2004.05.25 (手術前日) |
2004.05.25日、H市民病院へ入院しました。明日が手術です。 多くの医療機関は1週間前入院、術後3週間で退院というのが標準になっているようですが、H市民病院は術後も8日目には退院というのが基準になっています。家に帰れる人は早く帰ってもらうというのが方針だと説明されました。まさに超特急です。 医師いわく『術後3週間というのが“普通”ではないのですよ』とのこと。 (入院日数が足りなくてガン保険をもらいそこなってしまいました) ▼採血、尿検査、身長・体重・血圧測定、術部剃毛 ▼看護師から手術の段取りの説明 ▼麻酔科医師の説明 この日の採血による≪PSAは4.8≫だったということをあとで聞きました。ドック時点より1.0下がっていたことになります。 直腸手術をしたときの経験で、要領がわかっていたので、剃毛は前夜自宅の風呂で自分で済ませました。少し剃り残しがあって、看護師さんが仕上げをしてくれました。剃るというより、今はバリカンのようなもので刈るので簡単です。 下剤を飲んで就寝。人工肛門の私は、下痢による排便粗相が心配だったのでパウチを付けて寝ました。 不安や動揺もなく、ぐっすりと寝るとができました。 |
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2004.05.26 (手術当日) |
普通の患者は手術当日の朝、高圧浣腸により大腸内をきれいにするのですが、私は人工肛門のためにそれができません。自分で『洗腸』という方法で大腸内の残滓物を強制排泄する作業を行いました。 午後1時半手術室へ。 午後5時45分病室へ戻る。 直腸手術の癒着などでむずかしい部分があり、予定時間を1時間ほど超えたようです。 痛み止めがよく効いていて、開腹手術をしたという実感を感じないほどでした。1時間ごとの血圧測定や点滴などのために睡眠はほとんどできませんでした。。 ≪家族に対する手術の結果説明≫ ・予定どおりの手術ができました ・輸血は貯血だけで間に合いました ・ただし直腸ガン手術のためか、後側が普通とちがっていて苦労しました ・リンパには腫れなど目に見える変化はなかったがあとで顕微鏡で調べます ・摘出した組織を調べてガンがどこかに頭を出しているか、進み具合はどうかなどを調べます という話しがあったようです。 |
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2004.05.27 (手術1日目) 歩行開始 |
手術創の痛みが出てきました。 腰・背中など、手術と関係ないところが痛みます。手術のときに無理な姿勢にさせられたのが原因かもしれないとのこと。でも直腸摘除のときに比べれば問題にならないくらい楽です。 開腹は直腸のときと同じところを切っているが、創の長さは3分のニほどです。 手術から10数時間もたっていないのに、午前中さっそく歩くようにと言われました。抗生物質・生理食塩水の点滴、導尿カテーテルなどにつながれた姿で病棟の廊下を歩いてみました。100メートルほどをふだんと変わらないくらいの早さで歩いたのですが、他の方の体験サイトに載っているような痛みは感じません。でも体は借り物のような感じでした。 この日は合わせて4回廊下を歩いたのですが、最後のときは吐き気、脱力感と、痛みが出てきたために途中で立ちすくんでしまいました。 37.8度の熱が出て、氷枕をしてもらいました。 夕食に流動食が出ましたが食欲がありません。無理して何とか食べました。 体験サイトには「尿失禁対策として、尿道括約筋を鍛える運動を指導されたと書いてありましたが、この病院でもやるのですか」と看護師に尋ねると、「山太郎さんはふだんからマラソンなどで下半身が鍛えられているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。ほんとうかどうか知りませんが、一応信じることにしました。 ベッドから出たり入ったりするのが痛くてつらい。 |
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2004.05.28 (手術2日目) |
