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――針金師――
――日本人ヒッピー、ヨーロッパ組かも――
――たまにの罰金、辛いで――
―― スイスでの日々――


――針金師――

針金でネームを作り、路上で売る人を見たことはありますか? 

私はそんなネーム作りのプロでした。

自慢ではないが私の作ったネームの美しさは、
それはもう綺麗な作品を作ってました。

流れるような、筆記体を針金で創作しておりました。

日本の人達のネームのかたちとはひと味違います。

本場、ヨーロッパの人達を相手に売っていたので、
やはり文字の 美しさを、常に追求しておりました。 
多分、私の作る作品以上のネームを作る人はそうはいないのでは? 

世界一のネームかも?と言いましても所詮そんなモノを作る人なんて
あまりいないのです。

ゴク、ゴク狭い世界での世界一ですから……

陸上競技や、水泳選手の世界一とは、月とすっぽん、
イヤ、月とぽんぽん 位の差があるわけで、
ソウした狭い自分達だけの世界の話なのです。

そんな私にもネーム作りの師匠がおりまして……
「今、俺こんなネーム作ってるんだ!」
「ネー!新しいの考えた?」とか
「最近、平面的なのに、満足しなくて、立体的なのを考えているんだ」

そんな会話が、久しぶりに会った師匠と弟子の間で交わされるのです。
何といいましても、二人の世界です。
一年に一度か二度位しか会わないのに、
会った時 は新しい作品の発表会みたいに、
二人とも子供のように針金をいじくり遊び、
ホテルの部屋が針金のゴミだらけになってしまうのです。

しばらく遊んだ後……
「これからどうするの?」 
「今日の夜行で、ドイツの北の方の小さな街に行きたいんだ」
彼は針金のいっぱい散らかった部屋を出ていく、
次に何処で会えるかも分から ない彼と、かるく握手を交わし
「元気でネ!」と小さく声をかけた。

夜の歓楽街、Zurchのニイダドルフ・ストリート、
大道芸人の隙間を縫って 街ゆく人に一時の夢を売る。

力を加えればすぐ壊れてしまう細い針金で作られた自分の名前をみて
「シェーン!」(きれいだねー)と喜ぶ彼女たち――
「ヴィフィール?」(いくらですか?)
「フィンフ・フランケン! シュライベン・ジー・ビッテ・イーレンナーメン」
(5フランです。ここに名前を書いてください) 

酒に酔い、通り過ぎる人々をよそに、ネオン街の石畳の上に、
ショウウインドウ の明かりの下で、
小さな針金手作りのネームを作り売っている東洋の若者――
誰の目にも何処に行く宛もない可哀相な薄汚い青年と写ったでしょう。

人の行き来も、まばらになってきた頃……
「Yoshi! もうお店しまうのでしょう」
イングリッシュ・パブでウエイトレスをしているウスラが仕事を終え、
声を かけてくれたのです。

にぎやかな客も引け、夜の街に静けさが戻る頃、
寂しがりや達は互いの心を温め合うかの様に寄り添い、
一つ二つと灯の消える 街を後にするのです。


――日本人ヒッピー、ヨーロッパ組かも――

1979年頃ですかネ……

針金細工のアクセサリーをアテネで売りました。
飛ぶように売れるのです、布の上に並べた製品、全部でいくら?
とか、そんな感じで。
お金持ちが多いのか、もう即、売れるのだよあそこではネ。
お店を出して5分で完売、そんなネ、10分経ったらお巡りさんに
捕まるって、結構シビアな場所でもあったわけ。

アテネで針金細工の制作までやってた人は知りませんけど、
モンジさんって人で、そんな針金アクセサリーを専門に制作して
アテネの日本人テキヤに卸をしていたイタリアのフィレンツェに
住んでた人は知ってます。

アテネが針金細工アクセサリー売り場、最後の場所だったかも。

私考えるに、「針金師」とか「ネーム師」って呼び名は
その当時ヨーロッパを放浪していた若者達が生んだ言葉でしょう。

年代的には1972~3年頃から北欧から始まった。

学生運動がピークに達し、浅間山荘事件(1972)を機に次第に
下火になってゆく一方で、当時の余りある若者のエネルギーは
海外に向いていった。

そういう時代でしたか、フォークブームや放浪ブームのような、
沢山の色々な種類の若者がいたような、私もそんな中の一人。

アメリカ、ヨーロッパへと先進諸国へ特に目的も無く、行けば何とか
なるだろう的、若者が世界に出て行ったのです。

なんとなく、北欧はアルバイト天国って噂は、日本の国内を旅行して
いてもありました。

多分、そんな噂が流れる源、そこで始まったのが、イヤ日本から
持ち込んだのが針金細工だったのでしょう、その元はと言えば
日本での路上フリークさん達かもしれません。

70年代始めの頃でしょう、日本で自分達でアクセサリーを作り
それを路上で売る人達が現れました、福生とかその辺
音楽とかなり関連がある、アメリカンアパートメントにシェアして
住んだ人達から始まったのか? 定かではないが。

そんな針金細工を売った日本の若者達って北欧から、ドイツ、
スイスと南下してきました。

スペインに渡った若者も多かったけど、スペインの場合
針金細工と言うよりも、石のネックレスとか、ブローチとか
製品の内容が違いました。
そこで、スペイン組は針金師とは呼ばず、テキヤって呼んでた。

