銀のつなぐ路・第10話「打開」

 交渉は買い物のようなもので、相手の望むものを支払うことで成立する。
 フォクメリアのような純朴な者にも、望みや欲があり、敵方の首領アトランタはそこにつけ込んだ。
 村の守護者「守人」だったフォクメリアにとって、海の民に滅ぼされた自分の村の復興は、「望んでも果たせない夢」だった。
 王都に移り住んだフォクメリアは、生き残りの戦士セレニオの「姉」として、その手伝いに日を送っていた。
 そのフォクメリアに、アトランタやその部下ロニアは目をつけた。

「トルクの将セレニオには姉がいて、北西の村の守人だったみたいです。」

 王都に派遣していたロニアが伝えてきたその情報に、アトランタは飛びついた。
 海の民の後方部隊の将だったアトランタは、自分が管理していたトルク民の虜囚から、セレニオ達と同郷の者を呼び集めて村を再建させた。
 そして、セレニオに気づかれないように、フォクメリアに接近して話を持ち込んでいた。

「交渉とは、こう進めるものだ。」

 アトランタは、ほくそ笑んだ。
 当初は厄介だったセレニオも、少しずつ隙を見せるようになってきている。
 参謀ロニアに進めさせていた王都開発も、順調に進んでいる。
 そうなると…アトランタの計画も、次の段階に進む時期が近づいていた。
 
 
 
 フォクメリアの次の望みは、セレニオに守人の役目を継がせることだったが、これはセレニオにも村人にも断られた。
 アトランタの手引きで、村の面々に再会したフォクメリアは、次のように言われた。

「向いてない。奴はアトランタ様の下で軍人になるべきだし、そもそも、王都のアネス王子の将になったというじゃないか。」

 村人の間でセレニオの評価は「人間嫌いで陰気だが、戦士や役人には向く奴」だった。
 一方のセレニオも、フォクメリアに次のように答えた。

「もし守人が必要なら、王都に『学校』を作って素質ある子供達を教育して、その中から選んで派遣するほうがいいと私は思う。」

 最近のセレニオは友人の影響で、異国の文化に毒されてきている。
 そもそも、中央による統制に対抗し、村独自の団結を守るのが守人の役割ではなかったか。
 フォクメリアは嘆かわしく思った。
 それについて、セレニオは諭した。

「メリア姉が『中央集権』を警戒するのは、わかるよ。それで、他の国も大きな戦争とか、起こしてるわけだからね。でも、人の暮らしは変わっていくし、国を守らなくてはならないから、これからは中央と地方の連絡は欠かせないと思うんだ。」

 今のセレニオに、清貧な狩人だった頃の面影はない。
 セレニオをこんな風にしたのは誰なのか?
 フォクメリアはセレニオ周辺の人間関係に注視するようになった。
 
 
 
 アトランタに望みを叶えてもらっているはずなのに、フォクメリアの苦悩は続いていた。
 王都に追加の商品を持ち込んで来た際に、フォクメリアに面会したアトランタは「一過性の熱病のようなもので、若い頃は新しいものに飛びつきたがるものですよ」と、なだめた。
 この時のフォクメリアに、アトランタに対する警戒心はなかった。
 むしろ、アトランタの属官ロニアに対してこそ、フォクメリアは本能的な嫌悪と「セレニオに近寄りすぎている」という警戒感を覚えた。

「セレニオも一度、過労で倒れたことですし、ロニアさんも疲れが溜まっている恐れがあります。しばらくは、他の方と交代なさったほうが、いいのではないでしょうか?」

「本来なら、そうできれば良いのですが、あのロニアの才覚は稀有なもので、代わりの務まる者が他におらんのです。」

 それが、今のアトランタにとって最大の弱みだった。
 トルク近海で海賊行為を働いているアトランタが、移民船を追い返した際、乗客の一人に異様な目の輝きを持つ者を見かけて捕虜にした。
 それがロニアで、アトランタが話してみると、様々な知識に通じていることが判ったので、そのままアトランタ海賊団の技師や参謀として重用された。
 意外と無警戒なアトランタの人事に、ロニアも当初は困惑していたが、今では海賊団だけでなく王国の開発でも戦略に携わっている。

「ロニアにもロニアの目的があるようですが、少なくとも、トルクの利益に反しない。…ただ、私に関しては、いずれ咎めを受けるべき行為が発覚するかもしれない。その時に、セレニオ君やロニアがトルクの利益を考えられるのか。二人には期待しています。」

