銀のつなぐ路・第12話「帰郷」

 冬になり、ミルカは水道工事の監督役から外された。
 技師ロニアの主導する水道敷設も大詰めを迎え、王都の家々に水道が通った。
 王子アネスの呼びかけもあって、市民も協力を惜しまず、浴場や染色工場の建設も進んだ。
 賃金は先代王テュニスの収穫した商業作物が、海賊アトランタによって換金された中から支払われ、トルクの民は急速に貨幣経済に順応した。
 それに対し、ミルカはトルク国の王女アイリアの世話役に徹することもできないまま、失意の日々を送っていた。

「初めの頃は、セレニオの副官ってことで、忙しくて目が回る毎日だったのに…。仕事も盗られて、セレニオに何て言えばいいか…。」

「ミルカ、笑顔でセレニオ殿をお迎えするのでしょう? あと少しの辛抱ですから。このトルクは、勇士セレニオ殿とその副官ミルカを、いつまでも放っておきはしません。」

 王女アイリアに励まされ、ミルカは力なく微笑んだ。
 留守を預かる副官として、セレニオに合せる顔がなかった。
 
 
 
 実のところ、この人事は、アネスなりの気遣いだった。
 アネス王子とロニア技師は極めて仲が悪く、些細なことでも衝突した。
 その二人の間で仲裁に入っていたミルカは、心身ともに疲弊していった。
 そうなると、さすがに我がままな二人も、ミルカを巻き込み続けないよう配慮した。
 アネスの指示で、ミルカは王女アイリアの世話役に配置換えになった。
 しかし、ミルカの失意は大きく、むしろアイリアから気を遣われることになった。

「ねえ、ミルカ、あなたの国の話を聞かせていただけるかしら? それとも、セレニオ殿のお話でも、わたくし、お聞きしたいわ。」

「アイリア様、今日も、セレニオの書いたものを一緒に読みませんか? 勉強になると思うんです。」

 この時のミルカからは、海の民らしい勇猛さは失われていた。
 そして、そうした状態でミルカは、航海から帰って来たセレニオを迎えた。
 
 
 
 異国で仕入れた品を荷馬の背に載せ、セレニオと彼が率いる小隊は王都に帰って来た。
 そして、セレニオは見た。
 自分達が離れている1ヶ月の間に、どれほど水道工事が進んでいたかを。
 町全体の活気も違っていて、異国で見てきた港町の様子を彷彿とさせた。

「(進み具合だけでなく、仕上がりもいい。私の指示では、できていなかったことだ。)」

 水道工事だけではない。
 羊を解体する者や、布を織る者、蒸した作物の根を並べて干す者など、働く人々の姿が珍しくなくなっていた。
 そうした光景を見ながら、セレニオは異国で見てきたものを思い出していた。
 明らかな違いがある。
 このトルクには、鞭打たれている者がいない。
 
 
 
 セレニオが王宮でミルカを見つけると、ミルカのほうも気づいて駆け寄って来た。
 町を見た時、すでにセレニオは状況を推察していた。

「(工事があそこまで、多くの人の手に渡ったのなら…もう、私やミルカの出番はないな。)」

 そう思いながら、セレニオはミルカを抱き止めた。

「苦労をかけた。」

 伝えたい事は多かったが、セレニオの言葉はそこで止まった。
 個人の仕事や国家の事業が、セレニオの予想を超えて大きく変遷していく環境で、ミルカは「損な役回り」に追い込まれていた。
 そのミルカを、セレニオは町に連れ出した。

「ルミノ隊長は?」

「ルミノ隊の三人とも、フォクメリア様を手伝いに行ったきりです。…セレニオの生まれ故郷、でしたっけ?」

 ルミノ隊長やフォクメリアなど、セレニオにとって「頼れる先達」に当たる人達は出払ってしまっていた。
 セレニオもまた、自分自身の中に「甘え」が残っていたのに気づいた。

「そろいもそろって、情に流されて…。でも、そんな人達だから、私は友になれたのかもしれない。」

 離れたことで、かえってセレニオは「友」という言葉を口にできた。
 当人達の前では、とうてい口にできない言葉だ。

「友、って言えば、ベルヴェータさんは?」

「あの人は東の町に残った。港も船も、不足だと判ってしまったから。」

 航海に同行してくれた剣士ベルヴェータも、セレニオにとって頼れる先達であり友だった。
 しかし今では、自分の為すべきことを見つけ、自分の道に向かっている。
 そうした人を、セレニオの甘えで引き止めるわけには行かない。
 ここで、セレニオは話題を変える。

「それにしても、ロニアの仕切りやアネス様の人望だけでなく、大きな流れになった。多くの人が働き方を学んで、才能のある人も出てきている。…この水路も建物も、私が指揮していた頃と、仕上がりがまるで違う。才能のある人や努力を重ねる人には、かなわないよ。」

 その言葉に、聞き手のミルカは足を止めて、セレニオと視線を合わせた。
 その言葉の真意を知りたいと思った。
 そのミルカの視線に、セレニオは言葉で答えた。

「他所で品物を売り込む前に、そこで暮らす人々を見てきた。豊かそうな人もいたが、そうではない人も多かった。仕事のやり方でも、大事なところは教えられないまま、怒鳴られながら働く人達。あるいは…町から捨て置かれて、盗みや物乞いで生きる人達。」