どうして北欧から南下してきたかって、路上商売規制が次第に
厳しくなってきまして、それと同じ製品を売ってるわけだから
市場もすぐ飽和してしまうわけ。

日本の旅行者って、お金が作れると聞けば、雨後の竹の子のように
集まります、ユダヤ人と同じ、そう日本人は似てるかなと。
そういえば、数年前の日本の駅前テキヤはイスラエルからの
若者ばかしだったけど。

アテネは製品の仕入れ場所でもあったわけ、皮紐製のネックレスや
腕輪など、既製品の仕入れ場所です。問屋さんも沢山ありまして
そんなところで仕入れた製品をヨーロッパの路上で売ったりも
しました。

針金細工は手作りなわけで、メイド、バイ、ハンド、それは同じ
路上商売でも可愛いけど……
アクセサリーの既製品を仕入れてお金になる、そうなりますと
手作りアクセサリーを売っていた頃から、次第にエスカレートして
ドンドン既製品で安易に路上商売は始められるわけで、
当然、取り締まりも厳しくなってくる、そしてやがて……
そんな時代も終末を迎えたわけです。

私も既製品を仕入れて売った、後期組ではありますけど。


――たまにの罰金、辛いです――

何処の国でも労働許可証を持っていない外国の人間が働いてるとなれば、
それは法律違反、イミグレの検挙対象になる。

スイスでもやはり同じで、お巡りさんに捕まることもある。
路上商売をしていて捕まった場合、どうなるか? これは、各州の
警察によってまちまちなのです。

スイスって国は22州から成る、連邦国なんです。
22州もあって、日本の四国くらいの広さしかないのです。
でもって各州が独立しているのです。
外国人ヒッピーの扱いも異なる、各州の警察は独立しております。
当然、法律も各州によって独立してまして、
州が変わると取り締まりも全然変わってしまう。

ではスイスの針金師の拠点、Zurich州はどうであったか?
これがラッキーにも緩かった、そして
Zurichにはニイダドルフ.st そうです、
スイス最大の歓楽街があったのです。

Zurichでお巡りさんに捕まるとどうなる?最初が50フランの罰金。
(日本円で5000円くらい、1フラン約100円)
そして、二度目に捕まると、罰金額が二倍になり100フランにる。
三度目は200フラン、四度目は400フランって具合で、
マージャンの役と同じで倍倍になってくるわけです。
捕まれば捕まるほど高くなるって怖いね。

だけど、そんなに捕まえない、私は4年やっていて一度も捕まった
ことは無かった、湖サイドやニイダでは一番売っていたと思うど。

何故かねー……制服警官が取り締まる日は情報が流れたりするし、
私服警官が事前に、今日は止めときなって、言ってくれたりする。

そんなのを無視して売ると捕まるのよ、向こうだってそれなりの
事情があるわけで、そういうのには従わないといけない。

それと汚い服装や、だらしない服装だと捕まるネ、
東洋人の感覚ではいいとしても、ゴム草履はダメ、みすぼらしい。
やはり、シューズを履く、それも紐をきちんと結ぶ。

最近の日本で膝に穴の開いたジーパン、これダメ、貧乏くさいネ。
スイスの人はそういうのを嫌いますネ、あくまで小奇麗な身なり。

ある夏、パリから来た日本人で、私に製品を売らせてくれと頼まれ
布きれと製品を渡し、ニイダで売ってもらったけど、
一週間も経たないうちに捕まってしまって、どうせ初めてだし、
50フランの罰金で済むであろうと思っていたら、
その夜帰ってこないし、ウン、一晩無料宿にお世話になって、
二日目にも帰ってこない……

三日目に帰ってきて、何でもスイス国境までの列車チケットを
渡され二度とスイスに入ってくるなと言われたと。
途中で降りてZurichに帰ってきたのだけど、
彼ってゴム草履なんだよネ。

とっても狭い社会でもあるわけで、お巡りさんと言っても、
スイスの人達にしてみればみんな知ってるわけで、
子供の頃から知ってるどこトコの誰が
今、警察官やってるってそんな国でもある。

国が豊かだから競争がない、大学まで進む人は少ない。
人口は少ないし、成人前に皆さん兵役もあるし、
皆が知り合い社会だネ。
反面、閉鎖的な面もあるけど、概ねフレンドリーな国民性。

郷に入れば郷に従えってことで、スイスに入ったら
スイス人の様に、彼らと友達になり、身なりも大切かな。

何たってパリコレとミラノファッションがスイスで合流するって
場所でもあるわけで、田舎だけど小綺麗にが、基本かな。


――スイスでの日々――

スイスでのテキ屋商売、いつもお巡りさんに追いかけられながら……

とは言いましても、そこはスイスです、毎週末はどこかで
お祭りがありまして、そんな時はお巡りさんも、意外と
多めに見てくれます。

8月の中頃でしたか、ジューネーブの祭りがありまして、
こいつが結構でかいし、国際的な祭りでもあります。

それはそれは、レマン湖ほとりは賑わいます。
我々、テキ屋も繰り出します、そして、ほとんど取り締まりは
ありません。

紙吹雪が舞い、そんな中でも売れますネー……
我々も、祭りが終わって、シャンペンを傾け乾杯です。
紙吹雪を浴びたまま、ホテルに帰って、売り上げを数えるのは
最高の楽しみです。(100フラン紙幣でっせ)

ええ、私? 針金ネームの妙技を披露して乗ってます……

 

 
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