日 記
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センスがないのが致命的で、なかなか面白い事も書けませんが…。前後にわたって更新できるといいな。
6月30日(金)
町田の献血ルームで成分献血。付いてくれた看護婦さんが美人でラッキーとか思ってたら、献血終了後、足元がふらつき看護婦さん二人に押さえられ、無理矢理寝かされ休まされる。情けない姿を見せてしまった。献血後は血圧が下がるとかで、飲み物を三杯も飲まされた。でも成分三回目で記念の図書券を貰えたからいいや。
6月29日(木)
面接に遅れていったら、「社会人失格」と叱られる。まあ当然なことなのだがへこんだ。しかし上溝は遠い。相模線のマイペースぶりに久々に触れた。
6月28日(水)
二日間「紅蓮」をやっていた。エンディングで「2」を示唆されなんかがっかり。あとこのゲーム、バグが多くて、敵出現確率が無茶苦茶(4〜5歩で敵出現!)でイライラした。
6月25日(日)
宝塚記念、「負ければ引退」の崖っぷちでも俺はグラスワンダーの底力を信じていた。勿論強いのはテイエムオペラオー、この一点で勝負。しかし、グラスは四角で上がっていくものの直線で失速。6着に終わった。あとで骨折だと判明したが、もう走る気がなくなっていたのかもしれない。「本当は骨折なんかしていないんじゃないの」という人もいたが、骨折ならば負けた言い訳にベターだ。
選挙速報番組は、小選挙区になってから見ていない。殆ど結果が分かっているのを見るのもつまらないし、自民党に有利な制度をまた確認するのもムカつくからだ。小選挙区制が決まった明くる日、俺は大学のサークルノートに「細川(護煕)、河野(洋平)を断罪せよ!」と書き殴ったものだ。小沢は野望を貫いただけだから仕方ないが、甘チャン総理に元新自由クラブは、そんな田舎のごり押しに押し切られやがった。この選挙制改悪には、田原総一郎とか山口次郎とか土井たか子とかマスコミ(とくに朝日)とか戦犯が多いのだが、今更言っても仕方ないね。悪くなることは解っていたことなのに。
で、今日の結果は、民主躍進、公明惨敗。共産敗北、自由・社民善戦という感じ。自民は大物が落ちたり、都市部で惨敗したものの、西の田舎で圧勝。あっちのほうでは、土建国家的利益誘導政策が小選挙区制で余計強化されているのか。ダメダメじゃん。
6月24日(土)
不在者投票に行く。学会員と思われる老人たちが多数動員されていた。こうやって確実に基礎票を固めていくのだなとか思いながら見ていた。
6月23日(金)
家を出る前に「思いっきりテレビ」など見てたら、「妹が引きこもりって過食症になり体重が80キロ以上に…」などという質問になんかイヤな気持ちになるも、テレビでは鉄人・衣笠が丁寧な助言を与えていた。夕方、コンビニで立ち読みしてたら「FRIDAY」にゴマキの水着写真が載っていたので即買い。
帰宅して録っておいたBSの師弟落語。桂歌春「大工調べ」、桂歌丸「厩火事」。弟子の歌春は熱演だったが、頑張り具合が目立ちすぎていて、見ている側が余裕を持てない感じだった。ちょっと笑えないし、聴いていて疲れてしまう熱演だった。一方、師匠の歌丸は流石の語り回しで、間の取り方やちょっとしたくすぐりにも憎いくらいに余裕があった。感心しつつも、CDで聴いた小朝の「厩火事」も思い出した。小朝はまだ三十そこそこの時に独演会でこの演目を見事に演じきっていた訳だ。一度、小朝ほか生の落語を聴いてみたいなぁと思うのだった。
6月22日(木)
「いいとも」に宇多田ヒカルが出ていた。今日のタモリはいつもの投げ遣りトークでなくて、なかなか会話が弾んでいた。会場を十数分ヒカルワールドにしていた存在感はさすが。
午後は、お腹の調子がよくならず悶々と過ごしていた。皆口裕子さんに出すバースデーカードなど書いていた。彼女の誕生日は26日なので週末には出さないと。またラジオをやって欲しいとか書いた。
帝王賞の結果は、夜にネットで知ったが、メイセイオペラの惨敗に驚く。もし見に行っていたらまた負け犬だったようだ。しかし最近の大井は、すっきり決まらない。
6月20日(火)
この日は、大和の職安へ。受付も係りの男もやる気がなく、見ていてむかついた。税金泥棒が!帰りブックオフで「ケーサツの裏は闇」を長時間立ち読み。さらに不快感が増す。
6月19日(月)
