日 記

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センスがないのが致命的で、なかなか面白い事も書けませんが…。前後にわたって更新できるといいな。


4月30日(日)
 朝から天皇賞モード。今回馬券は買っていないが、発走が待ち遠しいのは相変わらず。レースについては、競馬ページに書いたから、また書く気はしないが、残念な結果。オペラオーの勝ちは順当だし、横綱相撲を見せてくれた。もっと強くなるかもしれない。だが問題は、2着。武豊がラスカルスズカの能力を最大限引き出して、トップロードをゴール前交わして入った。そしてトップロードに乗った渡辺騎手の騎乗は歯痒かった。何度もこんな騎乗を見せられると、降りた方がよいと思う。その方が、トップロードも新しい展開が開けるかもしれないし、渡辺君も自分を見つめ直せるので良いんじゃないか。

4月26日(水)
 就職の面接に行った。社長が俺の大学出身だったので、取りあえず話は出来た。帰宅して韓日戦を見る。序盤から韓国の気迫に押されていた。後半の最初は、ペースを掴んだがここで点が取れなかったのが痛かった。相手が十人になったのに逆に一点決められて、焦ったのかミスが目立った。中田や中山らも疲れて動きが鈍っていた。それなのに選手交代のタイミングが遅かった。俊輔の投入も遅すぎ。敵地で劣勢になってから建て直せるほど日本の選手はまだタフじゃない。
 結局、今回も一点も取れず「決定力不足」という呪縛から逃れられない。攻撃が個性に頼りすぎで、戦術がない。トルシエ解任の声が出ているが、フラット3を確立させ守備面での貢献は大だが、攻撃に関しては何もしていない。物足りなさは残る。
 あと、名波や望月はよく頑張ってはいたが、「運」というものに見放されている気がする。良い選手だが代表ではダメかもしれない。そんな悲しい運命を負った選手という気がするのだ。逆に、中田や川口、城などは運の巡り合わせが良いと思う。

4月23日(日)
 府中へ。今日は競馬同人の皆さんと馬券ガチンコ勝負。待ち合わせ場所のトキノミノル像は、パドック付近工事中のため移動させられていた。メンバーは、中央競馬調教師会の増田君、南関東競馬倶楽部のほんださん、超兄貴団の時守さん、JRA新聞社の村山さん、Turf-Coの桜さん、そして俺の6人。俺だけ競馬同人じゃない。
 しかし、府中に来たのも久しぶり。去年のアルゼンチン共和国杯以来かな。競馬場の雰囲気というのはやっぱり良い。今日はGTでもないので、適度な混みようなのも助かった。
 さて、全員集まったところで7Rから馬券を買い始めたが7、8、9Rと立て続けに外した。悔しいのが9Rで、俺や桜さん、時守さんも買おうと思っていた馬が入場の時に放馬し、捕まるまでにしばらく時間もかかった。発走前に無駄な体力を使ったし、精神的ダメージもあるとして迷わずに切った。馬券を買って戻ってくると、除外だと思っていた同馬が発走していた。「あーあ、アレ買った人は可哀想だねー」なんて話していた。そいつは、スタート後も行きたがってあっという間に先頭。「気性悪いねえ」とか言いながら、そいつの潰れるのを待っていたのに、なんとそのまま押し切って勝ちやがった。府中1400は、こういう先行押し切りもあるけど、放馬して勝つのは能力が違っていたのかも。要チェック、トウショウトリガー。マザートウショウの仔だ。
 10Rは俺の勝負レース。エアギャングスター流しに残金の半分を投じる。今思えば、自信のあったのはこのレースだけなので、勝負を賭けてもとつぎ込むべきだったか。
 エアは際どく勝ってくれたが、2着も人気馬で固すぎた。取りあえず払戻金2040円。最終レース後に払い戻すことにした。メインの11Rは、豊のスギノトヨヒメから手広く行ったが、惨敗。万馬券が出た。タテ目だったが、ボックスで21点も買うわけにも行かないし…。勿論誰も当たらず。「敗者のレース」最終も、2着人気薄で誰も当たらず、寂しい結末だった。
 みんなは、当たると逐次払い戻してつぎ込んでいたので、最後に的中を一枚でも払い戻した俺が一着になってしまった。まあ、どれだけ負けないかの少々情けない結果だったが、今度リベンジということで。
 終了後、炭焼きの焼き肉をつつき、ゲーセンのあと二次会に飲み屋へ。カラオケ部屋で歌も歌わず、マジな競馬&同人トーク。メジロの馬名で山の手線ゲームもやったが、競馬の強者の皆さんの前に敗れた。帰り道になると、出てこなかった馬名がわらわら出てきたりしたが、心地よい疲れのなか競馬って素敵などとJRAのCMみたいなことを思った。

