大事にしろよ」と亀吉に教え、次のように言う。「これもご主人への忠(チュウ)のおかげだ」(=ネズミの鳴き声と掛けた地口)」 ほのぼのとした落語です。  

2020.08.15(
) 追記2

昭和20年(1945年)8月15日、無条件降伏の日、平爺は8歳。 何が起きたのか大人たちがぞろぞろと学校の校庭へ集まっている様子をいまでも、おほろげながら覚えています。

大人たちは天皇陛下直々の大事な放送を聞くために校庭へ集合、それがどれほど重要なことか、子供たちは知りません。うかつに「日本が負けた」などと口にしたら大変なことになる時世、大人たちもうかつなことは口にできません。
「負けるはずはない」・・そのように洗脳された国民は、まさに信じられない結末に直面することになったわけです。

大変な事態が起きたということは肌で感じつつも、子供たちにはそれほど重要なこととも知らず、遠巻きに眺めていたあの光景が、今もまぶたに浮かびます。

何日か後には。アメリカ兵が運転するシープが村の通りを走る様子を目にしました。幼なごころにも、「日本は戦争に負けた」と実感したのは、この時だったかもしれません。
そして「これから日本はどうなるのだろう・・・」という漠然とした恐怖感のようなものを感じていたような気がします。

2020.08.15(
) 平和の日

展望もないまま、苦し紛れに日本が仕掛けた忌まわしい太平洋戦争。もし1ケ月早く降伏していたらどれだけの兵や一般国民が死なずにすんだことか。もちろん広島、長崎に原爆が投下されることもなかったでしょうし、南洋諸島での兵隊は飢えと伝染病に苦しめられ、虫けらのように死んでいくこともなかったでしょう。

◆太平洋戦争で辛酸を舐めた日本は、反省もこめて新しい憲法で三つの原則を謳っています。称して平和3原則

  「戦争の放棄」 「戦力の不保持」 「交戦権の否認」

この3原則が、胸を張って堅持されていると言えるでしょうか?
せめて8月15日は総理大臣自ら「平和三原則」を世界に向かってアナウンスし、再確認する日であってほしいものです。総理大臣が「平和を希求する、そのための努力は惜しまない」という言葉をその口から発したのを聞いた記憶がありません。

◆平爺が、もし10年早く生まれていたら、徴兵され、戦地に赴き、戦火の中を逃げまどい、その果ては野垂れ死に。今こうして余生を楽しんでいることは100%なかったと思います。

今日、815日・・・平爺は「平和の日」と思うことにしています。

2020.08,14(
) 今月のことば

 寺院門前の「今月のことば」は

    仏法を聞くということは

         夢から覚めるということです」

 難しすぎて平爺のノーミソでは理解が及ばず、残念ながらバス。
 きっと、深い深~い教えが含まれているのでしょうね。


◆日課のウォーキング、冬の寒さは手袋など身を整えればそれほど苦になりませんが、朝からムッとするような暑さは閉口です。それでもウォーキングに休日はありません。2時間歩くとかなりの汗、自宅に無事?帰り着いて、さあ冷えたあれを・・・誘惑に打ち勝ち楽しみは一杯は夕食どきまでのおあずけ・・・・・ゴクッ・・・・。


◆ウォーキングの途中、面識はありませんが何人もの方と出会います。男女半々くらい? 年齢は60才を超えていると思しき方がが多い。昨朝は平爺と同年配に見えるお爺さん、気さくな方でベースを合わせて数分、話をしながら歩きました。自転車で転んで骨折、その後以前のようには歩けなくなってしまったとか。ポツリポツリと取りとめもない会話・・・・これもウォーキング同好の予録、癒しのひとときです。

2020.08.13(
) お盆は7月、それとも8

降ってわいたようなコロナ大流行で、この夏の人口大移動はないようです。
お盆という行事、地方によって7月と8月にわかれるようです。平爺の生まれ育った信州は「8月派」です。社会人として東京に着任したとき、お盆が7月と聞いてびっくりしました。
長野のお盆は8月と聞けば、東京の人はビックリ?

