銀のつなぐ路・第13話「別れ」

 冬は海が荒れるので、熟練した航海者は船を出したがらない。
 それが、貴重な商品を海路に通す商人なら、なおさらのことだった。
 しかし、そうしたことが、トルクの未熟な航海者にとって、好機となった。
 物流が停滞して、競合者が少ない時期に、商品を売り込む。
 それを、トルクの若者達が意識したわけではないが、彼らの存在は知られ始めていた。
 
 
 
 セレニオと副官ミルカは、冬のうち1ヶ月間を、王都と東の港町の往復で過ごしていた。
 先代王にして農学の権威テュニスの用意した商品作物が、次の航海に向けて港町に運ばれて行く。
 この当時、一つの問題が露呈していた。
 テュニスの植物園に、盗みに入ったり、荒らしたりする者がいた。
 トルクの地でも貨幣経済が広まるにつれ、かつては見向きもされなかったテュニス先代王の道楽が、人々の欲得の目にさらされるようになった。
 とうとう、トルクの民同士での盗みが発生してしまった。
 テュニスの悲しみは深かったが、周囲のセレニオ達は冷徹に対処した。
 初秋から山奥に作っていた隠し畑に、貴重な作物の一部を退避させ、野外活動に慣れた者に番をさせた。
 これには、腕利きと評判の高い狩人ルディオや、故郷の村で守人を務めていたバリオなどが志願した。
 また、譜代の王宮戦士達も動員され、作物ごとに、守護する役職が創設された。

「(あのテュニス様も今では、トルクの最重要人物。これに一番驚いているのは、ご本人に違いない。)」

 そのセレニオの感想通り、先代王テュニスは文字通り国の宝になっていた。
 「テュニス様を再び王位に」と言い出す者もいる。
 本人は気楽な趣味人でいたいと願っているが、このトルクはまだまだ、テュニスほどの才能を放ってはおけない。
 
 
 
 問題が発生しても、トルクの民は一つ一つ自分達で解決する力強さを備えてきている。
 東の港町に拠点を構えるベルヴェータ船長は、人々のそうした前向きさを、頼もしく思っていた。

「(この国はもう大丈夫。…私も、うかうかしていたら、仕事を失くす。)」

 剣士としては腕利きでも、ベルヴェータ船長には世渡りの苦手な一面もあった。
 セレニオに仕えた流れの中で、どうにか今の仕事と立場を得たものの、その前途は安泰とは言えない。
 自分の立場を守るため、実績を上げるため、ベルヴェータ船長の次の航海に向けて、入念に準備を重ねていた。
 どんな航海にも、危険はつきまとう。
 セレニオやミルカに教えることで、ベルヴェータ船長も自分の航海術を学び直していた。
 そうした学び続けるベルヴェータ船長の姿勢に、セレニオは「自分の在りたい姿」を重ねていた。

「戦士について知りたいなら、ベルヴェータ船長を見れば判る。」

 セレニオはミルカに、常々そう語っていた。
 
 
 
 王都でのセレニオ達の仕事はなくなりつつあったが、仲間内の連絡は入ってくる。
 セレニオの故郷の村の再建が一段落し、それを手伝いに出ていたルミノ隊の面々が王都に引き上げてきた。
 ルミノ隊長、ルカ、ティリオ、シェセル、フェゼル。
 戦時中も、いつの間にか、敵だったセレニオと友になっていた者達。
 そこには、ルミノ隊長の魅力があったのだと、今さらながら、セレニオは思う。
 朗らかな人柄と、気配りのできる気質を備えたルミノ隊長は、隊員から兄のように慕われていた。
 セレニオにとっても、戦士と言うよりは軍人として、多くのことを教えてくれた先達だった。

「セレニオ殿、いつでも里帰りできるようにしといたぜ?」

「ルミノ隊長も、ティリオも、皆も、私が喜ぶと思って、村を直してくれたのだろう? 私には、それで十分だ。」

 その言葉通り、故郷の村には思い入れの薄いセレニオだが、ルミノ隊の面々の友情は嬉しかった。
 
 
 
