銀のつなぐ路・第4話「予兆」

 春に西から侵攻した海の民は、夏までにトルクのほぼ全土を蹂躙した。
 その戦いも終わって秋になり、二人の元兵士が、惨劇の痕跡を探っていた。
 彼らの前にもう二人が、調査に出張っていたが行方不明になっている。
 トルクの戦士セレニオと、海の民の弓兵ティリオはかつて村のあった方角に向かいながら、情報交換をした。

「滅ぼされた村の一つ、バリオ殿のいた村が、この先にあるはず。…太陽の位置から見て、『南西』か。そのうち、『地図』を自分で描くことになるかもしれない。」

「いい傾向ですよ、セレニオ殿。…さて、この先の土地に兵を置いていたのは、百人隊長アトランタ。戦いの全期を通じて物資調達を担当し、王都包囲戦でも、食糧を絶やさず送ってきていました。」

 そのティリオの言葉に、セレニオは小さく眉をひそめた。
 海の民に送り続けられた食糧などの物資を得るため、どれほどのトルクの住民が犠牲になったことか。
 セレニオは恨みを引きずる性質ではなかったが、少なくとも愉快ではなかった。

「まあ…もう奪う物は残っていないだろうし、そのアトランタとやらも、早々に出て行ったのだろうな。」

「ええ…。その確認に、シェセルとフェゼルが向かっていたのですが…。ひそんでいたトルク住民に、復讐されたのかもしれません。」

「その場合、私はあの二人の仇は討たないが、あなたを逃がすくらいのことはする。」

「十分すぎるほどです、セレニオ殿。」

 そうしたことを話しながら、二人は歩を進め、2日ほどで廃村にたどり着いた。
 すると、その『廃』村は無人ではなく、トルク住民と思しき服装の者達がセレニオ達の姿を見て、村の奥に走ろうとした。
 その村人達を、セレニオはとっさに追いかけた。
 村周りの柵を跳び越え、村人達を追い抜き、セレニオは村奥の建物の戸を蹴破って押し入った。
 そして、そこにいた相手の鼻面に剣の柄頭を打ち付けて椅子から殴り飛ばし、そのまま鞘を引いて剣を抜き出し、鞘離れの瞬間に刃を相手の首筋に抜きつけた。
 逃れようとする相手に対し、セレニオが剣を押しつけると、刃に血がにじんだ。

「手元が狂うので、動かないほうが良い。私が聞きたいのは、あなたの名前と所属。」

 セレニオがそうしたことを話していると、村の男達が入って来たので、言葉を続けた。

「手出しをしないよう、彼らに伝えてもらえるかな? そうでなければ、私はあなたを死体に変えるしかないのだが。」

 その言葉に、相手よりも村人達のほうが過敏に反応した。
 この見慣れない戦士は、明らかに人を殺し慣れている…それを察した村人達は動きを止めた。
 その時になって、やっとティリオが追いついて来た。

「セレニオ殿、これはいったい?」

「ティリオ、この海の民から名前と所属、それに目的を聞き出してくれ。私がやると、どうしても相手を殺してしまうようだから。」

 そう言って、セレニオは取り押さえていた相手を解放し、剣を鞘に納めた。
 一方のティリオは相手を椅子に座らせ、頭を下げた。

「自分は海の民、ルミノ小隊のティレニウス・ルシウス・キュテラニオ。弓兵ティリオの名で通っております。失礼ながら、貴官はアトランタ百人隊長のご所属ではありませんか?」

「いや、自分はすでにアトランタ隊長の下を離れ、自分自身のためにトルク遺民を脅して食料を差し出させているだけ。」

 その返答から、ティリオは相手の嘘を察した。
 本当に私欲で食料や物資を奪い集めるのなら…もし、ティリオなら、アトランタなり上官の責任にしてしまうことを考える。

「まあ、そういう事にしておきましょうか。それでは、自分達より前に来たはずの、海の民の調査員については?」

「そうした人達は見かけていない。ここはもう、逃げるに逃げられなかった者達が餓死を待っているような場所であるし、ティリオ殿の言われる調査員もここの存在に気づかなかったのではないか?」

 これも嘘である。
 恐らく、アトランタはまだこのトルクの地に残っていて、王都方面から来る者の見張りとして、この海の民の士官を配置した。
 そして、この村の住民も、アトランタ達に加担している。
 その証拠に、この士官も村人達も、やせ細っていない。
 …ここで、部屋の奥に控えていたセレニオが口を挟む。

「飼っているのは、羊か?」

 その指摘に、士官は剣の柄に手をかけた。
 しかし、セレニオはその動きを予測していて、士官の抜き手を自分の剣の柄で打ち据えていた。
 それでもなお、剣を抜こうとする士官の眉間に、セレニオの剣の柄頭が打ち込まれる。

「言葉ではなく行動で返答してくれたことに感謝する。ティリオ、この人を縛ってくれ。」

 その指示を、ティリオは直ちに実行に移した。
 舌を噛んで自殺されないよう、布を噛ませておくのも忘れなかった。
 剣を手に村人達をけん制していたセレニオも、ティリオの作業が終わるのを見ると、士官を肩に担いで外に出た。
 