8/11 明けの明星
見た目は白い点です

◆全国的にみると主流は8月のようです。
明治時代、世界基準の都合に合わせるために?改暦があり、それにともなって各行事は30日遅れとなり、715日に行われていたお盆も、改暦後は新暦の815日に行われるようになったとか?。
社会人となって東京に着任したとき、7月がお盆と知って驚いたものです。

学校の夏休みについてはお盆に関係なく、健康上の理由で盛夏の8月、加えて梅雨の時期を避けるなど合理的な理由によるものと推測?

現在、715日をお盆としているのは東京・函館・金沢などごく一部らしい。全国的には8月のお盆、墓参という風習は崩れないよう気がします。

追記・・・七夕--信州は87日、東京は77日です。

2020.08.12(
)  昇る 上る  登る

昨日、門扉脇の寒暖計の赤色目盛りは、のぼりにのぼって2時過ぎには35℃を突破(長野県内の最高は37.1℃)
ガラス戸をしめきり、クーラー、扇風機をフル稼働。テレビ放送では40℃近い気温のところも、それを思えば35
℃なんて・・・。

 
 昨日 pm 16:50 34℃

東京や大阪勤務のときに比べたらまだまし。信州生まれの信州育ちには、暑さにはからっきりダメです。

◆寒暖計の目盛りは「上る、登る、昇る」どの漢字が正しいのでしょう?「昇」は変ですね。「上る」か「昇る」のどちらか・・・どっちでも、意味が通じれば良し(笑)?
「気温の上」なんて言いますね。

◆山は「登る」  木へ「登る、昇る、上る」 
 「塔へ・・・」 「ロープを・・・
 壇上へ・・・ 梯子を・・・
 「天国へは・・昇天」

変なことが気になるのは、いよいよ暑さボケの症候らしい・・・?



2020.08.11(火)  
六道?

本を読んでいると「六道」という語が。以前も何かで目にしたことがあるな~、でも意味はきれいさっぱり忘れてしまい思い出せない。気になってPCで検索してみました。平爺のノーミソで理解できるような解説は見当たらず。

日の出 昨朝6時ころ

仏教用語で「生存中の行為の善悪の結果として衆生がおもむく6種類の世界の状態をいう。すなわち
天・地獄・餓鬼・畜生,阿修羅・人間 をいう、えっ何のこと?

 ◆天上界は人間界の上にあり、最上の果報を受ける者が住む清浄な世界
 ◆地獄界―心に耐え難い苦しみが永く続く心
 ◆餓鬼界-己のことしか考えず他者の事を顧みないエゴ・貪りの心。
 ◆畜生界-人の道、道理に外れた非人間的な行為を犯す心
 ◆修羅界-他者と比較し、争い合う怒りに燃えた心。
 ◆人間界―考え、観念に縛られ真実を知らない迷いの心

凡人中の凡人たるわが身に照らしてみると、やけに難しい。わからなくてもいいが、・・とにかくわかりません(笑)

2020.08.10(
) 蟋蟀(コウロギ)の初鳴き

昨日は長崎原爆の日、テレビ中継で式典の様子を見ながら黙祷を捧げさせていただきました。

長崎には思い出があります。56年前、新婚旅行で訪れたのが長崎。平和記念像を思い出します。グラバー亭やオランダ坂なども記憶に残っています。
   長崎===雲仙・島原===阿蘇===別府===瀬戸内海航路==神戸港
振り返ると楽しい旅でしたが、その後半世紀以上、よくも飽きもせず連れ添ってきたもの?。

長崎平和記念像
 新婚旅行 (1964年5月
)

【50年目】金婚式は無事に通過。
【60年目】ダイヤモンド婚まではあと4年、別れることはなさそうですがそのとき平爺は88才、生きながらえるかどうかが問題(笑)