4月22日(土)
 技術校の友人4人と遊んだ。それは良いのだが、夜、駅前のローソンを出たところで、なかの一人が財布を落としたことに気付いた。支払ったときは財布を持っていて、落としたのに気付いたのはローソンから出て30秒も立っていない。急いで戻り、みんなで探したのだが出てこない。店員にも確かめたりしたのだが、気付かなかったと。すぐに誰かに拾われて逃げられたのだろう、という結論に達した。
 彼女を慰めながら交番に行ってみたのだが、予想通り全く期待の持てない対応だった。現金だけ取って、財布とカードだけでも帰ってきて欲しいという希望はあるが、犯人が万全を期して、証拠を残さないように全て処分してしまってはどうしようもない。
 友人宅に戻り、財布にどんなカードが入ってたか思い出しながら、電話をかけて一つ一つ止めていった。あんまりカードを持っていると大変なことになるなと思い知った。

4月18日(火)
 自分のグラビアのホームページに、どのグラビアが一番見られているのか調べるCGIを埋め込む。CGI扱うのは二度目だが、今回も雑誌見ながらの作業で凄く時間がかかった。今のところ、直近600件の内の半分以下しか反応してないので、参考程度の結果であるが、やっぱりヌード画像が人気がある。どのプロバイダから来てるのかも解るのだが、ニフティやodn、ocn、so-netなど大手以外に、日産やいすずの社内LANからのアクセス数が結構あった。仕事中に画像集めか?まあ、俺も会社にネット環境があったらやってるかもしれないけど。

4月16日(日)
 明け方まで寝付かれず、3時間弱の睡眠でシスアドの試験会場へ。文教大学遠いよ。不便なとこに通う学生も大変だ。茅ヶ崎にあれば「湘南校舎」を名乗るなんて詐欺じゃねえか。シスアド受験生だけで600人ほど。俺の教室には120名ほど詰め込まれていた。最後方の席なのは良かったが、周りは男だけだったからイヤな気分になった。
 隣の男性は、俺と同い年くらいかなと思って受験票を見たら昭和55年生まれだった。嘘ーん、二十歳?疲れてる顔だったなぁ。でも彼は理系の学生らしく、解答がえらい早かった。午前午後とも30分以上前に退席していた。俺は大苦戦で、午後などは集中力が切れかかるし、時間も足りなかった。合わせて5時間もの試験はきつい年齢なのか。
 皐月賞は、エアシャカールが勝った。さすが豊。トライアルで計った脚をきっちり決めてきた。ダイタクリーヴァの高橋亮君を斥け、また若手の壁になった。
 試験後、シスアドを受けるはずだったクラスメートから携帯に電話があった。新職場の研修が忙しくて受験を諦めた、と言っていた。会いたかっただけに残念だった。彼女は俺が今まで会った中で指折りの美人であったから。
 巨人が勝ちまくっていて最近つまらない。

4月14日(金)
 図書館にシスアドの勉強をしに行ったら、席が空いてなくて、結局将棋の本を読んだりしていた。将棋八段・島朗の本は、書いてあることは興味深いが文章はつらかった。人に読ませる文章というのは、凄く気を使わねばならぬ。他人事ではない。
 夕方、平塚に出て、技術校の仲間と飲む。みんなが職場の愚痴をこぼしていた。「大変だなあ」と思いつつもそんな仲間が羨ましくなった。「友がみな 我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻と親しむ」 なんて啄木の歌があったが、俺は元から「えらく」ないし、妻もいないときた。

4月11日(火)
 職安に行って、夕方新宿に行った。ヨドバシのプラモコーナーで、「Z」のリックディアスのハイグレード版が出ることを知る。やっとかよ。マスターグレードはまだか?プラモ化に際して、どうも永野護のモデルが冷遇されている気がするし、プラモ化する順序が謎…。特にマスターグレード版。ザク系は沢山あるのにグフは、まだ。色物のゲルググキャノンが早くにリリースされたりしているしね。売場のボードに、「ジオも出してね」とか書き込んでくる。
 あと、売場で100円と安売られていた「少女革命ウテナ」のトレカをポイント購入した。
 夜中に「陽だまりの樹」を見たが、今クールはこれに期待かな。

