ロニアは仕事の相方セレニオだけでなく、その友人にも興味を持った。
ルミノ隊長と呼ばれる士官や、その仲間らしい槍士ルカと弓兵ティリオ。
セレニオの副官を名乗る少女ミルカ。
彼らを見守る剣士ベルヴェータ。
いずれも、トルクの民セレニオにとっては敵だったはずの、海の民。
その彼らが、どんな経緯でセレニオの友になったのか…ロニアは、その疑問をルミノ隊長にぶつけた。
すると、訊かれたルミノ隊長も首を傾げた。
「まあ…成り行き? 最初は仇同士だったのに、気づいたら、普通に話とかするようになって…。」
ルミノ隊長が言葉の続きに窮していると、今度はベルヴェータが口を挟んで来た。
「仇と言えば、私などはセレニオ様の故郷を襲って、村人三人を殺害。恨まれてないわけが、ありません。」
「あー、それな。ベルさん、けっこうな人数を見逃したんじゃないか? セレニオ殿が『弟たちの命の恩人』とか言ってたぜ?」
「本当に兄だったのか…。森で『サランドラとフォスタリオの兄、出てこい!』って挑発したのに。」
「言っちゃ悪いけど、それ、逆効果だったな。それでセレニオ殿のほうで察して、ベルさんに遠慮するようになったんだ、きっと。」
ベルヴェータとルミノ隊長の話が弾み始める。
参加していた戦線は別でも、彼らは同じ海の民の侵略軍に属していて、共通の話題も多かった。
…が、急に、ルミノ隊長はロニアに話を振った。
「えーと…。ロニア殿って、百人隊長アトランタの幕僚、ってことでいいんだよね?」
「今はそうです。ただ、元は一介の渡航者で、中途採用みたいな感じです。」
故郷では官憲絡みの事件に巻き込まれたロニアも、このトルクの地では戦争に参加していたわけではない。
話が長くなってきた上、夜は冷えるので、彼らは居酒屋や小料理屋に入りたいと思ったが、トルクの地にそうした施設はない。
正確には、500年ほど前に、そうした伝統は途絶えてしまっていた。
…ここで、彼らの背後から、声をかけてきた者がいた。
「お若い人達、『店』をお探しでしょうか?」
一同が振り返ると、白髪の紳士…このトルクの先代王テュニスが一礼した。
王宮から追いかけてきたようで、この時のテュニスは、いたずらっ子のような目をしていた。
彼は一同を案内しながら、語った。
「トルクにだって、船員向けの宿はありますよ? でも、王都には『居酒屋』も『小料理屋』もない。だったら、作るしかないですね。」
そのテュニスに案内され、建物の一つに足を踏み入れた一行は、思わぬ人物に遭遇した。
赤毛の大女…今のトルク王国を脅かす者達の首領、アトランタその人だった。
工作員のロニアにとっては、アトランタは雇い主にあたるが、来訪の旨は聞かされていなかった。
「テュニス様、厨房は使えるようにしてあります。店内も飾りつけは、こんなところで、いかがでしょうか?」
「ありがとうございます、アトランタさん。持つべきものは、敵味方を越えた理解者ですね。市民水道の開通と、この店の開店が待ち遠しいですよ。」
その二人のやり取りに、ロニアや海の民たちは唖然としていた。
その様子を見て、アトランタが説明する。
「先日、テュニス様が直々に商品をお持ちになられた。…サトウキビだ。栽培をテュニス様方に委託し、こちらは買い取る形にした方が、質も量も期待できる。」
口外を少しためらったアトランタだったが、正直に話した。
あまりの内容に、ロニアは絶句した。
サトウキビから精製される砂糖は、この世界でも贅沢品で、商業ルートに載せれば亡国の高値で売れる。
商品の流通ルートを構築しつつあるアトランタにとって、今回のテュニスの持ち込みは、このトルクの地に来てから最大の儲け話だった。
先月までは、テュニスにとってサトウキビは「飢えた人を救うことのできない趣味」でしかなかったが、アトランタ達から食糧の提供を受けた今、最大の武器に早変わりしていた。
「うわ…聞いちゃったよ。俺達、消される?」
