銀のつなぐ路・第3話「副官になるということ」

 セレニオの提出した当番表は、テュニスをひどく喜ばせた。

「素晴らしい! 『一を聞いて十を知る』とは、君のことです、セレニオ君! これからも、この集いの発起人としての活躍、期待していますよ。」

 そう言ってテュニスは帯から鞘ごと取り外した鉄剣をセレニオに渡し、隣にいたミルカには大粒の赤い宝石を手渡した。
 ミルカの顔に「にやり」とした笑みが浮かび、セレニオは悪寒を感じた。
 一方のテュニスは、要望を言うだけ言うことにした。

「このトルクには貨幣経済がありません。ミルカさんの国では、どうでしたか? もし海の民の間で買い手がつけば、それを売って、セレニオ君に必要な品物を買い集めてもらいたいのです。」

「おまかせください! このミルカ、セレニオの副官として金銭管理も担当いたします!」

 この時から、ミルカは「セレニオの副官」と称するようになった。
 一方のセレニオは、ほめられても嬉しくは思わず、むしろミルカの表情が気になった。

「お前を見て、一つ学んだ。外の国では、人は『かね』を集めるのを生きる目的にしているのだな。」

 セレニオは貨幣経済を理解しつつあるものの、やや批判的だった。
 それに対し、ミルカは顔から軽薄さを消し、少し考えてから答えた。

「…。否定はしません。…ただ、この宝石一個を懐に納めておくより、ご主人様を盛り立てたほうが、あたしにとっても儲かります。これをトルクの外では『利害の一致』って言います。」

 私欲の正当化だけでなく、ミルカにも主セレニオに伝えたい道理があった。

「それに…確かに、私達『海の民』は略奪目的で…それが兵士として働くことの報酬でした。ベネシス様でも、セリューミラン様でも、財貨…お金を約束できないと兵隊を集めることができません。」

「…。それでも『報酬』を用意できれば、『利害が一致』して、人を集めることができるわけか。」

「ご理解が速くて助かります。おっしゃったように、生活と報酬を保障されないと、人は動きません。」

「わかった。…いや、まだ判っていない。ミルカやベルヴェータ殿に『報酬』を渡すのは、何日に一回、どれだけ渡せば良いのか判っていない。…しばらくは、ミルカに任せても良いだろうか?」

 これまでのセレニオに「人を雇う」という概念はなかった。
 それでも、セレニオはミルカの話から「雇用」について推察し、その方面の先人ミルカから学ぼうと考えた。
 一方のミルカはセレニオの理解力に満足しつつも、「(教え過ぎると、あたしの立場がなくなるかも。)」と少し怖ろしくなった。
 
 
 
 一緒に耕作する狩人達や戦士ベルヴェータと合流したセレニオ達は、身なりの良い若者に呼び止められた。

「やあ! セレニオ! もう動いて大丈夫なのかな?」

 その声に、狩人達やセレニオが一斉に片膝を突いて拝礼し、わずかに遅れてベルヴェータとミルカもそれに倣う。
 180cmの長身を、金属片の縫い込まれた革鎧に包んだその若者は、このトルク王国を代表する将アネス・トルクその人だった。
 そのアネスに、祖父であるテュニスが応対する。

「セレニオ君には無理をさせてしまっていますが、今のトルクには猶予がありません。アネス、そなたも判っているでしょう。今のトルクには冬を越せるだけの食糧がなく、その手配は急務なのです。その苦境を察して、ここにいる皆さんを呼び集め、農耕の指揮を執ってくれているのがセレニオ君です。」

 テュニスはそう説明してから、少し考えこんだ。
 テュニスにはテュニスの懸念があるように、アネスにはアネスの事情がある。

「まあ、今日はセレニオ君を預けておきましょう。友人同士として、語り合いたいことも多いでしょうから。…ただ、セレニオ君を引き抜かれると困ります。」

「いえ、後日にします。本当はセレニオに守備隊か憲兵隊の指揮を頼みたかったのですが、お祖父様に先を越されていたのでは、仕方ありません。…では、皆さん。お時間を取らせて、すみませんでした。」

 アネスは意外なほど素直に引き下がり、トルクの城壁内に戻って行った。
 …が、その途中で一瞬、ミルカに向けた視線には、明らかな「敵意」が含まれていた。
 
 
 
 トルクの人々にとって、不幸中の幸いだったことに、海の民は続々とトルクを離れて行った。
 略奪目的で侵攻していた海の民は、今のトルクに長居する価値を感じなかったのである。
 また、危害を加えられたトルクの人々の視線も、海の民には耐え難いものだった。
 それでもなおトルクに居残る海の民は、ミルカのように仕官した者か、ベルヴェータのように帰る場所のない者か…あるいは、よほど酔狂な者だけだった。
 そして、トルクに居残って、セレニオをあきれさせた者達はいた。

「ルミノ隊長、ルカ、ティリオ。今のトルクは、あなた達を歓迎しない。出て行くなら、早くしたほうが良い。」

「友情からの忠告として受け取っておくよ。」

 そう答える海の民、ルミノ隊長の屈託のない笑顔に、セレニオの顔には苛立ちが浮かんだ。
 普段は冷淡なセレニオではあるが、ルミノ達が相手になると、妙に感情を見せる時があった。