◆昨朝のウォーキングは4時過ぎスタート。まだ夜の帳は上っていません。外は真っ暗、日の出は6月中旬より30分ほど遅くなっています。外灯も頼りない暗い道を、つまずいて転ばないよう足元に目を配りながら足を運びます。やはり山や草花や月や星などを眺めながらの方が、楽しいし気持ちもいい。
そろそろウォーキングのスタート時間を遅くしようかな~・・・・。

2時間ほど歩き、自宅が近づいたころ神社に立ち寄って拝礼・・・ただしお賽銭は省略・・・省略ではなくケチッただけの話()

あれ・・・虫の声が聞こえるぞ・・・、蟋蟀(コウロギ)です。立秋を待っていたかのような初鳴き。枯草の下にもぐっているのか姿は見えません。陽気はまだ真夏を引きずっていますが、一歩秋へと近づいたことを実感する蟋蟀の声でした。

2020.08.09(
) 立秋

真夏はやはりこの花

二十四節季七十二候カレンダーを見ると、8月7日から立秋。猛暑が始まったと思ったら、暦の上では秋・・・実感はわきませんネ。
カレンダーを見ると88日が立秋と表示されています。暦は別として目下暑さのど真ん中。秋の気配は毛の先ほどもありません。

◆認知症介護施設のボランティアは、来週から8月末まで休ませてもらうことにしました。免許証返納にともない電動自転車を購入、毎日30分程度の練習をしていますが、車の多い道を自転車で走る勇気は持てず、自転車通勤は諦めました。

施設通勤は片道 電車8分 徒歩45です。
   自宅==(徒歩5)==私鉄駅==(電車8分)==私鉄駅==(徒歩40分)==介護施設

炎天下の徒歩は思った以上にきつくて汗が流れます。間もなく85歳になる老体、無理は禁物、暑さの厳しい8月はボラは休ませてもらうことにしました。
「休む」という発想は、やはり老化のなせるわざ・・・無理をして体調を崩したら元も子もありません。数えてみたら、あとあと1年半で85才、現在の施設通いも満10年になります。85歳を目標にして、最後の奉仕をがんばることにしました。


2020.08.08(
) 長崎市原爆・・・衝撃の写真

 
写真は 拝借
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/532764/

長崎市「平和の像」は、平爺が新婚旅行で選んだところです。

◆75年前の89日、米軍により原子爆弾が長崎市に投下、甚大な被害を被り、市が壊滅した日です。ヒロシマから3日後のことでした。
原爆というとヒロシマが浮かんでしまいますが、長崎市でも7万人を大幅に上回る被害を被っています。アメリカは、見境もなく一般市民を巻き込むような酷いことをしたとしか思えません。いまだに恨みがつのります。

 ◆原爆が広島市に投下されたあと、米国の従軍報道兵が現地に入って撮った写真に、実に衝撃的な1枚があり、今も瞼に焼き付いています。

小学生らしき男の子が、直立不動、背中に弟とおぼしき幼子を背負っています。幼子の首はだらんと後ろに倒れ、一見して息絶えていることがわかります。少年は親・身内を失い、息絶えた弟を背負って火葬の順番を待っている姿とのこと。少年は歯を食いしばり、表情はありません。

これ以上悲しい写真がほかにありますか?・・・。あまりにも切なすぎる1枚です。

(何年か前にも、このよもやま日記に載せたことがあります)




2020.08.08(
) 立秋・トウモロコシ

長梅雨が終わってヤレヤレ・・気を抜いたとたん、待っていたのは猛暑。梅雨もイヤ、暑いのもイヤ・・・どうすればいいの()

「立秋」・・・暦の上では今日から秋? とんでもない悪ふざけと言いたいような暑さは35℃。少しでも涼しいうちにとウォーキングは4時スタート、2時間歩いて帰宅、力まず普通に歩いても汗びっしょり・・・風呂でシャワーを浴び、今日もウォーキングを休まなかったことに満足して冷えたビール・・・と行きたいところですが、昼間は飲みたくてもガマン、冷えたウーロン茶をゴクリ。ビ~~ルと思って飲めばビールらしい味がします?

