日 記
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センスがないのが致命的で、なかなか面白い事も書けませんが…。前後にわたって更新できるといいな。
更新
12月8日(金)
今日はジョン=レノンの20回目の命日ということで、FMは朝からそんなプログラム。ビートルズとレノンの曲の合間に、最近のヒット曲がかかるという感じだった。20曲近く聴いたんじゃないかな。
しかし、レノンの日なのに真心ブラザーズの「拝啓ジョンレノン」は何故か流れることはなかった。俺が外したときに流れたのかもしれないが。この曲はNHKが自主規制したはずだが、FM−TOKYOもそうなのか。なら他局を聴けば良かったのだが、昼からしーちゃんだったし仕方ない。なら俺がリクエストすれば良かっただろ、でも俺がリクエストFAXしたのはレノンの「労働者階級の英雄」。こんな暗くて重い曲、流れるかかる訳ないだろぉ、と思いつつ送ってみました。やっぱ流れませんでした。
夜、久しぶりに平野光流に来てもらって、二人で録っといた「BSマンガ夜話」をまとめて観たりした。「聖闘士星矢」の回が一番面白かった。何故俺のところに聖衣が届かないんだ?!
12月1日(金)
仕事モードに入る方が安定しているある意味ダメな感じで一週間。最近は仕事中に暇を作っては読書に逃げる。サボりともいう。で、「ノルウェイの森」。読むのは5〜6回目だが、細かい筋を忘れていたので面白く読めた。気に障るところも多いのだけれども。疲れた頭にすっきり来る。今は新読よりも再読の方が良いみたい。次候補「限りなく透明に近いブルー」「長いお別れ」「避暑地の猫」。
今日は金曜日でFM-TOKYOの昼は、しーちゃんだった。最近金曜はこれがちょっと楽しみ。
11月26日(日)
昼近くまで寝てた。ダメな一日の始まりだった。友人が電話で「JC見に府中まで行かない?」と誘ってくれたものの夕方に人と会う約束がある」と断った。実際に約束はあったのだが、別に府中に行っても夕方間に合ったのだが、俺の中のやる気無し虫が騒ぎ出した。
午後はダラダラとTVを見つつも、後悔を引きづりながら呆けた気分であった。JCは、こんな時には限って見事◎○▲と予想通りに決まってしまった。行けば儲かったのに…。J1の鹿島対柏戦は、柏を応援したものの鹿島の試合巧者ぶりにあって0−0の引き分けで鹿島が優勝。この試合途中辺りから出掛ける気を無くしてくる。18時近くなって「行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ」の心境になったものの傘もあったのに家に閉じ籠もり。町田に買い物に行かねばならなかった事も思い出したものの全て横に追いやって布団をかぶったのが運の尽き。夜まで寝てしまった。今日は十何時間寝てるんですか、俺は。そして僕は大丈夫なんですか。私の大切な故郷もみんな行ってしまいますか?
11月18日(土)
久々に見直したら、7月から更新してないのだな。コミケも就職も、その後の汗と涙の日々も書かずじまいだったわけだけど、俺はまだ諦めたわけじゃない。そのうち書けたらいいなあ。しかし書くということには偉い意志が要る。もう少し待って遅れにゃー。
7月28日(金)
「いいとも」のゲスト・グッチ祐三とタモリの料理トークバトルが熱かった。グッチの家には、冷蔵庫が七台あり業務用の高出力ガスバーナーもあるという。それはガス配管からやり直さなくてはならないためタモリもあきらめた代物らしいが、グッチは大きな石で周囲を固めた上で導入したのだと。高出力であっという間にお湯が沸くし、鍋が熱で赤くなり、その火力で炒め物も一気に仕上げてしまうのだと。聴いてたタモリが密かに悔しがっていた。
夜、ルパンを録りながら津田恒美のドラマを見る。ルパンは平凡だったな。去年の奴は千葉繁がかなりキレていて久々ヒットだったが。
7月27日(木)
学校の友人にロンドンに行かないかと誘われる。行く気はあったが出発が31日と余りにも急な話で、電話したが既に予約は終わっていた。で出発前にその友人と会う。ヨーロッパのユースホステルは、本場なので数が多く、しかも安いので、貧乏学生でもヨーロッパ一周とか出来るのだとかいう話しを目を輝かせて語るので、旅ほんとうに好きなんだなあ、と思う。俺は金もなかったし外に出ようと言う気力も薄くて、旅って奴に縁がない。ここ数年、18切符で遠出したくらいだ。香港に競馬を見に行きたい、という願望はあるのだが実現はいつだ?!