クラスの友人二人と町田の職安へ。その後、町田を案内する。TVで昔紹介された大きな駄菓子屋に行きたいと言うので行ってみたところ、市街再開発のために閉店というか店がなくなって既に更地になっていた。ここのところの町田の変貌ぶりは凄いもので、俺が光流やその他沢山の友人と出会ったゲーセン「インベーダーハウス」もいつの間にかパチンコ屋へと姿を変えた。そして古い店がどんどんなくなり、お洒落な軽い感じの店が乱立し始めた。いまだに残る和菓子屋や乾物屋などもそのうち消えてしまうだろう。新しい店は消えても代わりが建つだけで何の感傷もないが、消えた駄菓子屋などは二度と建つことはないだろう。「都南デパート」も閉鎖されてしまっていた。開発の善悪を問うつもりはないが、とにかく寂しいことではある。
6月18日(日)
光流と池袋のサンクリへ。前に来た時よりも開場前行列が長く盛況。光流は以前出した落書き本の再販を出していたのだが、一時間で完売してしまった。その後、作田さんや大山さん、ほんださんらが来訪。マーブル情報などを聞く。午後、増田さんも来訪。ほか桜千歳王さんや叉汰君も挨拶に来てくれたり、三時からのコピー本配布で行列の原因を作ったSPRITE氏に挨拶にいったりした。
閉幕後、喫茶店にて増田さん、作田さんらのイベント情報交換に付き合う。興味深く聞いていた。まあ殆どのオタクには話しても意味のない知識ではあったが…。しかし全国レベルで情報を取ってくるその好奇心と行動力・執念に感嘆。
夕方、光流、増田さん、作田さんと新宿花園神社・唐組公演。前売受付が100人以上。当日が200人以上の盛況で、赤テント内に入ると、心配した通り後ろの方はかなりの数立ち見になっていた。テント内は凄い熱気で、芝居慣れた皆さんがうちわ持参なのもよく解った。そして開演。前の方の席で舞台が近いので興奮度が違う。役者陣もみな達者ですぐに世界に入り込めた。中でも「伝説の怪優」「まだ生きてたのか」大久保鷹の存在感が凄かった。舞台に出ている間、空気を全て持っていってしまう。
後半、唐十郎も、セーラームーンの音楽に乗ってノリノリで登場し盛り上がった。舞台は終盤になって、息もつかせぬ展開で突っ走り、最後に舞台背景が倒れテント外の公園からの夜風が吹き込んできて、何か荘厳な心地がした。
終演後、飲みながら「今日、初めて唐組見る人にはピンとこなかったかもね」と言われた。野田の演劇は、パズルのようなもので色んな伏線が最後に収斂するが、唐は
そういうところを突き放して、最後に情念で圧倒して攻めてくる、と。確かに今日観劇して序盤中盤感じたのは「消化不良」だった。散りばめられた科白を理解し、ストーリーや主題を頭の中で構築しようとすると、どうしてもピースが足りない気がしたのだ。だがその感じも、終盤の圧倒的な情念の演出の前に吹き飛んでしまった。まさに「考えるな!感じろ」(byブルース・リー)という演劇であったのだな、と思った。
6月17日(土)
朝11時に水道橋へ。今日はクラスの連中との付き合いで後楽園遊園地に行く予定だったのだが、雨が降って来たので中止になった。ここまで来たんだからと明日の馬券を買おうと思ったが、ウインズは婆が死んだ為完全休業だった。明日の馬券くらい売ってくれ。
その後、皆で秋葉原へ。友人は一般人なので、コアな店には行けずパソコンショップや家電ショップなどを回る。メッセサンオーの前でメイドのコスプレをした娘三人が何かのソフトの宣伝をしていたが、あまり気にも留めてない風で通り過ぎた。あと怪しい雑貨屋で明らかに無許可な、モー娘の人形セットが三千円で売ってて心が動いた。
夕方、新宿に戻って飲んでダベって帰った。
6月16日(金)
学校の友人に会うため、夕方6時過ぎに横浜駅に着くと号外を配っている。皇太后が死んだらしい。「逝去」の文字が使われていたが、拾った夕刊フジは「崩御」だった。本気かフジサンケイ。この皇太后は、晩年のブスッとした顔しか記憶にないし、ブクブク太ったイヤなババアで、民間出身の嫁をいびったんだろうなあという印象しかない。この婆さんが死んだせいで翌日の競馬が中止になった。ふざけるな。
八時から終電がなくなるまで飲んでしまい、結局茅ヶ崎まで出て四十分歩いた後、友人の車で送って貰う。帰宅したのは三時だった。
6月14日(水)
チャンネルを回してたら、教育テレビ「きょうの健康」で、うつ病のメカニズムや治療方法などを紹介中。じっくり見入ってしまった。薬での息の長い治療になるらしい。
夜は巨人が大勝してたので、TVを消して簿記の問題集をやっていた。
