日 記

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センスがないのが致命的で、なかなか面白い事も書けませんが…。前後にわたって更新できるといいな。


 更新

3月29日(水)
 誕生日。職安に行って、ブックオフに行った。椎名誠の本を何冊か買った。
 U-23の対NZL戦は、俊輔や稲本、本山が活躍。高原はよく分かんない。北島も、見たことあるけどそんなに良い選手とは思わない。そしたらFWはやっぱり駒不足。まあ今日の俊ちゃんの活躍も、親善試合で中盤のチェックが甘かったせいもあるね。でも柔らかいボールタッチ、左足での切り返し。そして素晴らしいFK。もう怪我するなよー。

3月27日(月)
 昨日のグラスワンダー大敗、高松宮記念の波乱を引きずるわけではあるまいが、一日どよーんとしていた。今まで何度も陥った症状なので、どうやったら治るか解ってはいるのだが、つらい。甘ちゃんなのは解っていても「何でも、どーでもいいや」という気になる。最近は、自分脳髄を吹き飛ばされるイメージがこびりついている。
 いつの間にか夜中になったので、「伊集院のアップス」を聞いて寝た。

3月22日(水)
 図書館でシスアドの勉強。でもあまり出来なかった。
 ニュースでは、18歳の少年が、若い母親と娘を殺した事件の一審が出ていて無期懲役だった。計画性がないのと事件当時、「少年」だったから、無期になったようだ。俺は死刑に反対だが、少年法にも問題ありだと思うし、無期と死刑の間に差がありすぎることも問題だと思っている。ただ、泣きながら記者会見している被害者の夫を見て、不快感というか寒気がした。「気持ち悪い」というか。勿論、被害者の気持ちなど俺には解らない。俺の想像の範囲を超えた悲しみなのだろうが。俺は「鬼畜」なんだろう。

3月21日(火)
 職安に行った。何も収穫がなかった。ダメな感じで落ち込んで、「こんな俺でも、ちょっとは役に立つことをするかぁ」と町田献血センターに向かう。久々の成分献血。俺の担当ではなかったが、一人可成り可愛い看護婦さんがいた。
 帰宅して、ウテナのビデオを見た。久々。「幹を汚す奴は許せない…」梢ちゃんに惚れる

3月18日(土)
 寝不足のまま、学校の仲間と山梨・石和へ旅行。日産マーチに5人乗り込むのはきつかったが、俺は助手席なので楽だった。宮ヶ瀬を抜けて相模湖から中央道に乗った。相当の渋滞を覚悟していたのに予想外に空いていて、お昼前に甲府に着いてしまった。
 俺は、母方の田舎が山梨県(南巨摩郡)でガキの頃何度も訪れていたので、道行く景色が全て懐かしく感じられた。山の上から甲府盆地を見下ろすと、何とも言えない暖かい気持ちに満たされたが、そんな気分でいたのはメンバーの中では俺だけだった。正直、山梨には大したものはない(甲府駅の周りは寂しいぞ)のだが、それでも良いところだな、と思ってしまうセンチメンタルバリア…。
 メンバーの女性の希望で、サントリーのワイナリーに行った。山の中腹にあり、辺り一面葡萄畑だったがシーズンオフなので寂れた感があったが、案内係の女性が、ワインの製造過程など説明してくれるし、試飲サービスなどもあって楽しめた。ただ試飲できるワインは、何種類かあったもののそんなに美味しいと思えるものはなかった。最近、伯父から上等のワインを御馳走になり中途半端に舌が肥えたからか。そのせいで不味くはなかったものの試飲のワインを土産に買っていく気にはなれなかった。
 次に観光地で有名な昇仙峡を目指す。狭い道を登って眼下の美しい渓谷を眺めた。取りあえず、一番の目玉っぽい仙娥滝を目指した。山道を登って奥へ奥へと進み、ちょうどラスボス的な雰囲気の中に滝はあった。ただ季節的に水量が少ないのと、夕方で暗かったこともあって、ボスとしては少し貫禄不足。美しい滝であることは間違いなかったので、次は春か夏、明るいときに観てみたいと思った。
 夕方、石和のホテルに到着。早速露天風呂。食べきれないほどの晩飯を食べたあとも俺は疲れて寝てしまった。他の連中は風呂に行った。その後、酒を飲む予定だったが皆疲れて眠そうだったので「ホームアローン」「恋のから騒ぎ」など見ながらまったり。そして、夜中に一人で露天風呂に行ってみたら俺だけだったので岩に寄っかかってくつろいでみた。ダメ人間の俺が、一人前に露天風呂でくつろぐなど想像もできなかったが、現実はがむしゃらに来て色々やってくれるよ。そんなわけで部屋に戻るとみんなでダラダラしていたので俺も朝方まで他愛もないことを喋っていつの間にか寝ていた。