トウモロコシ

◆カミさんとトウモロコシを買いに出かけました。長野市の北方、新潟県との県境に信濃町というとろころがあります。小林一茶の生まれ故郷の北方です。西には妙高山、黒姫山などが大きくそびえ、海抜もかなり高いところ。ここは美味しいトウモロコシの産地として知られ、気象・土壌が適しているのか、甘みが濃厚との評定。収穫期には国道沿いに仮設のモロコシ屋が並んで「モロコシ街道」と称されています。
孫に食べさせたいと思い、自宅からマイカーで
1時間弱の現地へ。ところが今年は天候不順で収穫も少なく、仮設の売店がポツンと一軒だけ。店先にはトウモロコシが数本あるだけ、ションボリして帰宅せざるを得ませんでした

味覚音痴の平爺でも、甘みが濃厚な信濃町のトウモロコシの美味さは分かります・・・本当ですよ?

⦿ さわやか信州と言われる過去の長野市の最高気温上位を調べてみました。爽やか信州も暑いときは暑い・・・!!

   1994.08.16 38,7℃  2018.08.22 38.5℃  1994.08.14 38.2℃
   2018.08.21 37.7℃  2014.07.26 37.7℃


2020.08.07(
) 広島 慰霊式典

広島市平和公園で行われた「慰霊式典」のテレビ中継を見ながら、原爆投下の815分、西の方角に向かい、平爺も黙とうをささげさせていただきました。

〈平和公園の記念碑〉

安らかに  眠ってください
          あやまちは  くりかえしませぬから

10年ほど前、妻と訪れて手を合わせたのを思い出します。

■安部総理も式典に出席、国家の長として挨拶(弔辞)の言葉がありましたが、聞いていてがっかりするような内容。世界唯一の被爆国の長として、もう少し中身のある挨拶ができないものか・・・平爺には思いが伝わってきませんでした。率直なところ、そんな感想です。
世界で唯一、実戦で核兵器を使用したアメリカが、核兵器禁止条約に署名しない立場に引きずられ、真っ先に署名すべき日本も署名をしないで義理を立てる? 米国の顔色を窺っているようにしか見えません。

■唯一の原爆被爆国日本が、なぜ禁止条約に賛同しないのか・・・それを勉強してみようと思います。

2020.08.06(
) 広島市原爆の日

75年前、1945年の今日、人の道から180度外れた兵器「原子爆弾」が広島市に投下、その3日後には長崎市が被爆。大きな都市が一瞬にして灰燼と化し、世界中が震撼させられたと思います。70年前のことです。。

先日、放射能で汚染された黒い雨を浴びて健康被害を受けた広島の市民たちが訴えた裁判で、広島地裁は広島市などに対し、原告全員を法律で定める被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付するよう命じたことが大きく報道されました。ここまでくるのに何と75年の年月を要したわけです。

当時、国民の戦意高揚のためにもその実態を報道するわけにはいかなかった・・・軍部における報道管制下においては極秘事項?  (ネット検索でヒットした西日本新聞のブログを引用させてもらいます)

瞬時にして焦土と化し煙突1本のみ残った広島市街の一部。(1945年8月23日付の本紙(西日本新聞)2面に掲載された被爆から17日目の写真説明だと推測)。 無件降伏した日から1週間後です。

◆一瞬にして数万人の命を奪った広島原爆の一報は、厳しい報道管制化下、投下翌日の西日本新聞(1945年8月7日付)に、わずか49字の記事しか報道できなかったようです。

〈B29少数機は六日午前八時二十分頃広島市に侵入焼夷弾ならびに爆弾攻撃を行って脱去した、損害目下調査中〉

◆筆術に尽くせないような悲惨な南洋諸島での戦いの実相も、国民には厳重に伏せられたまま戦意だけを鼓舞し、最後は広島、長崎の惨状を招いて、初めて目を覚ました・・・この国は、いったい何だったのでしょうか。