6月13日(火)
志村けん「変なおじさん」を読了。あと三国志Vをやる。
6月12日(月)
久々に書く。一ヶ月も前のことだが、何やったかはメモってある。が、テンションが落ちていて書く気がしなかった。まとめ書きしてもその日のテンションで全てが覆われてしまうが、それも仕方ないことか。
この日、コミケから二日目当選の封筒が届いていた。三回連続四回目出場か。周りも軒並み受かっていて安心。ただ本が出せるか微妙だ。
春風亭小朝の「苦悩する落語」を読む。小朝は、狭い世界で面子ばかり張り合い既得利権確保に汲々とする落語界をかなり悲観視している。年齢的にはまだその任ではないのだがが、落語界を芸で引っ張る天才として、苦言を呈し、厳しい提言をせずにはいられなかったようだ。
6月9日(金)
読書。夕方、噂眞を買ってきて読む。筒井康隆はもうダメだ。
夜中、風呂に入ろうとしたら頭上から目の前に黒いモノが落ちてきた。でかいゴキブリだった。こっちは全裸だったので必要以上にビビった。取りあえずそばにあった「カビキラー」で攻撃。さらに「ルックお風呂の洗剤」、根こそぎですの「ゴメスト」、シャンプーをぶっかけて、瀕死のところに「チャーミーグリーン」でとどめを刺した。台所洗剤はゴキブリの気管を塞いで窒息させるので有効なのだ。はじめからチャーミー攻撃だった。「混ぜるな危険」というのをジャンジャンぶっかけたため、その後風呂場が異臭に包まれたけど、大丈夫なんです(笑)
6月8日(木)
朝から蒸し暑かった。鶴間の会計事務所へ面接に行く。面接では大したことも聞かれず、「字汚いね」位しか言われず手応えがなかった。
帰宅後、図書館に出掛け、先日からの藤沢周平「市塵」を読み耽る。江戸時代も現在も、財政改革はなかなか上手くは行かないが、今は新井白石のような気概のある知識人や政治家が皆無。庶民は今出来ることを必死にやって、あとは生かされるか殺されるかしかないか。それを救うのが政治だが。
6月7日(水)
「いいとも」で高見沢俊彦が古館伊知郎を呼んでいた。この二人は昔、高見沢が髪が長かった為「古館、若い女と深夜の密会」と間違えられたことのある友人同士だが、たまにはマジ友も呼ぶわけだ。一度も会ったこともない人を同じ事務所ということで「指名しろ」と圧力をかけられることもあるけど。
夜中、光流の部屋へ。寝ているところを起こして悪いことした。平野耕太のゲーム漫画の「バグってハニるぞ!こらぁ」の科白に笑った。
帰宅して、日本vsジャマイカを見るがジャマイカに覇気が無く面白い試合ではなかった。
6月3日(土)
夕方、地震があってうちの市では震度3だった。実感では震度3+という感じか。俺は地震や火事などの天災は全然怖くないし、絶対に死なないと根拠のない絶対の自信があるのだが、今日は少し焦った。パソコンをいじっていてもおかしくない時間帯だったからだが、振動に弱いHDの回転中にグラッと来たらデータ、どれぐらい壊れるんだろう? まめにバックアップはやっておくべきだな、と実感。
夜「伝説の教師」を初めて見る。「子供騙しの日テレ土9」だから仕方ないが脚本がベタで白ける。松本は、「型破りなドラマを作りたい」とかインタビューで言っていたが、「型破りな教師」というテレビ史上何度も踏襲されてきた「型」にはまってしまった。日テレドラマなんぞに期待はしないが、「原案・松本人志」と入れといてこれで良いのか?竹中直人との絡みだけは面白いが。
6月2日(木)
朝6時起きで久々のバイト。千駄ヶ谷の東京体育館で空手大会の設営。作業自体は大したことないものの、室内は蒸し暑かったので疲れた。空手大会の床に引くマットはずっと使い回しなのだが、血痕が所々に残っていて怖かった。
なにかに追い立てられるように落ち着かない気分だったが、久々の労働で多少精神的に楽になった。しかし寝る前には再び憂鬱になったりもするのだが…。
6月1日(水)
昼過ぎに起きる。しかしなかなかテンションが上がらない。町田のヨドバシに行ってパソコンフロアをぶらぶらして時間を潰す。一時間ほどで帰ろうとしたら、友人のHR君が相方のりうきちくんと共にやってきた。ワープロ用紙を買いに来たらしい。で、暫く立ち話をしたが、後から思い出せば、俺の愚痴を聞かせることになってしまい悪いことをした。
帰宅して、夜「うたばん」。後藤真希や新メンバーを見てココロを癒した。
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