 翌日、勝沼の「ぶどうの里」というところに出てやっぱりワインを飲む。その後、河口湖まで足を伸ばし昼飯を食べて、富士五湖道路で御殿場に出て東名に乗って厚木まで戻った。ラジオで阪神大賞典の結果を聴いたら、ナリタトップロードが三着に敗れたのと、的中したワイド三点が全部100円ということに驚く。帰宅後ビデオで見るとトップロードは道悪が響いたとしても脚を余して負けた気がして「頼むぜ、ナベちゃん…」と嘆く。帰宅したのは6時頃。疲れていたのですぐに爆睡かと思いきや、朝まで起きていた。コミケ明けのあの感覚に近い懐かしさを覚えた。
 
3月15日(水)
 学校の卒業式。スーツを着ないで行ったら浮いてしまった。式では、精勤賞を代表して壇上に受け取りに行ったが全然緊張感なし。送辞答辞も全く心がこもっていなくて、来賓の挨拶も事務的で心に少しも響かないものだった。こんなやる気のない式を挙行してしまう学校から、大した人材を輩出できるわけないな、などと思いつつ俺も明日から無職の身で、世間の風が身に染みるのだろう。
 クラスに戻って皆と談笑して別れる。とにかく一年間の学校生活は本当に楽しかった。もうこんな学校生活を送ることはないであろう。大学時代の倍は飲み会をしていたような…。
 今日も夕方に集まってクラスで飲み。二次会で、安ワインを飲み過ぎたら酔っぱらってしまい、帰りに高座渋谷駅のベンチで30分ばかし寝てしまった。これで風邪がぶり返さなかったのは運が良かった

3月13日(月)
 週末、風邪にずっと苦しめられていた。薬飲んでも数時間だけ熱が下がるが、すぐに37度を超えてしまう。特に喉の痛みが酷かった。部屋が乾燥するのがイヤでエアコンをつけるのを控えてきたが、寒さにやられてしまうので仕方なくつけた。俺の部屋には加湿器なんて洒落たものはないので、小学校以来の久々にマスクを買ってきた。ガキの時は気持ち悪いと思っていたけど、喉が乾燥しないし冷えないし凄く具合が良い。凄い発明品だ(笑)。
 それでも昨夜は、喉が痛くてなかなか眠れずテレビとネットサーフィン。F1開幕戦オーストラリアGPは、フェラーリのシューマッハが勝った。フェラーリは好きなので嬉しいが、最近のF1事情にはとんと疎い俺だった。
 オーストラリアといえばセナの追突。あと中嶋悟の雨中の激走が思い浮かぶが古い話だ。中嶋が惜しくも4位に終わったそのレースは、たしか彼のロータスホンダでの最後のレースで、3位のパトレーゼ?をつつきまくったんだけど抜けなかったのだ。彼には一度は表彰台に登って欲しかったが、思えば最大のチャンスだったなあ。雨の中ではNピケより速かったのに…。このレース勝ったのは、AナニーニかTブーツェンでしたかね、アラカワさん?
 そしてバジャドリー戦。ビクトルが城に少しパスを回すようになった!でもまだ物足りない、パスが来ないから仕方ないけどシュートが少ない。後半、城が交代したあたりで寝てしまった。
 朝10時半頃に、厚生病院に行く。やっぱり年寄りばっかり。それはさておき、一時間以上待って、診察は5分。薬が4種類出た。暇だったので、隣の図書館で「医者のくれた薬が解る本」なる分厚い本でチェック。扁桃炎の薬、去痰・喉炎の薬。イブプロフェン系の鎮痛・解熱剤。そしてこれらの薬の副作用に胃の不快感というのがあるからか、レバミピドという胃炎の薬まで付いてきた。さらに、うがい薬まで付けやがった。銀行の追い貸しじゃないんだから。数をさばかなきゃ儲からないのも解るけど、こっちが断りにくいのを良いことにボロイ商売だ。5日分出すのも多すぎる。
 それはさておき、もらった(買った)薬は強力で、二回飲んだら殆ど治ってしまった。余った分は、次使おう。