 アトランタが警戒しているのは、ロニアやセレニオではない。
 トルクの人々や王家も、警戒の対象外だった。
 アトランタが警戒すべきものに集中するために、多くの計画を担ってくれるロニアは、欠かせない存在となっていた。

「(ロニアが何を隠していても構わない。私の敵に回っても、それはそれで結構。たとえ私の計画が外れても、彼女にとっての利益は、私の望みを実現させてくれるはず。)」

 近いようでいて、アトランタとロニアの間にも距離はあった。
 
 
 
 試運転が始まった水道の流れを確認しながら、ロニアは次に建てたい施設をセレニオに語って聞かせた。

「水が確保できたら、次は染色工場の他に、浴場と洗濯場。人の暮らしが、一気に変わるぜ。」

「それと、『排水処理場』だったか。使った水を、川に戻すわけか。」

「そのまま戻すわけじゃないよ? 下流の人だって、水使うかもしれないじゃん。排水ってのは、腐りかけの水みたいなもんでね。それをきれいにするには、完全に腐らせて、上澄みを川に返す…ってわけさ。」

「川の水を通すだけで水道だと思っていた。」

 そう話しながらも、セレニオがロニアがどんな建築物を求めているのかを、具体的に想像した。
 それを絵に描いて、ロニアに示したいと思ったセレニオだが、海の民の残して行った紙が品薄になってきている。
 博識なロニアでも、製紙ほど高度な技術には通じていない。
 そうなると、このトルクの地での製紙は絶望的となる。

「私は読み書きを、削った木で教わったのに…紙の便利さに慣れてしまい、前のようにできるか自信がない。」

「そりゃそうさ。いい暮らしを覚えたら、前に戻れなくなる。でもね、人類はそうやって世界を造り変えてきたんだ、これからもね。」

 そのロニアの言葉に、セレニオは意外なほど素直にうなずいた。
 今に至るまで、多くのものを捨ててきた自覚が、セレニオにはある。
 生母とさえ、音信が途絶えて久しく、故郷に対する思い入れも薄い。
 大事にしてきたはずの弟さえ、国外に逃がした。
 そのセレニオにとって、道は前にしかなかった。

「紙は欲しいが、アトランタ様には内緒にしておいてもらえないか。」

「ごめん。普通に報告するから。」

 開明的なロニアにも立場があり、生き方や行動を制限される。
 そうでなくても、ロニアには職務や信念に対して、誠実な一面があった。
 
 
 
 夜になって、王宮に戻ったセレニオは、仲間達を呼んで相談した。

「この中で、船を出せる者はいるだろうか。最近のトルクは敵将アトランタに頼って、自分で生きる力を失って来ている。人にしても物にしても、何か一つのものに頼ると、前にできたことができなくなる。…だから、トルクは自分で船を出し、自分で奪うなり買うなり、自分で糧を得る手段を持っている必要がある。」

 ちなみに、戦争直後のセレニオは、「命知らずを集めて船を出し、食糧を他の土地から奪う」と、海賊の計画を立てていた。
 それを実行せずに済んだのは、アトランタからの食料提供によるところが大きい。
 一方、そのセレニオの演説を聞いたミルカは、頬を膨らませた。

「それって、あの男みたいな女(ロニア)の受け売りですよね? 考え方まで、あの男みたいな女に毒されて、副官として、こんなに恥ずかしいことはありません。」

 そう語るミルカを、ルミノ隊長が諭そうとする。

「待てよ、ミル坊。頭いい奴と一緒に仕事すると、学ぶことも多かった、って話だろうが。そんなに気になるんなら、ミル坊も『護衛です』とか言い張って、ついて行けばいいじゃん。…セレニオ殿は『ロニアは危険だから、ミルカに近づけたくない』ってとこなんだろうけど、ミルカだって海の民なわけだし、自分の生き死にの覚悟は自分で決められると思うぜ?」

 下士官だったルミノ隊長は、説得に手慣れている。
 しかし、本題の船の話になると専門外だった。

「で、本題に戻るけど、船は…ごめん。俺…いや、僕は騎兵しかできません。」

 ルミノ隊長…ルミヌス・アマルフ・テバは代々テバ郷の領主として、騎馬で村民の先頭に立って戦う家で生まれ育った。
 戦場でもこの場でも、仲間内の信頼を集めているルミノ隊長だが、船に関する知識は一般教養程度にしか持ち合わせていない。