 王都には、セレニオにとって仲間とは言い切れない友が滞在している。
 海賊アトランタの派遣していた技師ロニアは、何を狙っているのだろうか。
 ロニアの指導で、王都には水道が敷設され、いくつかの手工業も始まっている。
 トルク側の受けた恩恵は大きいが、アトランタ側に何の利益があるのか、説明できる者はいない。
 さらに、ロニアはロニアで、雇い主アトランタとは別の思惑を持っているようで、アネス王子やセレニオを相手に「国の将来」をよく語った。
 この時も、ロニアはセレニオを見かけて、駆け寄って来た。

「や、セレニオ。それに、ミルカ。戻ってたんだ。次はいつ行くの?」

「ロニアか。もう調べは付けているだろうに。」

 ロニアが構築した情報網は、トルクに広く深く食い込んでいて、もはやセレニオが対抗できるものではない。
 どこまでも厄介な侵略者だった。
 しかし、そのロニアを、セレニオは嫌いになれなかった。

「それはそうと、またミルカの勉強を見てもらえないか? 報酬はテュニス様の喫茶店で食べ放題3日分。」

「おっしゃ! その話、乗った! 後で、テュニス様の店で待ち合わせようぜ。」

 セレニオからの頼みを快諾すると、ロニアは工事監督の続きに戻った。
 主張も価値観も、育った環境も正反対に近い二人だが、通じ合うものがあった。
 ロニアの仕事に対する誠実さや、トルクの人々にもたらした恩恵だけではなく…セレニオ自身も最近になって気づいたのであるが、ロニアの時折のぞかせる暗い表情にも惹かれていた。
 その自分の心の動きを、セレニオは「あこがれ」と結論づけていたが、「(もしかすると、これが人の言う『恋』という感情なのかもしれない。)」とも思うようになっていた。
 
 
 
 それから5日後、セレニオとミルカは船の上にあった。
 ベルヴェータ船長から剣術の手直しを受けたり、四分儀を実地で扱ったり、積み荷をネズミから守ったりしながら、二人は日を送った。
 今回の航海に向けて、ベルヴェータ船長は救助手順の見直しに次いで、防寒対策に力を入れていた。
 この船には給湯室が設けられ、船員達は加熱された石を布で包んで携行した。
 船室も防寒性が重視され、室内の壁には羊毛布が張り巡らされた。
 むしろ、船員達を苦しめたのは、船内の暖かさで活気づいたトコジラミやダニの類だった。

「ミルカ…かゆくないか?」

「? そりゃ、かゆいって言われれば、かゆいですけど。…まさか、海の民の皮膚がウロコになっているとか、ぬめってて虫を近づけないとか、そんな風に考えてるわけじゃないですよね?」

 セレニオ達トルクの民に比べ、多少なりと船に慣れている海の民ミルカのほうが、虫刺されを我慢できた。
 頬に虫刺されの赤い湿疹を浮かべながらも、ミルカは平然としていた。
 そして、1週間ほどの航海を経て、船は最初の寄港地テルン市に着き、さらに小航海を重ねて4つの港町を巡った。
 それぞれの町で、セレニオ達は卸に商品を持ち込み、相手の対応や買取価格を記録した。
 この記録の積み重ねが、後に続くトルクの船乗りにとって助けになる。
 さらに、彼らが得たのは、トルクの置かれた状況についての情報。
 前回の航海でセレニオが見聞きしたことを、他の者達も知った。
 海の民との戦争で荒廃したトルクの土地を、海運国や農園主が狙っている。
 そして、そうした手合いからトルクの地を守っていたのが、海賊アトランタだった。

「アトランタ殿はこちらを餌で釣って、骨抜きにしてから飼いならすつもり…なのだと自分は思います。他者に横取りされないように、トルクの民に反発されないように、狡猾な支配を狙っているものかと。」

 随行員の一人ユリシス王子が見解を口にする。
 ユリシス王子も前回の航海で、人の笑顔の裏に隠れた悪意を、何度も目にしていた。
 そのユリシス王子の言葉に、セレニオも同意しかけたが、どこか違和感が残った。
 
 
 