3月8日(水)
 横浜に就職活動しに行く。関内から職安目指して歩いたら何故か目の前にみなとみらい地区(桜木町)があった。方向音痴はなかなか直らない。
 たまたま本屋で声優雑誌を立ち読みしたら、椎名へきるのインタビューがあった。ネタ拾いに読み始めると聴いてる音楽のことで「今好きなのはドリームシアター。プログレはよく解らないけど、彼らのやっている音楽は好き。とくにギターのJペトルーシがいい」などと宣っていた。
 ドリームシアターの2ndは、90年代の俺のベストワンに輝くアルバムだが、大好きなバンドを褒められて嬉しいかというとさにあらず、「この女、アーティストぶってドリシアとか背伸びしてんじゃねーよ!」という気になった。
 昔、どーでもいいと思っていたミュージシャンのオールナイトニッポン二部をたまたま聴いていたら「俺のお気に入りの曲をかけます」と言って、かかったのがドリ-ムシアターの「Pull me under」という曲だった。それ以来、そいつのことを見直し毎週聴き始めたのに一月もしないで終わってしまったことがあったのに。へきるの場合じゃあ、何故かそう言う気にならない。
 しかし、誰が彼女にドリームシアターを勧めたんだろう。しかし俺も正直に告白すると、昔に俺もかかりそうになった「プログレ聴いてると知的になった気がする症候群」を思い出して、彼女の言動には少し甘酸っぱい恥ずかしさと心苦しさがある。ま、こういうのどの世界でもあるよね「押井守を語ると知的オタクになった気がする症候群」とか「外周大手のことを知ってるだけで同人界を全て知ったと思ってる症候群」とか。

3月2日(木)
 朝9時半に、BSの「将棋界の一番長い日・A級順位戦最終局」を見る。午前中は駒組段階で大きな動きはなかった。
 16時半からの中継も見る予定だったけど、久々の友人から誘いがあり町田へと出かける。パソコンショップやヨドバシカメラ、ソフト屋、まんがの森などを回る。まん森で立ち読みしたホラー「富江」が面白かった。画力がしっかりしているし、ストーリーも気に入った。絶対な美女で悪女の富江が出会った男を狂わせ、狂った男は大抵富江をバラバラに殺してしまうが、そのバラバラ破片から再び美しい富江が復活するという悪女ストーリー。これは、モテない男が美女に惚れるが、大抵捨てられるか裏切られるかして非業の死を遂げるという映画(それもチープな欧州もの)が好きな俺にはハマったようだ。この「富江」は、「リング・らせん」以降、昨今のホラーブームに乗って映画化された筈だが大して話題にならなかった。そのうちビデオで見てみよう。
 帰宅して、22時半からの中継を心待ちにする。やっと始まってみると、注目の加藤−中原戦は中継開始前に加藤の勝ちで終わっていて、中原のA級陥落が決定していた。そして、中継開始5分後には、丸山が郷田に勝ち名人戦挑戦を決めた。開始してあっという間に注目の的があっさり決定してしまったのでどうにも盛り上がらなかった。もう一人の降級は、田中寅が森内に勝って、郷田だった。俺の予想は悉く外れてしまった。
 敗れて降級が決定した中原誠には、大勢の報道陣が群がっていた。これはこの日名人戦挑戦を決めた丸山よりも多い。やはり最大の注目事で翌日の新聞も「丸山名人に挑戦」でなく、「中原陥落!」であった。インタビューで中原は引退を否定し、来期はB1で指しますよと話した。ここ数年の中原は常に降級の危機にさらされていたが、以前のその時期のインタビューでも「落ちても上がる自信がある限り指し続ける」と言ってはいたので引退否定に別に驚くことはなかった。たしかにまだ52歳であり引退には早い。
 そしてあえてB1での現役にこだわったのはライバル米長邦雄への対抗心と見る。米長はA級を陥落してフリークラスへの転入を決意した。華も才能もあることを自負する米長は、B級以下で指すことはプライドが許さなかったのだろうが、いかにも米長らしい気障ったやり方だった。本当は彼の性格ならば、A級を落ちたらスパッと引退したかっただろう。だがそんな振る舞いが許される(というかふさわしい)のは永世名人の資格を持つ大山・中原だけだった(谷川はまだ若すぎる)。だが中原は引退せず、あくまで現役にこだわり泥臭くB1で指すのだ。恐らくA級復帰は叶わぬと俺は見ているが、この辺が中原の強さなのかもしれぬ。永世名人がB級で指すことを良しと思わず引退を示唆した側近も大勢いたことだろうが、拒否したのだろう。中原は一度自分で決めたことは絶対に譲らない。凡庸のようでいて、強靱な精神力と行動力を持っているのだ。その辺が中原と米長の実績の大差に現れている。
 競馬で言えば、米長は、気障ったらしくムラが多いがマルチな才人・田原成貴にそっくりだ。中原は、岡部に武豊をプラスした感じ。羽生四冠は武豊だな。谷川は的場あたりか。佐藤康光名人は蝦名正義あたりか(派手さがないから)。米長の弟子で師匠によく似た小癪な才人・先崎学は藤田伸二っぽい。



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