「まず、天体観測とか無理。フェゼルがそういうのに強かったけど、シェセルと兄弟そろってアトランタ殿のところで重用されてて…奴ら、楽しそうに商売してましたよ。」

 ルミノ隊長はルミノ隊長で、アトランタに「借り」ができてしまっていた。
 セレニオも従姉のフォクメリアや故郷の件で、アトランタからの借りは大きい。
 ミルカも、細々としたことで、アトランタに借りを作ってしまっている。
 ここに居合わせている中で、ただ一人、ベルヴェータだけが、アトランタとの関わりが薄かった。
 しかも、ベルヴェータは両親が海軍の仕事で命を落として以来、海軍の施設で育てられていた。
 故郷では海軍任用試験に落ち、傭兵団に入って糊口をしのいでいた彼女だったが、ついに活躍の機会が巡って来た。

「では、代案もないようなので、そろそろ私が仕切らせていただきます。こちらから積み出す商品はテュニス様と相談。随行員はユリシス王子に依頼し、船員も10名を市民から選んで雇用。船は東の町にある二柱船。観測器具は買い戻しておきましたので、航行に支障がなければ、フォウ王国の港町テルンまで往復で二週間の予定。取り引きの時間も加味すると、戻るのは1ヶ月後の見込みとなります。」

「その『取り引き』というのが難しそうだ。…思い浮かぶ顔は、どれも、アトランタ側の者ばかり。」

 ベルヴェータからの献策に、大綱では同意しつつも、まだセレニオは不足を感じていた。
 ロニアを間近で見て来たセレニオは、「自分がロニアなら、どうするか?」の視点でも考えた。
 物を売り込むのは、普段そこで商売している者達の「縄張り」に踏み込むことである。
 そうした「違法営業」は、多くの国で取り締まりの対象になる。
 そうなると、その土地の「販路」に流すために、商品を「卸」や「仲買」に持ち込む必要が出てくる。
 その際、「卸」は「安く買いたたき、高く売りつける」を基本とするであろうし、「持ち逃げ」を企てる者さえいるかもしれない。
 そのため、交渉役には、双方が納得できるよう折り合いをつける才覚と、「この人となら今後も取り引きを続けたい」と相手に思わせる信頼感が求められる。
 そして、それらを併せ持つ人材は…このトルクには存在しない。

「アネス様だ。アネス様を置いて他にいない。」

 セレニオが迷わず名前を出した、ここトルク王国の皇太子アネスを行かせれば、少しは期待できる。
 しかし、ベルヴェータの意見は異なっていた。

「いや、取り引きでの不安をお考えでしたら、セレニオ様ご自身に来ていただきます。才覚の有無は判りませんが、『危機意識がある』というのは、大きいです。それにこちらも、貴重な商品を持ち込むわけですから、だまし取られたり盗まれた時の責任は、セレニオ様…あなたが負うべきでしょう。そもそも、『この条件で売る』という決断の責任を、他の誰が負えばいいのでしょうか。」

「少し前の私なら『関係ない』と言って、逃げていたに違いない。…まあ、王宮暮らしもさせていただいたし、色々と無礼も見逃していただいた。アネス様にも皆にも『借り』は多いか。…明日、アネス様にお話しして、その上で交易のお役目を拝受する。」

 セレニオは「他の適任者」が現れることを期待しつつも、一応は同意した。
 そしてセレニオは、貴重な紙に書き付け始めた。

『現地に着いたら、商品を使っている客と、直接売っている商人に聞き取り。商品は4つか6つに分けて、複数の仲買人に別々に売る。取り引きの内容は紙に書き、相手にも名前を書いてもらう。相手の笑顔や甘い言葉は、そのまま受け取らず、商品の価値を理解させること。』

 そうしたことを書き込みながら、セレニオはロニアの顔を思い浮かべていた。
 どこまでも信用できない奴。
 それでいて、いつも思い出してしまう相手。
 仕事を通して、新しい風景を見せてくれる人。

「気がかりなのは、ロニアを野放しにすることか。…副官ミルカ・ポーナ・ラピノン、明日からこのセレニオに代わって、ロニア・ラボン殿の工事に与力せよ。ここに銀300枚を残して行くので、工員もその範囲内で雇うのだ。…具体的には、5人から7人を、銀1枚の日当で。特別によく働く者には2枚、他にない技術や知識のある者には3枚払ってもいいが、後になって理由も言わず支払いを減らすと、人は離れる。」

 形式ばって指示するセレニオだったが、フル・ネームを知られていたことに、ミルカは少なからず驚いた。

目次に戻ります

第9話に戻ります

第11話に進みます

他の小説に行きます

小説以外のお話に戻ります