(ジョギングのコーナー)
(82)約束のフルマラソン完走

進まないトレーニング
比重が登山に片寄ったままの状態では、当然のことながら思うように走り込みの実績は上がらない。

その年(1991年、百名山完登の翌年)の10月、横浜マラソン10キロに参加して脚力の様子を試して見た。かなり疲れを感じた走りにもかかわらずタイムは51分27秒。
春からほとんど進歩が見えず、とてもフルマラソンを口に出せるような状態ではない。
来春のフルマラソン完走を目指すなら、もう本気で準備にかからないといけない。ようやく本腰を入れる気になった。

11月は登山が8日間、その他の日はなるべく休まないように起床時間を早めてジョギングを心がけた。
12月、登山は2日間だけ。残りは2日間休んだだけで毎日ジョギングに励み、月間で約210キロほどを走ることができた。 ジョギング日誌を付けると、かつてのめりこんだときのあの状態に逆戻りしてしまいそうで、怖くてジョギング記録は一切取らずに来ていた。しかしこの12月だけは特別と言う思いで記録した。
一日で最高に走れたのがたったの17キロ程度。まだまだフルマラソンには手が届かない。


1992年(手術から満6年目)
結局このシーズンのフルマラソンは諦め、1〜2月に行われた3つの大会に参加したのが精いっぱいだった。
   東京シテイマラソン ハーフ・・・・1:44:38
   城南マラソン大会  20キロ・・・1:35:35 
   神奈川マラソン大会 20キロ・・・1:40:09
という結果だった。 やはり登山との二足のワラジは厳しいものがあった。

新たに見出した「日本三百名山」という目標を追いかけながらも、自分の年齢を考えるとフルマラソン挑戦はそろそろ限界の時期に来ているような気がしていた。
今のうちに完走の約束は果たしておきたい。
急くのは気持ちだけで、毎週のように出かける登山の合間を縫っての練習は、いっこうに進まない。焦ってはみてもとにかく時間が足りないのだ。

オフィスが有楽町に変ったのを機会に、昼休みに皇居外周を走ったりもした。
「早く定年が来て、全部が自分の時間になったらどんなに素晴らしいだろう」 そんなことばかり考えるありさまだった。

ところが新宿紀伊国屋書店でのこと、登山関係の書棚を見ていて、「信州百名山」という本を見つけてしまった。
これは故郷の山だ。また挑戦の材料が増えて、ますます気持ちは山へ駆り立てられる。
そんな中、途切れずにジョギングは続けていたが、長距離の走り込みがほとんど出来ていない。

登山シーズンも終った晩秋、このシーズンこそフルマラソンの最後ときと自分に言い聞かせた。
12月は2日休んだだけで、連日早朝ジョギングを実行した。20数キロの長距離走も織り込んで、月間280キロ余の走り込みが実現した。勿論手術以来はじめてのこと、実に6年ぶりのことであった。12月は大晦日に山梨県の本社ケ丸と言う山へ登っただけだった。

この1年で登山に要した日数73日、忙しい勤務の中で登山だけでも手いっぱいで、マラソン練習が進まないのは当然のことだった。

1993年(手術から満7年目)
登山を減らしてジョギングを優先させた効果か、1月に参加した東京シテイマラソンハーフのタイムは1:42:02 で昨年より2分30秒ほど良かった。
翌2月は青梅マラソンに参加、25キロ過ぎで持病の膝痛に悩まされてスロージョギング状態に陥ってしまい、タイムは2時間37分台ながらまずまずであった。

そして3月、いよいよ私にとってはどうしても実現しなければならない目標「フルマラソン完走」の時を迎えた。
勿論昔の3時間15分というタイムは叶うはずもなく、タイムよりとにかく最後まで完走することである。 完走さえできればそれでいい。そう思いながらも4時間以内でゴールインしたいという夢はあった。
千葉県佐倉マラソン大会。何個所かアップダウンもあって、決して楽なコースではなかった。
群集となって走り出すランナーの、最後尾あたりに埋没して私もスタートした。
あいにくの冬の雨が厳しい。 目標は4時間、そして歩かないこと。10キロごとのラップは55分と考えていた。
スタートライン通過までの3分以上のロス、前のランナーに遮られてペースを上げられないことなどもあって、最初の10キロに58分を要してしまった。 10〜20キロが53分でまずまず 20〜30キロ、疲れが出てきて58分かかる。
30キロからの5キロは27分に挽回、4時間は切れそうに思えたが、このあとゴールまでが疲労困憊、脚が動かない。走ったり歩いたりで、この7キロに54分もかかってしまった。 結局公式タイムは4時間10分、最後尾スタートのロスを修正しても4時間7分。目標は達成できなかったが、ゴールまでたどりついたことには相違ない。

果たせた「いつかまたフルラソン完走」の約束
病院のベッドの上で「いつかもう一度フルマラソンを完走します」という約束を交してから満7年が経過していた。ようやく約束を果たすことができた。

さらに翌月、小笠・掛川マラソンにも参加したが、高温にも悩まされ、途中路傍に寝転んだりして4時間を少し上回ってしまった。脱水症状を起しかけて辛いレースだった。

以前何回も走ったフルマラソンで、勝手はわかっていたつもりだったが、7年のブランクと足りない練習量、やはり誤魔化すことはできなかった。それがフルマラソンというものだ。

私のフルマラソンは終った。
翌年の年賀状には次のようにしためた。
明けましておめでとうごさいます。
 昨春、おかげさまで《いつかまたフルマラソン完走を》の
    夢とお約束が果たせました
 これをもって「病後の終了」を宣言させていただきますとともに
  8年前、その節のご厚情に改めてお礼申し上げます
   昨年のマラソン実績   
  ▼ハーフ(東京シテイ)1:42:02  30キロ(青梅) 2:37:12
    フルマラソン2回(佐倉) 4:07:32 (掛川) 4:10:09
  登山にますますのめりこみ 山行日数60日

  夏は<東北いで湯の山旅10日間>は例によって妻と二人の
     貧乏テント道中 (以下略)

1994年1月、年齢も58才となり、定年も間近に迫っていた。
2年後には東京を離れることになる。多分これから先大小を問わずマラソン大会に参加することはもうないだろう。 練習もあまりしてなかったが、最後の記念にと東京シテイマラソンハーフに参加した。タイムは1:44:46であった。
これからも趣味として、登山の脚力作りとしてジョギングだけは続けるだろうが、もう大会には出ることはない。
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