銀のつなぐ路・第8話「疑惑」

 セレニオは自分が倒れたことを隠そうとしたが、早々とアネス王子に伝わってしまった。
 しかし、見舞いに来たアネスを、セレニオは追い返した。

「何をしに来られたのですか! アネス様には、他にすべきことが、いくらでもあるはず。さっさとお帰りください!」

 セレニオは力を振り絞って起き上がり、アネスを部屋から押し出した。
 その無礼さに、セレニオの副官ミルカも苦言を呈した。

「いや、あの…ご主人様、今のはちょっと…。」

 そのミルカに対し、セレニオは寝台に腰かけ、小声で答えた。

「アネス様の代わりはいない。…私は、ミルカやルミノ隊長に自分の考えを伝えてあって、いつ代わってもらっても問題ないようにして来た。私の代わりは、いくらでもいる。…でも、アネス様の代わりはいない。そのアネス様がご自分の役目を果たされるのが、私の望みだ。」

 そこまで語ったところで、セレニオは疲れたように、横になった。

「ミルカも、こんなところで時間を無駄にしないで。」

「…何言ってるんですか。あたしだって、覚悟決めて副官してるんです。馬鹿にしないでください。」

 今度はミルカがセレニオを黙らせた。
 
 
 
 この時のアネスは苦境にあった。
 トルク王国の、組織としての維持。
 戦争中は、海の民と言う共通の脅威があって、トルクの民は団結していた。
 兵や協力者への支払いも、食糧の提供だけで済んでいた。
 …が、戦争が終わって2ヶ月が経過した今、大勢の者を引き留めておくのには無理があった。

「(やっぱり、銀…かな。)」

 戦争状態にはないものの、南に残存した敵勢力は、銀を硬貨に鋳造して流通させているらしい。
 このトルクの地では伝統的に物々交換が行われているが、貨幣の利点は、アネスにも理解できる。

「(まあ…もう、軍は機能してなかったし、いったん解散して、新しく選抜するか。人数は…200、いや、40人くらいが限界か。)」

 先代王テュニスや、セレニオ達が物資の調達に苦心している中、軍の指揮者アネスも大きな要求はできなかった。
 しかも憂鬱なことに、敵勢力は生産体制も充実させているようで、もし戦いになった場合、勝ち目は薄かった。

「(ここで、夏の時みたいに、みんなの危機感をあおって無理に団結させたところで…もう、長続きはしないさ。)」

 隔絶されたトルクの地の者ではあっても、指導者のアネスには、自分達の置かれた状況が理解できていた。
 もし、「そうなる前に、手を打てなかったのか?」と問われても、アネスも近しかった者達も、その時点で知り得ていた情報を基にした最善を尽くしていた。
 その時々を生きる者にとって、行動の結果は可能性としての予測はできても、最初から判明しているわけではない。
 それでも、アネスは指導者として、その時点で得られている結果に責任を持ち、次の時点で望ましい結果の得られる可能性の高い行動を選択しなくてはならない。
 そうした状況にあって、セレニオの存在はアネスにとって、個人的に大切な友人であるだけでなく、トルクの未来を切り開く可能性としても重要だった。

「(考えは判るけど…あんな言い方、しなくたって…。)」

 公の立場もあって口外できなくても、アネスにも感情はあり、不満もある。
 セレニオから浴びせられた冷たい言葉にも傷ついたが、これから会いに行く相手を好きになれないことも、アネスの心を重くした。
 
 
 
 アネスが相手の姿を見つけた時、その人物は市民の一人から、何かの報告を受けていた。
 その人物…技師ロニアは市民を作業員として雇っていたが、最近では工事に慣れてきた作業員を現場監督に任命して、工事の規模を広げていた。
 そのロニアのほうも、アネスに気づき、駆け寄って来た。

「これは畏くもアネス様、ご尊顔を拝し、光栄の至りでございます。…で、工事のほうなんですけど、明後日には、水路に水を入れて町を通すところまで行けそうです。セレニオも楽しみにしてたんで、あいつも早く良くなれば、いいんですけどね。」