 取り引き前に身なりを整え、随行者ユリシス王子の「トルク国王族」の名を持ち出しても、セレニオ達は見下された
 その年若さも、野趣の抜けない風体も、何よりもトルクという国の未開さや弱小さを見下された。
 武の人ユリシス王子は粗暴な人ではなく、その屈辱にも耐えたが、涙をこらえていた。
 しかし、「よく御自重なさいました」とユリシス王子をほめられる余裕は、セレニオにもなかった。
 若い娘ミルカに卑猥な言葉を投げかけてくる者がいて、セレニオは剣を抜きそうになるのをこらえた。

「私の妻に、何か?」

 セレニオはユリシス王子ほどには、冷静でいられなかった。
 相手との間に割って入って、ミルカを背中に隠し、懐から紙と筆を取り出し、ミルカに投げかけられた言葉を書き取った。

「ちょっと、あんた、軽い冗談…。」

「私達は冗談抜きで品物を選び抜いて、値打ちを見ていただくためにお持ちしました。ところで、お名前をお聞きしても? 私はトルクのセレニオで、こちらは妻のミルカ。」

 セレニオは相手の言葉を遮り、聞き出した名前も書き取った。

「ありがとうございます。今後も、よい取り引きができることを期待します。その際は、女性に対して不埒な発言を控えていただけると、なお嬉しい。…それでは、失礼します。」

 そう挨拶して、セレニオは次の取り引き先に向かうため、仲間達に合図を出した。
 そのセレニオの服の裾を、ミルカはつかんでいた。
 セレニオは振り向きもせず、小声でつぶやいた。

「不快な思いをさせた。学んでもらうつもりが、こんな事になるとは…甘かった。それに、その…勝手に、つ、つま、などと…忘れてくれ。」

 先ほどの自分の言動を、セレニオは忘れてしまいたかった。
 
 
 
 粘り強い市場調査と商品説明の末に、セレニオ達はトルクに持ち帰る品々を船に積み込んだ。
 売り込んた品に対して、買い入れた品が見合うのか、誰にも確証はなかった。
 セレニオが筆算に使った紙が、そのまま帳簿代わりになっている有様である。
 市場価格を調べきれなかった品は多く、まして相場の先読みなど、その概念すらなかった。

「ベルヴェータ船長、ここの計算を見てもらえますか。」

 この一行の中で、多少なりと数字に強いのは船長ベルヴェータであるが、彼女もまた軍人というより戦士の性質が強い。
 セレニオの筆算も、ミルカに勉強をさせる過程で身に着いたものだった。
 不安はいくらでも湧いてきて、きりがなかった。
 それでも、セレニオは皆に言った。

「次の航海も、この顔ぶれで行こうと思う。また参加してもらえると嬉しい。」

 航海や取り引きの積み重ねが「経験」になり、自分達の成長を促すのであれば、交易での損失は「必要経費」になる。
 そう考えて、セレニオは思い悩まないようにした。
 …が、セレニオは大きな見落としをしていた。
 あるいは、意図的に目を背けていたのかもしれない。
 
 
 
 異国テルンの港を出航し、少しずつ海に慣れてきたトルクの若者達を乗せた船は、1週間ほどの航海を経て故国トルクに近づいていた。
 真昼時に船長のベルヴェータは、四分儀で現在地を割り出そうと、甲板に出た。
 その時…彼女は見た。
 船の進む先に、待ち構える6隻の船団。
 どこかの国の海軍か…あるいは、海賊か。
 こちらは小回りの利かない帆船だが、あちらは7列の櫂をそろえた手漕ぎ船。
 それが、こちらを取り囲むように散開を始めている。
 すでに、逃げられる状況ではない。
 この時になって、船倉から出て来たセレニオは、自分の無警戒を悟った。
 相手方の一隻が、載せている投石機から、威嚇の巨石を飛ばしてきた。
 こちらの帆船に、回避行動を取れるわけもない。
 左舷近くの海面から水しぶきが上がり、船は激しく揺れた。
 ベルヴェータ船長は舌打ちし、船員に指示を出した。