そして、原爆を使用したアメリカは、被爆の惨状を知ってほしいとの思いで写真展を申し入れても拒否。今もその姿勢に変わりはないのでしょうか。

【追記】永年の友から届いたメールの一節
   私自身原爆投下時広島に居て、光と音、そして僅かの降灰を直体験しています。更に投爆一週間後に市内に入り、異臭に30分も居られなかったこと、我が家の跡地は、五右衛門風呂の釜が転がっていて漸く判別したこと・・・(以下略)

84日は満月、雲が邪魔して見ることが出来ませんでした。
翌早朝、ウォーキングで外へ出ると赤く染まった満月が西の空に浮かんでいました。まさに「ルナ・ロッサ」、
しばし空を仰いで見とれました。
「月」というと秋を連想しますが、目下夏のど真ん中。月を愛でる余裕はありません()



2020.08.05(
) 断捨離(水彩画)

断捨離の一環として、昨年末から写真整理に取り組み、何とか型をつけることができましたが、根気のいる作業でした。一度は面倒だから全部ゴミとして廃棄しようと思ったこともありますが、気持ちが許せませんでした。
さらに、どうしても処分することができなかったのは登山記録。トンチンカンな「山走山歩記」というわけのわからない名前をつけたA4サイズの山行記録64冊。ハードカバーの表紙で自家製本、その冊数は64冊。自分で言うのもおこがましいが、素人にしてはなかなかの出来栄え。愛着が深すぎて自分の手で始末することは無理。死後、処分してもらうしかなさそう(笑)

 
初期のハガキ絵--槍ヶ岳スケッチ

◆もう一つ。
70才からの10年間、無我夢中で取り組んだ水彩画。描きまくった絵は大変な数。日本水彩展入選作品や、ローカルの水彩画展で賞をもらった作品など、よりわけて細断廃棄しましたが、まだ40号、50号など、平爺にしては大作の絵が10点ほど残っています。いつか処分しなくてはなりませんが・・・つらいだろな~ 1枚だけは、棺桶に入れてもらおうかと思っています。

使わなくなった水彩画用の道具類。絵の具・額縁・絵筆・画架・三脚・画用紙・・など、捨てるにはもったいなく、かつて水彩画教室でお世話になった人の中で、欲しいという方がいたら引き取ってもらおうと声をかけてみました。おかげで1週間ほど前にすべて引き取ってもらうことができて、一つかたがつきました。捨てずにすんでほっとしています。

2020.08.04() 盛夏に汗を流して

うっとうしい梅雨が上がったのはうれしいが、いよいよ暑さの方は本番です。

すっきりした庭

梅雨の間に庭の芝は伸び放題。一昨日、梅雨が明けたカンカン照りの中で芝刈り作業。容赦なく照りつける太陽のもとで2時間の作業はらくではない。もともとたいした庭ではありませんが、それでも芝が短くなってすっきり・・・気分だけでも少し涼しさ感じる気がします。

◆昨日はさらに先延ばししていた日よけのスダレかけ。一部はゴーヤの棚がスダレ代わりになっていますが、このほかの2か所はスダレをかけて直射熱をシャットアウト・・・少しは暑さ防御の役にたっていると思うことにしています?

早朝1時間55分ウォーキングのあと、そして真昼間の自転車45分、さらにスダケレかけ作業・・・その都度シャワー。昨日は3回のシャワーでした。

暑さ嫌いの平爺、ひと月がんばって9月に入れば暑さも少しは和らぐと思います。
1ケ月の辛抱、がんぱれ平爺(笑)


2020.08.03(
) 梅雨明け

青空はいいな~

各地に水害被害をもたらした梅雨。もう雨はたくさん・・・、とにかく早く「梅雨明けの発表」をと待ちこがれていたと思います。平年ならとっくに梅雨は明けているはず。これも地球温暖化の影響でしょうか?
歴史に残るような暴れ梅雨(平爺が勝手につけた名前)もようやく終息の気配となり、一昨日は九州・中国・四国方面で梅雨明けの発表。四国は平年より12日遅く、昨年より5日遅い梅雨明けらしい。