4月9日(日)
 上野公園で、増田信敏主宰のお花見会。光流と、正式開会前の10時半に行くと既に数人のお仲間が来ていた。彼らは周りの木々に「民事被告人・増田信敏を励ます会」とか張り付けていて人目を引いた。その後「シャア専用」とか「桜花賞予想」とか張りまくって通行人の失笑を誘った。昼間は暖かかったものの、風はまだ肌寒かった。吹かれて舞い散る桜を美しいと感じながら惚けた気分になっていた。
 あとは「新潟県警ルール」で麻雀をやったりした。桜花賞は、ラジオで聴いたが全く予想もしなかったチアズグレイスが勝った。サイコーキララに負け続けた馬なのに…。そのサイコーキララは、外外回って届かず4着。後で花見の席にやってきたMKCのほんださんは、「(サイコーの)2着はあったのに石山のヘボな乗り方をするから」とぼやいていた。夕方になって予想通り寒くなってきて、座っていたくなかったので、ぶらぶらと花を見に歩いた。そしたら、大きな通りの方でコスプレして踊っているお姉ちゃん数人がいて、ギャラリーを多数引きつけていた。こんなとこでもコスプレを見るとは思わなかった。
 戻ってから、夜10時半まで寒さに震えながら、杉山さんや今村さんらと去年と同じように馬鹿話をしていた。声優やオタクネタなど。粗品交換は、オウム真理教の秘蔵テープなんてのが当たった。麻原の子供が写っているらしいがまだ見ていない。
 夜中、良い気分で帰っていたら、自転車のことでパトカーに止められた。他にやることがあるんじゃないのか神奈川県警!と思いつつも笑顔で応対。荷物を検査されなくて良かったよ。

4月7日(金)
 夜、小川vs橋本を見る。「破壊王」橋本について、俺は昔からそんなに強いと思っていなかった。小川の方は、今更猪木を信奉するところなど気に食わないが、体格、力量、技術ともに橋本より数段上だと思っているので、ヘンに仕組まなければ小川の圧勝だろうと予想した。結果は、橋本は善戦したのだろうが小川の完勝だろう。消耗はさせられたが、相手の大技も喰らわず得意技でKOしたのだから。しかし、試合後の猪木の「ダァー」には苦笑。春一番のギャグよりもギャグになっていて哀れな感じがした。
 夜中、光流の部屋へ。朝5時頃に帰るつもりが、朝10時半まで、彼の描いた絵など見ながらダベっていた。桜井智は脱ぐのが10年遅かった。今更婆ぁの中途半端な下着姿のグラビアなど見たくない。「スコラ」誌上では、釈由美子の直後のページというのも痛さ倍増だった。
 帰り道での日差しが眩しかった。桜の花は一人で眺めるものだなとか思いながら。

4月5日(水
 就職試験のため川崎に行った。朝、地元の中学で入学式をやっていた。俺にとっては遠い日のことだ。「平成12年度」ってなんだよ。俺は「昭和」に入学したんだぜ。バス停でその中学の女生徒たちが並んでいた。賑やかな話に聞き耳を立てていると今年のクラスは3組までしかないんだと。少子化なんだね、三年間で全員と同じクラスになってしまうじゃん。俺らは7組まであって、卒業まで知らない同学年なんて一杯いた。
 試験は、付け焼き刃の勉強は役に立たず厳しかった。
 帰宅後も、ここ一週間のダウン状態がぶり返し何もできなかった。

4月1日(土)
 土曜日は、職安が休みで正直ほっとする。早く決めなくてはいけないのだろうが。昼過ぎに起きてだらっとしてた。
 最近、太ろうと思って余計に食べたり寝る前に食べたりしている。何故太ろうとするかと言うと、この前の献血の結果が帰ってきて自分の赤血球数やヘモグロビン量が前の値よりもさらに減っていたからだ。赤血球などは男性標準の下限が425なのに410しかない。この値を見て思い出したのはマラソンの早田俊幸のことだ。
 テレ朝、夜中のスポーツ番組で早田のスタミナ切れの原因は、標準より少ない赤血球数にあるかもしれない、と指摘され彼は増量を計った。しかし体重アップは体の切れも奪うという諸刃の剣で、結局彼は調整の失敗でレース中に脚を痛めて良い結果が出せなかった。しかし、スタミナ切れは起こさなかったようなので次に期待できそうだった。この番組では、ずっと早田に注目しているが俺も、勝ちきれずもがき苦しむこのランナーを気にし続けてきた。幸運の女神に見放されかけているこの男が、オリンピック以外でも良いから、華やかな舞台に躍り出られるのならば世の中捨てたものじゃないな、と勝手に思いながら。
 それに比べると俺は大して切実さもないのだが、実験のつもりで太ってみようと思った。太った後の献血で赤血球数が変わらなければまた痩せればよいのだ。スタミナが付くかどうかも試してみたかった。しかし、思うようにいかないもので体重が64キロから増えない。寝る前に食べても、朝起きると食欲が全くなくて一日で食べる量は前とあまり変わらない。肉やレバーなど食べて65〜66キロまで増やしてみたいのだが。
 TBSの感謝祭をずっと見ていたが、大井の競馬は的場文男が出鞭を使っていく気合いの入りようで、人間チームに今回は圧勝していた。あと、クイズでは伊集院光が健闘していた。奴、マジになってるなと思いながら最後まで見てしまった。伊集院は3位だった。


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