 何気ないロニアの発言だが、大いにアネスの気に障った。
 アネスは本能的に、ロニアに好意を持てなかった。
 それでも立場上、感情をあらわにできず、アネスは作り笑いを浮かべて言葉を返した。

「話に聞いたことしかない水道が、トルクに敷かれる日が来るとは…ロニア殿のお手配に敬服します。…ただ、その返礼として『人間』を求められると、承諾しにくいことは、心に留めておいてください。」

「あー。トルクの民をさらって、奴隷として売っちゃわないか、ですよね? それはないです。うちの長期での目的は、王都で染色とか製紙ができるようにすることなんで、人間は売っちゃいけない『設備』です。…素質のある人には、技術を覚えてもらうことになりますけど、それはあくまで、お互いの利益あっての話です。」

 ロニアとしては、正直に話しているつもりである。
 アネスもあえて、追及はしなかった。

「いずれ、そのあたりも含めて、そちらの御大将アトランタ殿を交えてお話ししたいですね。あと…セレニオについては、不向きな仕事で無理をさせてしまっていたので、王家のユリシスとアイリアの二人に引き継がせます。」

「不向きなんかじゃなかったですよ? アネス様は、セレニオを信じたほうがいいです。それを、僕が説明しなきゃいけないようなら、もう終わってます。あと、この国、税制を基本から見直したほうがいいです。」

 この時、ロニアは少し怒っていた。
 この1ヶ月間、ロニアは水道敷設だけでなく、貨幣経済や工業を人々に紹介する工作も行っていた。
 そのロニアにセレニオは協力していたが、同時に、観察して文書に書き残していた。
 ロニアにとっては監視されている形になったが、セレニオの協力は日を追って的確になり、ロニアの仕事も予定より早く進んだ。

「僕に言えるのは、それだけ。」

 ロニアはそこで、会話を打ち切った。
 この先は、アネスが自分で気づかないと、意味がない。
 
 
 
 立場では敵勢力に属していても、見舞いに来たロニアは、病床のセレニオに通された。
 かなり回復していたセレニオは、床から起きて平服に着替え、ロニアを迎えた。

「副官に看病をさせ、仕事を遅らせてしまった。恥ずかしくて、言葉もない。」

 セレニオがそう挨拶し、脇に付き添っている副官ミルカも次のように挨拶した。

「本来なら、主セレニオの代行をするのが、私の役目でしたが、今は主の身辺に『うかつな者』を近づけないことが、優先すべき務めと判断しました。」

 そう言って、ミルカはロニアを睨みつけた。
 その、あからさまな敵意に、ロニアは当惑した。

「その…ミルカちゃん、僕はセレニオを誘惑とか、してないから。」

 ロニアがそうしたことを話していると、セレニオの友人ルミノ隊長や、その仲間達が農作業から帰って来た。

「ありゃ、客かと思ったら、ロニア殿か。セレニオ殿も、つくづく、敵ん中に友を持ってるよな。…つか、ミル坊、その目はロニア殿に失礼だろうが。」

 ルミノ隊長に諭され、ミルカも敵意の視線をひそめた。
 それを見届けてから、ルミノ隊長は言葉を続けた。

「今後とも、俺達のセレニオをよろしく…って言いたいところだが、ロニア殿のほうじゃなく、セレニオのほうに問題がある。…アネス様はセレニオ殿を『親衛剣士に』って言ってるし、姉上のフォクメリア様は『守人を継がせる』って言ってる。」

「二人とも、そんなことを言ってるのか。私も今、初めて聞いた。…アネス様にもフォクメリア姉上にも恩はあるが、その話は断る。」

 決断の速いことは、セレニオの長所であり、短所でもあった。
 ルミノ隊の面々や、副官ミルカは、そうしたセレニオに慣れてきている。

「判断が速いのは良いんだが、理由とかも含めて、自分で伝えろよ。」

「わかった。理由も言わずに断るのは、無礼…と言うことか。」

 人間関係の機微には疎いが、セレニオは学ぶ。
 その姿勢に、友情とは別に、ルミノ隊長は好感を持った。

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