我が家の介護日記

〜最近の状況 No,1〜

とっぷへ  前のページへ 次のページへ パーキンソンとは  難病とは

1998年12月27日

正月休中,自宅でなにかあると対応できないという先生の心遣いから,一時,病院で預かってもらう事になった。
父には気の毒だが,家族の安心して休みを迎える事が出きるし,良い休暇になると思う。
それに,日帰り旅行ぐらいは行けそうだし。

1999年 1月2日

叔父が父のお見舞いに来てくれた。本当に小さくなった父を見て,少し涙ぐんでいた。父もわかるみたいで,涙を浮かべているように見えた。しゃべる事が出来なくなった父だが,瞬きを何度もする。その姿を見ていると本当に切ない。

1月11日

今日,退院になる。訪問看護婦さんとの打ち合わせも終わり,家での看病が始まる。
家に帰ってくるのがうれしいように見える。

2月10日

ここの所,熱が下がらない日が続く。私たちのことが判らないようだ。
何を言っても返事が来ない。先生が『早めに入院した方が良い』と言ってくれた。

ページトップへ


2月12日

入院になる。やはり肺炎を起こしていた。『早めに入院して良かった。』と先生も言ってくれた。
解熱剤の点滴と酸素で,どうにか熱が下がるのを待つようにする。しかし,腕や足から点滴を入れようとしても血管が細くなってうまく入らない。そこら中が点滴のあとだらけになってしまっていた。元気なときは,「俺は血管が太くて,どこにでも打つことが出きるから,病気になっても大丈夫だ!!」と言っていたのが嘘のようだ。

いろいろ薬を変え,熱を押さえようとしているが,一向に収まらない。肺炎に関しては良くなったようだが?先生も心配して,がんばってくれているようだが。
昼間熱が下がっていても,意識がはっきりしないようだ。母が話し掛けても,目がうつろのままわからないみたい。「このままだめになってしまうのか?」母が言っていたが,そんな事を本当に考えてしまう。

3月

先生からの話があった。『いろいろ手は尽くしていますが,一向に熱が下がらないようです。今までは在る程度熱が下がると意識があったのですが,今回は何を言っても判らないようです。覚悟をした方が良いのかもしれませんね。』
母が,病院から帰ってきて涙ぐみながら,「覚悟はしていたけど,いざ先生から話があると参っちゃう。どうしようかと言ってもしょうがないし。もしものときを考えて,今の内にある程度決めて置くしかないね。」と言う。しかし,私は・・・・
なるべく悪い方に考えたくない。まだ判らないし,これから良くなるかもしれないし。ただはhの気持ちを考えると,うなずくだけだった。

3月29日

何を言っても,やはり反応が無い。目がうつろで,どこを見ているのかわからない。
「やはり良くならないのだろうか?」
今までと違うようだ。話し掛けている母を見ていると,涙が沸いてくる。
「もう何時,おかしくなっても不思議ではない状態です。もっているのが不思議なぐらいです。かなり心臓や内臓が強いんですね。」と言う先生の言葉。

ページトップへ


4月8日

退院になる。3日前に先生からの話があった。『いろいろ手を尽くしていますが,意識がはっきりしないようだ。熱に関しては,とりあえず落ち着いているようだが。このまま病院に居ても同じだと思う。病院に来るのを居やがっていたし,帰りたがっても居たから,家に返しましょう。その方が良いでしょう。家に帰って落ち着いたとたん,良くなる可能性も在りますから。』と言う先生の言葉に心を決め,退院する事となった。
『なにかあったら,すぐに連絡をください。飛んでいきますから』,先生も本当に心配しているようだ。

4月14日

先生の往診。『びっくりしました。病院に居るときと顔色が違う!!こんなに良くなっているとは。すぐに病院につれてくるような状態になっているのではと,心配していたんですが。意識がはっきりとしているようですね,しっかり私のことを見ていますし,熱の無いようですね。こんな事って在るんですね。酸素も点滴もはずしてしまったのに,やはり家庭に帰るのが良かったんですね。家族の介護が一番の薬になったようですね。』
その言葉を聞き,母は本当にうれしかったようだ。私が仕事から帰ると,真っ先に先生の話を言っていた。
私もその話を聞き,ちょっと誇らしげに思った。

4月17日

訪問看護婦さんの来る日。「本当に良くなりましたね。このまま続いてくれると安心できるんですが。」

6月8日

先生の往診。『ちょっとまた肺炎になりかけているみたいですね。たんの色が悪いし,熱も少し出てきたみたいですね。お母さんの休息にもちょうど良いので,そろそろまた,入院して検査しますか。来週にでも入院しましょう』と先生の言葉。夕方になると熱が出てくる。またこないだみたいに悪くなるのか?ちょっと不安がよぎる。

ページトップへ


6月15日

病院から連絡が入り,入院。酸素がちょっと足りないような事を言われた。酸素と点滴をつけるが,点滴がなかなか入らない。血管が細くなっているため,看護婦さんが苦労しているようだ。

実はこの日の夜、大変だったようだ。後から言われたのだが,酸素が足りなくなってチアノーゼ状態になったそうだ。
人工呼吸と,薬でどうにかもちこたえたそうで、「今日入院していて良かったですね。家でなったらどうにもならなかったと思いますよ。本当に良かったですよね。」と後から婦長さんに聞いた。
そんなに悪い状態だと思っていなかった。言う事にしっかりと返事も返してくるし,顔色も良かったのでちょっと驚いた。

熱が,また出てきたみたいだ。また悪くなるのか?

6月27日

『だいぶ良くなってきたので,検査の結果で退院できると思いますよ。また大変ですけどがんばって下さい。」と看護婦さん。
意識もあるようで,私のいうことが判るみたいだ。目がしっかりと私を見ているし,言う事にうなずく。調子が良いようだ。

7月12日

仕事から帰り,母のがっかりしたようすが,目に飛び込んだ。先生から話があったようだ。『検査の結果,ちょっと良くないですね。肺がもうぼろぼろで,ほとんど酸素を取り入れられなくなっているようです。普通の人の10分の1ぐらいしか呼吸できなくなってますね。酸素をはずすとちょっと危ないかもしれません。もう少し様子を見たほうが良いでしょう。』
と言う事で,退院はまだ出来無いとの事だった。ちょっと体が冷たく感じるのはそのためだったようだ。
ただ,内臓が強いので,大丈夫だと言う事だった。

もし退院になっても,家では酸素が送れないし,どうすれば良いんだろう。
また,心配のねたが増えてしまう。

トップページへ   前のページへ   ページトップへ