 
 
 セレニオは深入りを避け、士官を人質として王都トルクに連れ帰ることにした。
 もがく士官を荷馬の背に載せ、セレニオとティリオは帰路を急いだ。
 何か恐ろしいものが追って来ている。
 その本能的な恐怖が、二人を駆り立てた。
 休憩時間も限界すれすれまで減らし、セレニオ達は2日の旅程を1日半で走破した。
 夜の城門に着いた彼らは、セレニオの副官ミルカを呼び出した。

「ったく、こんな夜中に…。面倒なの全部、あたしじゃん。…あ、やべ。ご主人様、お帰りなさいませ。道中、さぞお疲れでしたでしょう。お食事の準備など、させていただきますので、さ、王宮のほうへ。」

「急に仕事を回して済まなかったが、今回も急ぎで頼みがある。捕虜を連れて帰ったので、服を着替えさせてやって欲しい。身体も洗ってもらえると助かる。あと…弱っているように見えても、海の民だ。隙を見せれば、間違いなく反撃される。ベルヴェータ殿かフォクメリア姉上とも相談して、逃がさないよう手を打ってくれ。」

 その指示を聞き、ミルカは「(ああ、また仕事が増える…。)」と不満を覚えはしたものの、今が彼女にとっての正念場だった。
 気難しくはあっても、ミルカにとってセレニオは重要な「投資先」である。
 ミルカはセレニオから、捕虜を載せた荷馬の手綱を受け取った。
 そして、彼らが王宮前で捕虜を降ろすと、ティリオはルミノ隊長の待つ兵舎に戻り、セレニオは荷馬を引いて厩舎に向かった。
 残されたミルカは捕虜から漂う異臭に、眉をひそめた。

「なんか…災難でしたね。お湯で洗って、着替えも用意しますんで。」

 狡猾なミルカにも、憐憫の情はある。
 一方の捕虜は、その小娘の憐れみの目に屈辱を覚えた。
 それでも、気配を察して、目を覚ましてきた戦士ベルヴェータが手伝いに加わると、捕虜も態度を軟化させた。
 捕虜の口から、噛まされていた布が取り除かれる。

「…殺してくれ。」

「私も最近、同じことを考えています。戦いが終わって、仕事もお給料もなくなってしまいましたから。なら、せめて、海の民の戦士として栄誉ある死を、と思いますよね。…でも、同じくらい思います。自分は本当に最後まで戦い抜いたのか? と。」

 ベルヴェータは諭しながら、士官の服を脱がせ、身体を手際よく洗った。
 
 
 
 翌朝、セレニオは副官ミルカに言いつけ、客を迎える準備を整えていた。
 ミルカは「(ったく、こんな朝早くから…。)」と思いはしたが、仕事は忠実にこなした。
 そして、セレニオの予期していた通り、朝食時を終えた辺りで来客があった。
 セレニオやミルカだけでなく、ルミノ隊やベルヴェータも共に待ち受ける。

「お待ちしていた。アトランタ殿。」

 王宮の一室でセレニオ達が迎えた客は、異様に大柄な女性だった。
 赤い髪を後ろに束ね、妙に仕立てのいい衣服も紅に染めてあり、そうした風貌でも百人隊長アトランタは異彩を放っていた。

「いやはや、全てはそちらの読み通り、と言うわけでしたか。ならば、私が来た用向きもお判りでしょう。うちの隊の副長を連れて帰りたいのですが。」

「シェセルとフェゼル、二人の身柄と交換です。」

 セレニオがそこで会話を打ち切ろうとし、アトランタは苦笑いを浮かべた。
 この現地人の若者は、交渉が苦手そうに見えるのに、しっかり要求を伝えてくる。
 言い逃れはできないと察したアトランタは、話を進めようとした。

「条件、と申しますか、お互いの利益のために同意をいただきたい事があるのですが。」

「あなたが『トルクの民はあらかた殺した』と嘘の報告をして、その実は、かくまって隠し畑を作らせていた…のを黙っていろ、ということか。」

 そのセレニオの推測を聞き、アトランタは黙り込んだ。
 その顔は微かに青ざめている。
 セレニオは言葉を続けた。

「急に海の民がこの地を去ったのも、あなたが『トルクの地にもう奪えるものはなく、居残っていても餓死を待つだけだ』と噂を流したからではないか、と思っている。」

 そのセレニオの発言に、相手のアトランタだけでなく、ミルカやルミノ隊まで動揺し始めた。
 アトランタの口の端が、またしても歪んだ。

「ついでに、『多すぎる死体が腐って、そこから疫病が流行り始めた』という嘘も流しておいた。それにしても…よく調べたものだ。」

「調べる? …ああ、そういう事か。逃れてきた者の中に、そちらの仲間がいた、と。」

 ここでルミノ隊長が「セレニオ殿、そういうのを諜報という。」と口を挟んでしまい、あわてて咳払いをした。
 一方のセレニオは、この話し合いを結論に導こうと、言葉を続けた。