「それって…。」

 ミルカも故郷では、貧民街について話に聞くことはあっても、近づいたことはなかった。
 セレニオは頷いて、言葉を続けた。

「トルクの外の『現実』なのだと思う。だが、ロニア…いや、そのロニアに指示を出していた海賊首領アトランタは、トルクがそうならないように、人々に仕事のやり方を教えているのではないか…と思えてきた。」

 セレニオが異国の港で耳にした、「アトランタと名乗る海賊」の噂。
 戦後に空白となったトルクの地に、植民農園を造ろうとした豪族や富豪はいずれも、その海賊に追い返されていたらしい。
 つまり、海賊アトランタが、戦後のトルクの土地を守っていたことになる。
 しかし、その話が事実であるとしたら…アトランタが得る「利益」は何なのだろうか。

「当然、アトランタ様がトルクの富を独り占めにするための布石…と考えることもできる。ただ、それだと、仕事の大事な所も隠さず教えている事の、説明がつかない。」

「善意みたいな何か?」

「そう結論してしまうと話は早いのだが…これは、アトランタ様からの宿題ではないか、と思う。」

「宿題?」

 この辺りで、ミルカはセレニオが何と言っているのか、理解し難くなってきた。
 話しているセレニオ自身も、まだ自分の中で結論の出ていない話なので、さらに話題を変えた。

「宿題で思い出した。行く前に出しておいた計算の宿題は済んでいると思うが、採点の後で次に進めるよう教科書を買って来た。内容は一通り目を通したし、ベルヴェータ殿にも確認をとったから、なんとか教えられると思う。ミルカの勉強は三年制のうち二年目の途中で中断している感じだから、今日は宿題の採点の後、試験をして学力を調べようと思う。大丈夫、試験問題も作って来た。」

 その話を聞きながら、ミルカの顔は徐々に青ざめて行った。
 
 
 
 晩に、ロニアとアネスが口論をしながら喫茶店に入ると、1ヶ月ぶりにセレニオの姿を見つけた。
 隣の席には副官のミルカもいて、紙に何かを書き込んでいた。
 セレニオのほうはアネス達に気づくと、席から立って挨拶した。

「戻りました、アネス様。お捜ししたのですが、お忙しかったようで、挨拶が今になります。」

 セレニオも立場上、今回の航海の結果をアネスに報告する責任がある。
 そうした責務については、ロニアも理解しているので、口を挟まない。
 話し相手を失った形になったロニアが、ミルカの書いているものを覗き込むと、中等教育の内容だった。
 どうやら、セレニオと一緒に勉強をしていたらしい。
 ロニアも自分の学生時代を思い出した。
 ロニアの故郷でも、誰もが学校に通えるわけではない。
 今さらながら、自分が恵まれていたことに気づく。
 ミルカの故国では、どうだったのだろうか。
 やがて、セレニオからの報告を受け終えたアネスに、ロニアは話しかけた。

「ねえ、アネス。アトランタ様からの仕事が片付いたら、僕を雇ってくれない? この国にも学校を建てて、学問とか技術とか持ってる人を先生にして、みんなに教えてさ。その中から、さらに先生になる人を育てて、教育を広めて。…こういうのって、すぐには利益は出ないけど、何年も経ってから、国の基本になると思うぜ?」

「そこは同意するね。実現に向けて、解決すべき課題を掘り出す必要があるけれど…今の段階で、一つ判明している。それは、勉強することが『楽しい』とか『利益になる』と思ってもらうこと。今のミルカ君を見ていると、つらそうにも見えるからね。」

 そのアネスの指摘通り、計算の練習問題を解いているミルカは、「こんなの早く片づけたい」と思っていた。
 もしセレニオが一緒に勉強しているのでなければ、ミルカは適当な理由をつけて、逃げ出してしまっていたかもしれない。

「ミルカ、あと4つ正解したら、テュニス様に試作品を注文する。異国で仕入れてきた材料と調理法を、お渡ししてある。」

 実利的なセレニオでさえ、「ご褒美で釣る」という手段に出てしまう。
 トルクでの教育の普及は、困難が予想された。
 
 
 
 開墾や工事での役目を失ったセレニオだが、自分の次の仕事はすでに決めていた。
 その具体的な進め方を、セレニオは副官のミルカに相談した。

「次はミルカも船に乗って、取り引きの場に立ち会ってもらう。顔つなぎの意味もあるが、持ち込む商品の値打ちを説明してくれると助かる。かわいく着飾って見せたり、おいしく食べて見せてもいい。…売り込む物は、テュニス様と相談することになるが、ミルカの意見も聞きたい。」

 いわゆる「実演販売」の要請である。
 自分の才覚に限界を感じていたセレニオの、ミルカに寄せる期待は大きくなっていた。
 王都では、セレニオが異国から持ち帰った品々が、市民の関心を集めていた。
 こうなると、次の航海が正念場となる。
 好奇心を刺激する珍しい宝を持ち帰ったり、交易の「うま味」を示すことができれば、後に続く者も現れる。
 そうならなくても、ミルカの成長につながれば、セレニオに損はない。
 ただし…この時、セレニオは一つ、判断を誤っていた。
 それは、敵方の将アトランタに対する警戒を欠いた、ということだった。
 ロニアから書簡で、定期的に報告を受けていたアトランタだったが、工事の仕上がり具合に加え、セレニオの動向についても報告を受けていた。
 そして、アトランタは確信した。
 自分の計画が予定より半年ほど早く進んでいて、最後の仕上げをする時期が近付いていることを。

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