「舵を! 右に右に曲げたら、何かにつかまって! 強行突破する!」

 その船長の指示で、若者達が舵に取り付き、帆船は進路を変えた。
 それに対し、相手方は漕ぎ船2隻で進路をふさいできた。
 激しい衝撃の後…帆船は止まってしまっていた。
 強行突破は失敗した。
 漕ぎ船の一つから小舟が出され、ベルヴェータ船長の船に漕ぎ寄せて来た。
 そして、ベルヴェータ船長やセレニオ達が武器を手にして待ち構える船に、小舟から鈎付きの綱を伝って、赤毛の大女が乗り上げてきた。

「武器を置いていただこうか。勇敢なる海の民の戦士ベルヴェータ・レントゥルスと…トルクのセレニオ。この状況をどう判断する。」

 そう語る赤毛の大女は、海賊首領アトランタ。
 一人で乗り込んできて、隙だらけにも見えるが、包囲されているのがセレニオ達であるという事実に変わりはない。
 もし首領のアトランタを生け捕りにして人質にできれば、活路は開けるものの、それは分の悪い賭けに思われた。

「みんな、武器を捨ててくれ。飛び道具で狙われている。」

 今回の判断で賭けられるのは、セレニオ一人の命だけではない。
 そのセレニオの指示に従い、ベルヴェータ船長も船員達も、武器を足元に置いた。
 その様子を見て、アトランタは小さくうなずいた。

「今のそなたは、一人の戦士ではなく『将』として仲間の命を預かる立場だ。それでいい。…では、次に『海賊』としての要求を伝える。海賊の要領は狩人に似ていて、獲物となる船のゆく航路は狩場のようなもので、過剰に奪うことは避けねばならぬ。」

 そう語るアトランタの口調は、奇妙なほど穏やかなものだった。
 あるいは、これが彼女の本来の口調なのかもしれない。

「積み荷を一割から三割、現物か、あるいは銀貨に換算した分をいただくのだが…今回は、その娘をもらって行こう。」

 そう説明してから、アトランタはミルカを指差した。
 その二人の間に、セレニオが割って入る。

「連れて行くなら、私になさったほうがいい。」

「聞かぬぞ、セレニオ。その娘を寄こさねば、船ごと沈める。」

 アトランタがそこまでミルカにこだわることを、セレニオは奇異に思った。
 血縁なのかと思ってアトランタとミルカを見比べても、全く似ていない。
 そもそも、トルクの者達は知らなかったが、アトランタは海の民でさえなかった。
 そのアトランタの意図を汲み取るのに、この時もセレニオは苦慮した。

「そこまで、この者をお連れになりたいのであれば、私も共に人質になります。」

 その言葉をセレニオが言い終える前に、アトランタの平手打ちがセレニオの左顔面に炸裂していた。
 張り倒したセレニオに向かって、アトランタは怒鳴りつけた。

「この、たわけ! それでも将か! おのれの判断に、この者達が命を預けていると、なぜ判らん! それが、おのれ一人の思い込みで、責任を投げ出すとは、この者達に嘘をついていたのだな? …ロニアはそなたを見所のある奴と申していたが、さては、ロニアも嘘つきだったか。」

 そう言って、アトランタはセレニオを見下ろした。
 すると…そのアトランタの前に、ミルカが進み出て、セレニオをかばった。

「海賊様、私、行きます。ですから、主人を責めないでください。」

 そう語るミルカに、セレニオは起き上がって手を伸ばすが、ミルカは振り返って首を横に振った。
 その口元には、無理に作った笑みが浮かんでいる。
 そして、ミルカは腰を深々と折って、セレニオに会釈した。

「私がお供できるのは、ここまで、です。でも、ご主人様は、みんなに希望を与えられる人。…ロニアさんは嘘つきじゃないって、私も信じます。だから…セレニオを信じた、あたしのことも、嘘つきにはしないでください。…じゃ、行ってきます。」

 そのように、別れの挨拶を終えたミルカを、アトランタは後ろ手に縛り上げた。
 そして、ミルカを肩に担ぎ上げ、アトランタは次のように言い残した。

「この娘…ミルカ殿に免じ、これ以上は責めまい。それに…私が言いたかったことは、ミルカ殿が全部言った。」

 アトランタはそれ以上、セレニオ達を意に介さず、背中を向けて、小舟につながる綱に向かった。
 その背中を、セレニオは黙って見送った。

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