「まあ、シェセルやフェゼルは、少しは利口だったか。」

「いや、それが…あの二人を探索に出してから、2週間ばかり戻って来てないんだ…。」

 そのルミノ隊長からの返答に、セレニオは表情を失った。
 セレニオは自室に駆け戻って、荷物を背負って来ると、ルミノ達に呼びかけた。

「ティリオ、道案内を頼む。ルミヌス・アマルフ・テバ(ルミノ隊長)とルカは、私が戻るまで開墾を手伝ってもらいたい。詳しい内容はミルカが知っている。」

 こうなると、セレニオの行動は速い。
 海の民の弓兵ティリオを連れて、セレニオは厩舎に立ち寄って荷馬を借り、5分も経てずに旅路に就いていた。
 
 
 
 一方、ミルカはその彼らの会話の場に居合わせていたわけではなく、ルミノ隊長に「セレニオ殿から、ミル坊の指示で畑を手伝うよう頼まれたんだが」と言われて判断に苦しんだ。

「いや、あの…こう言ってはあれですが、それがセレニオからの言葉だとする証拠は?」

「ねーよ。ただ、俺らとセレニオ殿の間の友情は知ってるだろ?」

 ルミノ隊長は迷わず答えるが、ミルカは主セレニオの口から、交友関係の類の話を聞いたことがない。
 意識不明だった頃のセレニオの見舞いに、ルミノ隊長やその隊士達が訪れていたのには、ミルカも会って言葉を交わしたこともある。
 しかし…セレニオ自身は、ミルカにルミノ達について何も話したことはない。

「ルミノ隊長、無理ですよ。あたしはセレニオの副官。その副官が証拠もなしに動くのは…ええと…規律違反? 独断で動くのは駄目、みたいな。」

 冷や汗をかきながら、しどろもどろに語りながらも、ミルカはルミノ隊長より、むしろ主セレニオに腹を立てていた。
 重要なことを副官に連絡しないまま出張したのであれば、それはセレニオ側の無責任である。
 しかも、ルミノ隊長からの要望にも、過酷なものがあった。

「ミル坊、緊急時にあっては、副官は直属の上官の代行を務める。セレニオ殿になったつもりで、判断すればいいじゃん。」

 そのルミノ隊長の言い草に「他人事だと思って!」と怒りを覚えたミルカではあったが、同時に、「その通りだ」とも思った。
 もし、セレニオなら…ミルカは剣士ベルヴェータを呼びに行った。
 そして、テュニス先代王と一緒に畑の土質を調べていたベルヴェータが立ち上がって振り返ると、ミルカは指示を出した。

「ベルヴェータさん…いや、ベルヴェータ殿、今日からルミノ隊にも開墾を手伝っていただきますが、もしルミノ隊長に疑わしい所があれば、まずルカ殿を斬っていただけますか?」

「ちょ!? ミル坊! ベルさん、もし本当に斬るんなら、俺を真っ先に斬ってくれ。」

 その慌ただしい二人のやり取りを耳にしながら、ベルヴェータは首を傾げた。
 そして、ルミノ隊長が事情を説明すると…ベルヴェータの顔に、はっきりとした不快の表情が浮かんだ。

「ルミノ隊は、セレニオ殿の名前を知っていた!? 私だって知らなかったのに!」

「あー、それ、セレニオ殿がベルさんを怖がってたからだ。言ってたもん『もし、ベルヴェータ・レントゥルスと名乗る女剣士がいたら伝えてもらいたい。見かけたら最優先で殺しにかかるので、森には近づかないでいただきたい、と。』って。50人斬りの、死の森の番人が名指しで恐れた、って羨ましい栄誉だぜ? 俺なんか、完全になめられて、一緒に飯食ってても警戒してもらえなかったし。」

 そのルミノ隊長の証言は、ミルカやベルヴェータの持っていたセレニオ観を覆すものだった。
 ミルカとベルヴェータが少し興奮して語り合うのを横目に、ルミノ隊長はトルクの先代王テュニスに座礼した。

「いつも、自分は場を騒々しくしてしまうようで、お恥ずかしい限りです。そして今日からは、我が友セレニオの意向があって、テュニス様の御身辺を騒がせてしまう事、平にお許しください。」

 そのルミノ隊長の両肩を、テュニスは「ほっほっほ!」と笑いながら叩いた。

「待っていましたよ、ルミヌス・アマルフ・テバ、それに…ルカ君。…ティリオ君は?」

「実は、シェセルとフェゼルの兄弟が行方不明になって、捜しに出ています…セレニオと一緒に。」

 そのルミノ隊長からの返答に、テュニスも顔を曇らせた。
 しかし、彼らが気に病んでいても、状況が好転するものではない。

「まあ、こちらはこちらの役目を果たしておくとしますか。…ミルカ君、ルミノ隊長とルカ君を加えた当番表を、明日までに作っておいてください。」

 そう指示を出して、テュニスはルミノ達に畑や農作物についての説明を始めた。
 一方のミルカは自室のある王宮に向かいながら、「(今日は徹夜かも。)」と哀しく思った。
 
 
 
 自室に戻ったミルカは、夜遅くになっても蝋燭(ろうそく)の明かりの下、セレニオを真似て当番表を作っていた。
 しかし、昨日セレニオが5分ほどで書き上げていたものに、ミルカは2時間ほど費やしてしまった。
 その差の理由は、この時のミルカには判らなかった。
 …実は、ミルカの能力がセレニオに劣っていたわけではない。
 セレニオが模型を造るように当番を組んでいたのに対し、ミルカは一つ一つ丁寧に考えてしまった。
 その着実さもミルカの美質には違いなかったが、どんな才能も万能ではない。
 その事を、ミルカは言葉では知っていても、この時はただ「(結局、要領のいい人が得するんだよね。)」程度に思った。

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