7月25日(火)
ここ数日、お腹をこわして病院に通ったり、接骨院に行ったり、就職活動もせずテレビを見たりAVを借りたりのダメな日々。そんな中、他人の頑張る姿を見て感動しよう!(笑)と、フジの「反町隆史、キリマンジャロに登る」を見る。高山病にやられグロッキーの反町っす。「休憩しよっか」と言われ、へたりこんで酸素吸入を受けるその背後で、ベテランのガイドが美味そうに煙草を吹かす姿が印象に残った。空気薄いのにさすがプロ!最後は登頂成功して超感動っすよ。なんて投書が同様20通by読売新聞「放送塔」とみた。
7月20日(木)
海の日もビッグサイトでバイト。ちょうど昼休みに7階の会議室棟でやっているコミケ拡大準備会を覗いてきた。登録とかなくてもあっさり入れた。大教室みたいな会場の壇上にミスター米こと米澤尊師、隣にはベルさん。米ちゃんがコミケの現状・西館に一部ジャンルや大手を移したことや新規スタッフが400名以上増えて大所帯になったことなどを蕩々と語っていた。その独特の語り口調は聴いていて心地よく、終わりまで聴いていたかった。が、会場に300名ほどいた周囲の聴衆=スタッフたちはいかにもやる気がなく静かにうつむいて聴いてるのか聴いてないのか解らない態度。その覇気のなさに「大丈夫かこいつら」と真剣に運営が心配になってしまった。チケットが欲しいだけでスタッフになったようなオタクたちなのか。廊下で、米ちゃんの話も聞かずカードゲームをやっていた奴等の方が割り切っているだけマシか。あと会場の隅でカメラ回しているスタッフがいて気になった。なんかこっちによくカメラを向けていたような…。
7月19日(水)
今日もビッグサイト。帰り浜松町行きの都バス、通称虹バスに乗る。今まで休日にしか乗ったがなく、平日は初めて。思ったより混んでいて、フジテレビ前辺りで満員になった。おまけに道も混んでいて、到着まで40分かかった。やはり豊洲行きバスが安くて速い。帰る時間にバスがあればの話しだが。帰宅して「ニュース23」のサミット絡みの沖縄特集で、ジョージ紫率いる沖縄の伝説のバンド「紫」の曲が聴けてちょっと感動。レインボーかディープパープルかという様式美なハードロック。若い頃に(今も若いが)聴きまくったせいで、こういう音楽を今も懐かしくしみじみ聴ける。流石に古さは感じるけど。
7月17日(月)
16,17日とビッグサイトで「夢博」の設営。残業で11時終了。いつもなら帰れない時間だったが、今日は潮見に住んでる高校時代の友人の家に泊まれるので助かった。朝までロック音楽やアニメ、コスプレ写真のことなどオタク話をした。でも高校の頃は二人ともそんなにオタクではなかった。ちょうど俺らが高校の頃は面白いアニメがあまりなく、俺らが勝手に「冬の時代」と呼んでる期間だった。高校卒業してから「ナディア」にはまったけど。それに高校時代はロックの方が面白くて、いつかバンドを組もうな、なんて言ってたのも懐かしい話だ。
7月12日(水)
バイトで等々力競技場へ。ヴェルディ戦の看板設営。13時作業スタートで頭上は夏の太陽。たった一時間半の作業だったが、脱水症状寸前になるほどへばった。真夏に昼間に運動するもんじゃない。甲子園の球児らは自殺志願者か?
グランド隅で待機してたら、ヴェルディの選手が目の前を通っていった。中澤もそんなに大きいとも思わなかった。飯尾とか小さいし。試合もグランドレベルで見ることが出来たが、中澤は大きく見えた。良い選手だと少し見直した。相手のセレッソは調子が悪かったようで、攻めの形が出来ずバタバタしていた。西沢、森島が徹底マークされたので、攻めが廬廷潤頼み。西谷がもう少し何とかしなくてはならなかったが。撤去も一時間ほどで終了。
7月8日(土)
日本の話芸は、三遊亭圓楽「文七元結」。三遊派伝統のトリ・大トリ話。やるとなれば本当は一時間近くかかることもある人情話の大作らしいが、今日の圓楽の30分ものも感動した。演出の力量が問われる噺だったが、さすがに見事。
7月5日(水)
横浜そごう9階の新都市ホールの就職フェアに行く。しかし、めぼしいところはなかった。壁際でぼぉーっとしていたら、関西の桃山学院大卒の人が声をかけてきて立ち話をした。見事に間の抜けた感じの関西弁を駆使する彼の顔の印象から、中島らもに似ているなあと思った。
7月4日(火)
昨日借りてきた斉藤美奈子「紅一点論」を読む。鋭く厳しい分析で面白かった。
7月3日(月)
BSで「立川流一門会」をやるのをすっかり忘れていた。ビデオを回したときには、一番手の志らくの出番が終わっていた。うー、談志の次に見たかった演者だったのに。前口上も聞きたかったのに。談志のフリートークは天衣無縫・傍若無人で才気煥発な面白さだったし、噺「ぞろぞろ」も軽妙な楽しさだった。
ISDNの工事が今日。申し込んでから二週間経つ。こんなんで良いのかNTT。工事のおじさんは手際よく工事を進めてくれた。これでやっとISDN快速ネットサーフィンだ。FAXを買ってからそのノイズのため受信速度が落ち、56kモデムで秒間200バイト!という遅さだったのだが、秒間約7000バイトにアップ。一気に30倍以上の速さだ。ネットサーフィンてこういうものだったのね。俺が今まで数ヶ月やっていたのはネット浮き輪遊びだったな。
7月2日(日)
フジのドキュメント「月島もんじゃストーリー」を見る。コミケの後に必ず食べるようになった月島のもんじゃだが、あの辺も新規参入が相次ぎ激戦区だという。老舗のもんじゃ屋の前に、巨大なマンションが建つことになり、店へと客を運んでくれた小さな遊歩道がマンション工事のために遂に閉鎖されてしまった。その時の店主の顔は忘れられない。なんでわざわざ下町の風情が残る東京でも珍しい土地に、なんの愛想もない冷たい巨大マンションを建てるかねえ。地方出身の成り上がりが金の力で食い散らかしたのが、今の東京だ。俺の親父は昔、勝鬨橋の近くに住んでいたと聞いてから、この辺の事が他人事とは思えないのだな。またもんじゃを食べに行きたくなった。
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