熱37.2度、終日同じような熱がつづきました。。 朝3分がゆ、昼5分がゆ、夕7分がゆ。すべて食べました。 ほとんどの患者は病室への配膳ですが、私は歩いてラウンジまで行くことにしました。 病棟散歩5回、合わせて400メートルほど。 突然咳が出て、手術創が飛び上がるほど痛かった。ほんとうにびっくりした。 ベッドの出入りは昨日同様に痛くてつらい。 執刀医が転勤のために今日が最後との挨拶がありました。手術からわずか2日目です。ちょっと不安を感じましたがしかたありません。 |
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2004.05.29 (手術3日目) |
夜、腰痛がひどくてつらかった。あまり寝られませんでした。もしや骨へ転移しているのでは?でも骨シンチで異常なしだったからまさかネエ。 平熱に戻りました。 廊下散歩、合わせて800メートルほど。 脊椎麻酔は終り、カルボインという鎮痛薬の注入に変わりました。脊椎への針をそのまま残して、小さなポンプで自動的に送りこむ仕掛けになっているそうです。 抗生物質の点滴も終り、点滴は生理食塩水だけになりました。 昼食から普通食となりました。 新たに担当となった先生は泌尿器科の主任的立場のA先生です。アメリカで勉強して来たりしたかなりの腕前の先生だそうです。2ヶ月前に私が参加したフルマラソン大会にこのA先生も参加していることがわかり、急に親しみが増しました。私のホームページ(マラソン、登山、直腸癌の体験など)を知っているということでした。 |
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2004.05.30 (手術4日目) |
1週間分の抗生剤(粒剤)をもらう。毎食後服用。 かなりきびしい腰・背中の痛みがつづいて、散歩をする気になれません。 血抜きドレーンが神経にあたっているのか、昨夜は痛くてあまり寝られませんでした。 医師回診で血抜きのドレーンが抜去されて、この部分の痛みがうその様に消えました。 |
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2004.05.31 (手術5日目) |
腰痛、背中の痛みが軽くなってほっとしました。 人工肛門の排便は、ふだんは洗腸という作業をしているのですが、入院してからはパウチという袋を貼っています。便はしっかり出ています。 1日の時間を持て余し気味です。時間つぶしは読書です。 廊下や階段など院内を自由に歩きまわっています。売店で『がんサポート6月号』という雑誌を購入、前立腺癌の特集記事が出ていて、素人にも大変わかりやすい内容でした。 午後、看護師に手術創の保護をしてもらってシャワーを浴びました。 看護師長が病室に私を訪ねていろいろ話していきました。A医師から私の話を聞いて、体験談を話して欲しいとのことでした。 |
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2004.06.01 (手術6日目) |
昨夜は痛みなしの夜、快眠。 40分連続で院内を歩きました。そのあとかなりの血尿が出てしまいました。看護師は歩くのを控えるようにとは言いませんでした。 |
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2004.06.02 (手術7日目) 抜糸 排尿管抜去 |
朝の回診で抜糸をしました。抜糸と言っても、今はピンを取るだけです。痛くありません。いくつとるのか数えていましたが、途中で分からなくなってしまいました。10いくつでした。 午後、医師の回診でいよいよ排尿ドレーンの抜去です。恐怖の尿失禁の始まりとなるわけです。さっそく紙オムツをあてました。尿意を感じないままに頻回に漏れます。ただし他の方のHPで見たような、じゃーじゃーという漏れ方ではなく、ちょろちょろと出る感じです。 1、2割の人は尿もれが改善しないと言いますが、そうならないように願うばかりです。結果如何はその後のQOLと重大な関係がありますからね。 排尿ドレーンの抜去をすると、「もう病院にいてもやることはありませんから、明日は退院ですよ」という先生の話でした。 |
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2004.06.03 (手術8日目) 退院 |
採血。 昨夜、寝ているときは失禁はまったくありませんでした。その代わり1時間から1時間半の間隔で尿意を感じてトイレに通いました。 午前10時過ぎに退院しまた。 夕刻、外を30分ほど散歩、やはり外の方が気持ちいい。 |