豪雨被害の大きかった九州は平年より11日遅く、昨年より5日遅い梅雨明けだったようです。

◆関東甲信越の梅雨明け発表は8月1日、平年より11日遅れとのこと。久々にすっきりとした青空を見ました。やはり「青空」は気持ちいいですネ-。
天気予報で「関東甲信越」と言う言葉が良くて出てきますが、縁のない方には具体的な地域が不明瞭の方もいるかもしれません。

  関東・・・東京都・神奈川県・埼玉県・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県
  甲信越・・山梨県(甲州)・長野県(信濃・信州)・新潟県(越後)

2020.08.02(
) ヒルガオ-朝顔

昨日、関東甲信越がようやく梅雨明け。8月に入ってからの梅雨明けは13年ぶりとか。平年より11日遅れだそうです。さあ~明日からは暑さの戦いだ~!!

◆朝顔の花を知らない人はいませんよネ。川の土手、野原、道ばた、草原・庭の垣根など、どこにでも見られる野草。ウォーキングの際にも、ふんだんに目にします。

朝顔は「ひるがお科」の植物らしい。ヒルガオ科には 「ヒルガオ、アサガオ、サツマイモなどを含む約501200種からなり、熱帯・亜熱帯を中心に世界的に分布、日本には510種ほどが自生する・・・」以上はwebからの転載。
サツマイモが朝顔と同族のヒルガオ科とは驚きです。

 
 ヒルガオ

寒さの厳しい冬のウォーキングは辛いこともありますが、春から秋にかけてのウォーキングでは、名も知らぬさまざまな花が気持ちを癒してくれます。栽培した庭の花とちがって、野に咲く花は癒し効果も抜群な気がします。

昨日も畑の広がる野道で、可憐なヒルガオを堪能しました。

◆海岸の砂浜に咲くのはハマヒルガオハマヒルガオと言えば、戦後荒廃のさなかに聞いたNHKラジオドラマ「君の名は」を思い出すお年寄りも多いと思います。主題歌「♪君の名は」が、全国津々浦々どこへ行っても流れ、ラジオの時間帯は銭湯の女湯ががら空きになると云われたものです。その歌の中に「ハマヒルガオ」が出てきます。

♪君の名はと たずねし人あり  ♪その人の 名も知らず
      ♪今日砂山に ただ一人きて  ♪浜昼顔に きいてみる

認知症施設のボラでも、ときどき歌いますが、みなさん懐かしそうです。
◆ヒルガオの花ことば------絆 ・ 縁 ・ よしみ など

2020.08.01(土) 八朔(はっさく)


「八朔」とは旧暦の81日、稲の穂が出るころに豊作を祈念して赤飯(小豆飯)を焚き祝い膳を神に備えたのだとか。。
『八朔や 犬の膳にも 小豆飯 (はっさくや いぬのぜんにも あずきめし)
・・・一茶

 
 霧訪山々頂のオキナグサ

この句碑は、平爺の生家にほど近い神社の境内にあります。古い話しですが、長野県辰野町の霧訪山へ登った折、神社の巨杉の下にあるこの句と出会いました。

「雀の子 そこのけそこのけ お馬がとおる」や「名月を とってくれろと 泣く子かな」と同様、いかにも一茶らしいほっこりとした句だと思います。
句碑は風化して、今は判読も困難な状態です。

句碑のある神社のすぐ背後には「霧訪山=1305m」という低山があります。「きりとう」と読みます。霧の訪れる山・・・いかにもロマンチックで、女性が喜びそうな山名、気を惹かれると思います。低山にもかかわらず山頂からは北アルプス、八ヶ岳、蓼科山、妙高山、高妻山、雨飾山、御岳山、空木岳など、中部山岳の主だった山々の展望に優れていて、平爺も3回ほど登っています。

故郷を出てから30年余り、山歩きにのめりこむようになり、霧訪山の存在を知りました。山頂には自生のオキナグサが見られますが、ここ以外には自生地ほとんどなくなって、今では絶滅危惧種とのこと。写真は2001年5月21日に登った時の写真です。
花が翁のヒゲに見えます。

霧訪山 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/h-nebashi/sub2029.htm 


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