「せっかく出て行った海の民が戻って来て、また土地を荒らされるのは好まない。こちらも余計なことは言わないと約束する。ただ、それとは別に、シェセルとフェゼルの二人はここに連れて来てもらい、あの戦士殿と取り替えましょう。そちらも探られるのは嫌でしょうし、こちらも関わり合いになるつもりはない。」

 セレニオはそう言って席を立ち、アトランタに去るよう促した。
 トルクの将アネスに目通りさせることもなく、セレニオは「次にお会いする時を楽しみにしております。」と言って、アトランタを追い返した。
 そして…アトランタが渋々帰った後、ルミノ隊長は恐る恐るセレニオに話しかけた。

「なあ、セレニオ殿、言っちゃ悪いが、今のはかなり無礼だったぜ? 普通は少なくとも、総大将のアネス様に会わせるくらいはするもんだ。」

「いや…あれは人の姿をした獣だ。アネス様に近づけるわけには行かない。」

 そう答えたセレニオは、微かに震えていた。
 
 
 
 古い時代が壊れて、新しい時代が創られる時、古い時代を守ろうとする力が働く。
 それまで目立たなかった人物が、意外な力を発揮して新しい時代に抗おうとする。
 あのセレニオと呼ばれた若者も、そうした古い時代の仇花の一つなのか。
 苦々しい思いをさせた敵ではあるが、アトランタは「惜しい」とも思った。

「(もしかすると、私の計画の仕上げにふさわしい人物なのかもしれない。少し、探りを入れておくか。)」

 幸い、会話の端から相手の名前を知ることができた。
 アトランタはこの辺りでは珍しい重量級の馬を走らせ、自分の勢力圏に戻った。
 
 
 
 その後、セレニオはルミノ隊長に説得され、今回の一件をアネス王子に報告した。
 すると、アネスは顔を曇らせた。

「んー。そういったことは、前もって僕に相談してほしかったかな。」

 理性的なアネスなので、はっきりと怒って見せなったが、内心は不快で、めまいさえ起こした。
 軍などの組織に最大の被害をもたらすのは、敵ではなく、勝手なことをする味方である。
 頼りにしていたセレニオがそうした独断行動に走ってしまったことに、アネスは絶望感を覚えた。
 …ここで、ルミノ隊長が一歩進み出て、アネスにひざまずく。

「今のセレニオには、何が問題なのか、判っていないと思います。それでも、今の状況で重要なのは、アネス様とセレニオ、双方が納得して力を出し合うことです。そうなると、軍や組織について教えるのは後回しにして、セレニオを親衛兵や隠密のような役職に就けるのはどうでしょうか。」

「なら、『王の友』というのはどうかな?」

「それも良案の一つです。豪族の中には、異能の人を客として養う者もいます。あるいは『セレニオ傭兵団』のような形で独立させておいて、期間ごとに契約を結ぶ形も考えられます。」

「トルクの外には、色々な人の関係があるものだね。」

 アネスの機嫌は良くなったが、ルミノ隊長の狙いはそこではなかった。
 セレニオが変わらないと、意味がない。
 ルミノ隊長はアネスの前から退出すると、隣のセレニオを厳しく諭した。

「セレニオ殿は『相手のためだ』と思って、人の事情を無視して動いて、それでいいんだろうけど、一番迷惑すんのは副官になったミル坊なんだよ。軍とか組織について、俺が話すよりミル坊から聞いたほうがいい。ミル坊の話さえ聞く気がないなら、俺はセレニオ殿を『そういう奴だ』とみなすし、ベルさんやうちの隊の連中だって、がっかりするだろうぜ。」

「私は…そこまで悪いことをしていたのか?」

 なぜ先ほどからルミノ隊長が怒っているのか、セレニオには理解できていなかった。
 当惑するセレニオに、ルミノ隊長はさらに説明した。

「確かに、セレニオ殿は結果を出してる。ミル坊のことも、育てようとしてる。…だから、もったいないんだよ。それだけのことができるのに、なんで人の立場を考えようとしないのかって。…まあ、俺が言いたいのはそれだけ。」

 セレニオは判断力や理解力に恵まれているが、欠如しているものも多い。
 それを、ルミノ隊長は友として惜しんだ。
 そして…次のセレニオの言葉で、卒倒しそうになった。

「つまり…私のしたことは急場しのぎに過ぎず、長い目で見ると、人の立場や関係を傷つけて、『組織』をむしろ弱くしてしまう…と?」

 そこまでのことを自分で考えて判るなら、なぜ前もって配慮をしない…ルミノ隊長は叫びたくなった。
 それでも、今のトルク王国を見回しても、セレニオ以上に有望な武人はアネス王子の他に見当たらない。
 そこに、不安を覚えながらも、ルミノ隊長はセレニオを促して、ミルカ達の元に戻った。

目次に戻ります

第3話に戻ります

第5話に進みます

他の小説に行きます

小説以外のお話に戻ります