「いやいや、とんでもない。これからは、きちんと宣伝をして、このトルクの特産品として広く認知してもらうのです。君たちを『お茶』にご招待したのも、その宣伝の第一歩ですよ? これも私が趣味で栽培していたのですが、やっと、お披露目の機会を得られました。」
ルミノ隊長のつぶやきに、テュニスは笑いながら、湯気の立った飲み物を一同に給仕した。
その容器の形状にも、飲み物の香りにも、ルミノ隊やベルヴェータは驚愕した。
トルクからずっと離れた地…ルミノ達の故郷で飲まれていたようなお茶。
それが今、彼らの目の前に出されていた。
そして、一同が口を付けると…たっぷりとしたサトウキビの搾り汁の甘味に、またしても驚かされた。
さらにテュニスは、これもやはりサトウキビの汁で味付けをした、練り麦粉の焼き菓子を給仕した。
これには、ルミノ隊長も黙っていられなくなった。
「ベルさん、ミル坊を呼んできてくれ。これを食べさせないと、俺達は後悔することになる。」
そのルミノの切羽詰まった言葉に、ベルヴェータも無言でうなずき、ミルカ達を呼ぶため王宮に戻って行った。
ミルカとセレニオが呼ばれてきた時、テュニスは厨房で調理をしていた。
何かをかき混ぜる音が聞こえ、やがて運ばれてきた料理に、ミルカは目を丸くした。
そして、受け取った食器で料理を口に運んだミルカの目に、涙が浮かんだ。
彼女の故郷では、一般的な家庭料理だった「卵焼き」。
サトウキビの甘さをあえて控えめにし、卵の黄身を引き立たせた味付け。
豪勢ではないが、普通に慣れ親しんできた味。
ミルカは泣き声をこらえながら、匙を動かした。
そして…そのミルカの様子を見ていたセレニオは、敵将アトランタにひざまずいた。
「アトランタ様、ミルカを彼女の故郷に戻していただくことは、可能でしょうか。私に支払える代価なら、何でもお支払いします。」
この時ばかりは、セレニオもプライドを捨てていた。
…が、それに対するアトランタの態度は、突き放したものだった。
「えーと。…言ってよいかな? …。思い上がるな! 若造!」
このアトランタの怒声には、セレニオやその仲間たちよりも、ロニアが驚いた。
ロニアの知る雇い主アトランタは、声を荒げるような人ではなかった。
「今の言葉の意味を、次に会う時までに考えておくがよい。宿題だ。…もう一つ言えば、そなたの状況が戦時中と今、どう変わったか。そこから考えるとよいかもしれぬ。」
そう言い添えた時のアトランタの口調は、普段の穏やかなものに戻っていた。
アトランタの言葉は続く。
「あと…私は利益で生きているゆえ、そなたから代価を受け取って作業や品物を提供することはできるが、そこまでだ。そちらのお嬢さん…ミルカ嬢の進退となると、当人にしか決められない。」
アトランタはそこで言い終えた。
相手がセレニオなら、言葉で全て教えるより、考えさせた方が理解が深い。
その確信が、アトランタにはあった。
翌朝、馬車で帰っていくアトランタを見送ったセレニオは、隣に立つミルカに尋ねた。
「昨日、アトランタ様に出された宿題だが…私が一人で生きているつもりになって、人から生かされているのを忘れている…と言うことだろうか? 人に感謝する心がないから、相手の望みや生き方も勝手に想像して、それを押しつけてしまう。」
「そこまでわかってて、直そうとしないのって、逆に、すごい事ですよ?」
「本当は判っていないから、口で言えてしまうのかもしれない。」
「まあ、人のこと勝手に『故郷に戻して』だの何だのと口走ったのは、水に流しましょう。…水道工事だけに。」
セレニオとミルカは、そのように語り合った。
一方、その二人を見ていたルミノ隊長は、小さく肩をすくめた。
近くにいたベルヴェータも、小さく眉をひそめた。
そして…その彼らの様子を見ていたロニアに、ある考えが浮かんだ。
「(この人達の結束を崩すのに、ミルカって娘、使えるかもしれないなあ。)」
雇い主アトランタの思惑とは別に、ロニアにも独自の観点がある。
右は琥珀色、左は灰色…左右で色の違うロニアの瞳に、不穏な光が宿った。